2012年12月2日日曜日

エル グレコ展行ったぁぁ

面白いことがないので、エルグレコ展に無理やり行ってきた。
見てきた順につぶやきます。


■特に男の聖職者が色っぽい。
女性は聖母のようなのばかりで素っ気ない。

描かれた男性の顔がほとんど同じように目がぱっちりで、細面の二枚目なのが印象に残る。

構図やら光の使い方やら絵のストーリーやらわからなくても楽しい。
とはいうものの、構図すごいんですけど。

フェリペ2世の栄光


















■聖パウロの絵に剣が描かれることが気になる。
予備知識なしで見てると、なんで聖職者の肖像なのに大剣が描いてあったり、剣の柄を持つ絵があるのか不思議だった。
ちゃんと解説されていた。
ペテロが斬首刑になったシンボルとして作者は描いたのでは、ということだ。
聖ペテロは、一般に十二使徒には入らない人物なのだけど、スペイン出身のこの殉教者を英雄視していたという。


■キリスト像も印象に残る。
十字架に磔の絵柄は何種類もあるらしい。
展示で魅入ったのは、手足に磔の釘が刺さり血が流れるバージョンと、釘のないバージョンだった。
並べて展示してほしかったけど、ブースを分けてある。
何度も行ったりきたりして、眺めてみた。
釘のあるバージョンの苦悶に恍惚の表情に比べ、釘のないバージョンのキリストの顔は瞑想に踊っているようであった(私見)。




キリストの復活















■そしてそして。
「キリストの復活」のキリストのカッコよさ!
上記の絵を見よ。
ヒーロー登場って感じ。
くいっと身体をひねらせながらの登場で、見てて気はずかしかったわ。
あの時代のスペインでのキリストの復活はああいうイメージなのであろうか?





■最後に受胎告知やら諸々の天の恵みのお知らせがもたらせる構図も目をひいたが、目が釘付けになったのは数多いる天使たちだった。
登場人物を細々とたくさん書く画風なのだが、天使もたくさん描いている。
額の隅っこの天使たちが顔に羽が生えてるみたいに描いている。
それも、うじゃうじゃいるように僕には見えるので、ちょっとしたホラー風に見えたのだ!





聖母子戴冠


なんかこんな楽しみかたでいいのか!と思ったけど、ま、いっか。

2012年10月14日日曜日

比叡山のお散歩(花摘堂で調べものを思いつく)

滋賀方面からケーブルカーを使わないで、根本中堂へ向かうには、いくつか道があるけれども、日吉大社のすぐ横からまっすぐ歩いていくと、「花摘堂跡(はなつみどうあと)」へ向かう枝道がある。

「跡」なので、細道を進んでも写真のような石碑と看板しかない。
けれども、他の注目されていない祠などに比べるとずいぶん立派なものだとも言える。

ここにあったとされる堂は、伝教大師の母・妙徳が大師を訪ねた折に、ここまでしか来られなかった地点で、後に、智証大師の母を祀る堂が建てられ、両大師の母を偲ぶ場所になったものだという。

「花摘堂」という美しい名前の説明で気になったのは、堂が建てられて「この地に花を供えることが許された」という部分であった。


当時は、比叡山の中に勝ってに立ち入ることができなかったのか、
勝手に花を供えてはいけなかったのか。

それとも、女人が立ち入ることができない、という意味もあったのか。
(だんだん、そうじゃないかと思えてきた)
ちょっと、女性と比叡山は調べて確認してみたいと思った。

もうひとつは、「花を供える」という記述。
死者に花をという習慣は、古くは古事記にも記述があるそう。
だが、供える、というのは、死者を弔うという習慣自体が、社会階層でいえば貴族や高僧から広まったとされているから、ここでの記述はだいぶんみんなに広まった状況が描かれていると思う。

さらに、死者を弔うことと、仏教的な考えがすこしずつ近づいてくるのは、鎌倉仏教以来という説があるので、伝教・智証大師の母の話がいつごろの話なのか、確認してみようと思った。

花に関しては、華道という文化も、死者に花を挿花する立花から徐々にはじまったとされ、1300-1400年代からはじまったとされている。

この時代の頃の、死者への対応や、習慣、仏教的な教えとの接近は、最近、興味あるところである。
当時の女性の立ち位置という問題にも考えが及んで、
山の中でちょっと勉強してみたいことができたのであった。


あ、そういえば、確かに散歩してて山ガールが流行っていることはわかった。

2012年8月9日木曜日

0803 補足メモ 配っていた新聞


議事堂の近くで、いい感じの奥さんたちが配っていたのは、「顕正新聞」という名前だった。

顕正新聞という名の宗教団体の機関紙は、ふたつあるらしい。

ひとつは、高森顕徹を代表とする高森親鸞会の機関紙ということ。
高森親鸞会は、昔から親鸞会として知られる浄土真宗系の新興の宗教だ。

もうひとつは富士大石寺顕正会の機関紙。
埼玉を拠点にしている大きな教団だ。
顕正会は、明治以降の新宗教である。


日蓮正宗の代表だった浅井甚兵衛が妙光寺から1942年に分かれてできたものとされる。
今回受け取った新聞は、内容を読むと日蓮聖人がでてくるので、顕正会だと思ってよさそう。

宗教色は薄めてあるようなのだが、内容のほとんどは原子力の怖さについて述べてある。
「現代は『大罰の時代』だ」という表現などは、個人的に付いていきにくい。


それにしても配布してたのはいい感じの奥さんたちだった。
あんな感じの人が集まってるのか。
普通の賢そうな主婦の方たち。
集会に誘われたらやばいな(笑。

0803 メモ  反原発デモ 国会議事堂前

東京行って、もう一週間経とうとするので、メモだけあげとく。

〇8月の第1週、週末、体が空いた。
そうだ、東京へ行こう。
というわけで、大阪で朝1の仕事をやって、いったん帰宅して、それから国会議事堂に向かう。
早朝と昼の2回駅に向かってダッシュした。太ももがくがく。

●大飯原発は実際に再稼働してしまっている。
無力感や徒労感が強まってるよな、などと思いながら「霞ヶ関」下車。

〇どこからともなく太鼓の響きと音楽が聞こえる。音は移動している。
大通りの反対側をデモ小隊が音楽とともにねり歩くのが見えた。大通りと思っていたのは、議事堂前に向かう通りだった。
議事堂方面に行くとどんどん人が増えてくる。
そうそうにブロックに腰掛けている市民運動家っていう感じの人より、普通の紳士淑女という出で立ちが印象に残る。

●腰かけてる人は、なんか上品そうな年配者に感じる。
それより、関西より関東を上品に感じるのか(笑。

〇議事堂前は大混雑。
●誘導員買って出てる人たち、エライ。
通路確保して、スピーチスペース、ファミリースペースを設置、いろいろ目配りは大変だと思う。

●警察が誘導すると、権力的になってしまうので、小競り合いを誘発することになるから仕方ないんだろうなあ。
一方で制服警察官が集団で斉行動すると、圧迫感がある。
こんなに人が集まったんだし、事故を防ぐにも議事堂前の道路は市民に解放するべきと思う。
集まった人々の居場所がない。

〇坂本龍一さん発見。
●黒字に白抜きのフラッグが格好いい。


〇そのほか、いろんな団体があるみたい。高校生や子どもも多し。
子どものプラカード。「だって僕たちも原発こわいもん」

〇いい感じの奥さんたちがなにやら新聞を配っている。
顕正新聞。
いい感じの奥さんなので、すぐ受けとる。
(奥さんと表現するのは、子連れに見えたから)

〇スピーチコーナーで、いろんな人が語ったり、コールをあげる。
無理むりなコールだったのが、「りけんーだらけの げんしりょく いいんかい」、というコール。
「げんぱつ、はんたい。げんぱつ、やめろ」の後に、言い始めた。
明らかに皆着いてこれなくなったけど。

〇人ごみの中でアンケートを手に、抗議活動参加の意図などを質問している人。
いいレポートになることを期待しましょう。

〇許可された場所以外で、立て看持ってて、警察とひと悶着起こしている。
そちらに向かって、許可されたところで、抗議活動をお願いします、という参加者からの声が飛ぶ。

〇洒落っけではじまった野田総理の顔写真入りビラを路面に置いて、踏みつけ。

〇車に再稼働反対のビラ貼り付けたほとんどイタ車で、回る人たち。
車の窓から白髭の年配者が手書きカード持って「再稼働反たーい」

〇反対コールの音楽が楽しすぎで、盛り上がってきた。
それらの様子を専用カメラで追っている人がいる。
きっと、映画にでもなるのであろう。
そうなるべきでしょうし。
そっちの方がいい映像になるのわかってるから、当日の様子を簡単に貼っておこう。


2012年7月11日水曜日

0711 ボート競技の普及(1)

相談は春からいろいろあったんだけれど、また、授業でもいろんなコメントしているんだけれど、記録をあまり出していませんでしたね。回は、メールでりとりがあったので、その記録を提出しておきます。


標題タイトルのレポートテーマで、全体に書きそうな項目は、以下のような感じになっていると思います。

(1)ボート競技とは。

(2)ボート競技の歴史。
a.ボートの競技性:古い古い時代の記録のなかの競技性とか
         中世のレガッタのはじまりとか
         レガッタは文化として、特徴述べたい。
b.近代スポーツ競技としてのボート
   イギリスなどヨーロッパで盛んなボートレースのお話。
   オリンピックに採用される漕艇競技
    代表的な近代スポーツのひとつ。←ただし、オリンピックの近代性を述べなければならない。
    蛇足:競技の歴史は長いけど、女子競技が採用されるのは、陸上や競泳に比べてずっと遅い。

(3)日本における漕艇競技。
・日本での競技のはじまり

(4)現代の漕艇競技。
・メディアの中の漕艇競技(ドラマとか映画とかの話)
(この辺は、普及の話なので、他のスポーツの普及の歴史とか、まさに普及しつつあるなどと比較しながら話すほうが、とりつきやすい。

(5)現代の漕艇競技、普及の取り組み。
・取材にして、ここの話をメインにする。


上の(1)から(5)についての、もうちょっと詳細なコメント。

(1)について、
「ボート競技とは」…というスポーツ自体の説明は、すでに報告したけど、スポーツの特徴を生かして、社会性を語る(=つまり、コミュニケーション能力を高めるとか、集団行動を学ぶスポーツとしてのさきがけだとか)は、あまりやってない。
言いかえれば、スポーツをやる教育的意味。
…近代スポーツとして軍隊などで利用されるという傾向を語るために、特徴はあげた方がいいかもしれませんね。

(3)について
協会HPの略史がおもしろすぎ!!
日本の幕末から明治にかけての
…近代のはじまりとボート競技の関係とか、
…最初は長崎での海軍演習としてはじまった。(←近代スポーツと関係あります)
…まだ学校がはじまったばっかりのスポーツとか、
…つまり「スポーツ」と「教育」の関係のはじまりが感じられる。

(4)について
ドラマとか映画とかに出てくる漕艇競技の特徴
この辺は、スポーツ普及の話になってくるので、
他のマイナーからメジャーに普及したスポーツの歴史とか、まさに今、普及しつつある他のスポーツと比較しながら話すのが良い。

(5)について、
・取材して、ここの話をメインにする。(要相談)


2012年6月24日日曜日

名古屋の実習の報告(5)SKEオフィシャルショップ


◆SKEオフィシャルショップ

16:00頃
ホテルのスタバのサンドイッチで遅めの昼ご飯。
ノート書きにする。
 
17:30頃
各チームが17:00頃にホテルに集まってきたのを確認した。
サンシャイン栄に向かう。
昼頃よりもっと待ち合わせの人が増えてる。

サンスタートニックシャンプーのイベントはまだやってるけれども、チラシ配りの女子がまだ配っていることの方にちょっと驚く。
ああいうバイトって過酷なんだな。
あんな恰好でいるから、へばった顔や適当な顔するわけにもいかないし、ずっと立ち回りで人を見つけて声をかける。
それが丸一日。
 
夜に向かって若者の人だかりはますます増えてくる。
昼に来たときは場所の確認だけで、ビルの中まで入らなかった。
中は、普通のファッションビルで、どこに行ったらいいのかよくわからない。
とりあえず、上にあがると、SKEのオフィシャルショップがあった。

入口では、壁枠にはめ込みのモニターがあって、ライブ風景を放送している。
壁枠にはメンバーのサイン。
その横には、会員かなにかになるための、案内テーブル。
その横には、グッズが並んでいるガラステーブル。
その横には、等身大のガラスケースに、なんとかさんが、実際に来ていた衣装。
ちょっとメイド風な、セーラー風な、どう表現していいのかよくわからない。
うーん、日本のアイドルは着るけど、韓国アイドルは着ない服。うーん。

その横は、何かイベントを見るなら、こういうふうに入会してと書いたチラシが置いてある。
どこにでもある折り畳みの長テーブル。
そして、それらの反対側の壁には、ずらっとメンバーの写真やら紹介やら。

グッズのガラスケース前にちょっとだけ人だかり。
おじいさんと孫たちのような3人、女子2人組、男女カップル2組。
男女カップルから、「たったこれだけ?」と声が聞こえた。

一人、リュックの中年風の男性が、人だかりの後ろからグッズケースに近づきたくて、おろおろしていた。
こういう人も来るんだーと思っていたら、向こうもこちらをちらちら見ている。
ああそうか、僕もそういうふうに見られるよなーと思う。

あんまり何にもないオフィシャルショップだが、セキュリティはやたらと厳しい。
若い女性スタッフが目を光らせていて、グッズのガラスケースに触るな、とか、写真をとるな、とか注意を入れている。
怖いので、少し離れたところから、入口だけでも写真をとろうとしたら、けっこう離れてるのに、すぐにチェックが入った。
おおーするどいチェックだ、と感心する。

なお、ビルの壁の特徴になっているあのシルバーの観覧車は、1回500円だとわかる。
一人で乗ってるお兄さんもいて、土曜の夕方の繁華街で一人観覧車って、勇気あるなーと思う。  
 

名古屋の実習の報告(4)矢場とん探しと繁華街

ほとんど使うことのない記述だけれども、できる限り続けて書いてみる。


◆矢場とん探しと繁華街 



エアポートウォークからバスに乗り、栄で降り、目に入った「トップカメラ」でスマホの簡易バッテリーを買う。
けど、今、自分がどこにいるのかさっぱりわからない。
雨が降ってきたので、地下に入って歩いていると、ホテルに行くのに迷っていた道に当たる。

なんとかホテル方面に向かうことができ、方向感覚が安心できるところで地上に出る。
夕食場所である「矢場とん」を探す。

自分のスマホでナビを広げてとろとろ進む。
すれ違った細面で長髪の男前、30代くらいの男性が、小雨の交差点で携帯に話している声が耳に入る。

「いや、だからそれは、言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいので・・・」
商売相手というよりも聞き分けのない女か年下に言い聞かすような、圧力ある口調。

もうワンブロック進む。
もう少し若い、これはもっとはっきりとホスト風の長身の伊達男が、やはり小雨が降っているのにもかかわらず交差点で、携帯で話しこんでいる。
茶髪に長髪、ブランドのワイシャツ、黒パンツ、黒いシューズ。
ベルトがエルメスだから、服装もそれらしいブランドなのだろう。

矢場とんのビルってこの辺だよなーと思って、スマホのナビを出していると、携帯で話すお兄さんの声のトーンがだんだんあがってくるのが聞こえた。

「言いたいことがあるんだったら、はっきり言えばいいんだよ」

寝不足で自分の頭がおかしいんだと最初思った。
今日はきっとはっきり言えない人がたくさんいて、はっきり言えばいいじゃんとむきになっている人が多い日なのだと思うことにした。

すぐに、矢場とんは黒いガラス壁のおしゃれなセントライズビルの地下にあることがわかった。

そこから、ホテルの方に歩くと、風俗店のお店がけっこうでっかい看板で出ていることがわかった。
ああ、ここはそういう界隈だったかなーと、思う。
後でみんなで矢場とんに向かうときは、こういう看板の無いパチンコ屋の前を通ることにする。

こういうのは、わかりやすい都市と見た目で感じさせない都市がある。
ここは、わかりやすい方だと思う。
そのように考えると、今立っている街は猥雑な繁華街で、一筋入った裏側の街や通りはもっとゴミゴミしてていいのだと思う。
けれども、この街は、歩いてて通りがきれい過ぎる。
カラスが3羽、車も通る道を堂々と歩いているが。

しかし、道幅が広めで、ビルが高く新しい感じだから、きれいに思うのかな。
もっと雑多なごみごみしたところは他にあるんだろうな、と期待することにする。

さて、ここまで書いたので、もうちょっとちゃんと書く。
名古屋栄東急インは「広小路通り」という大きな通りに面している。
ここから、地図上では北へ向かう。
すると、すぐに「錦通り」というもうひとつ大きな通りに出る。
ホテルから東へ、つまり地下鉄の入り口の方へ行けば、「広小路七間町」「広小路呉服町」という交差点がある。
ホテルから西へ行けば「広小路本町」という交差点である。

本町(通り)や七間町・呉服町(通り)の交差点から、北へ錦通りを過ぎてずっと歩けば、まっすぐ名古屋城ということである。

錦通りを過ぎた辺りは、錦三丁目という町で、やっぱりいくつかの有名なビジネスホテルがあるが「錦三」として親しまれる繁華街である。

だいたい、この辺りが昔の「飛田屋町廓」…つまり遊郭があったとされる花街である。

ただし、遊郭自体は、けっこう時代によって場所が変わっているらしい。

飛田屋というのは、名古屋城築城の折りに徳川家が作ったり、その後廃止されたりというものだったらしい。

今日行ってきた、熱田伝馬町あたりにも移転されたり何やらという話があった。

大正からは名古屋駅西側の辺りの中村地区の方が有名らしい。

遊郭のことなどは、大通りの広小路通りに、郷土の歴史パネルが随所に設置されていて、解説もされている。



1736年の伊藤呉服商から百貨店


「名古屋の繁華に京がさめた」


「本町通りのにぎわい絵巻」 


空前の活況の後、「夢の後」


上の写真の下から3つは同じパネル。
解説は、だいたい次のようなことが書かれている。

「1730年第7代尾張藩主 徳川宗春は、幕府8代将軍 徳川吉宗の享保の改革への反対派であった。
質素倹約の改革の方針に対し、商業や芝居・興業などを自由化し、倹約令で停滞した名古屋に活況をもたらした。
当時、”名古屋の繁華に京(興)がさめた”と呼ばれた。
絵巻物の絵は、当時の広小路から門前町南までのにぎわいを描いている。
食べ物屋や呼び込み看板から描かれており、とりわけ芝居小屋と遊郭が詳しい。
住宅地図のようなものは、当時にぎわった”富士見原””西小路””葛町”の遊郭を示す資料である。
当時を忍んで、宗春没後、”夢の後”という名前で知られるようになった資料である。」

一番上の写真は、三越デパート前にあるもの。

「1611年織田家小姓の子孫、伊藤蘭丸が名古屋本町ではじめた呉服小間物商いは、1959年名古屋茶屋町の呉服小間物問屋に発展した。
伊藤家は代々”次郎左衛門”を名乗る。
呉服小間物問屋は1736年に呉服太物小売商に転業し現金掛け値なしの正札商売をはじめる。
名古屋がにぎわった頃だ。
やがて、1910(明治43)年には”いとう呉服店”が名古屋初の百貨店となった云々・・・」
・・・ということである。





2012年6月23日土曜日

名古屋の実習の報告(3)北生涯学習センター(修正版)


◆北区生涯学習センター

次はエアポートウォーク名古屋を見に行くことにしよう。
名古屋駅まで行って、リムジンバスに乗って…とすると、すごく面倒な気がして、伝馬町から地下鉄で、できるだけエアポートウォーク名古屋に近づこうと考える。
この考えは結果として、はずれ。
栄で降りるか名古屋駅まで行っておけばよかったと、後で反省する。

地下鉄名城線を栄方面にもどり、黒川という駅で降りる。
地図上では、エアポートに一番近く見える駅だったけど…
それよりも地図上では駅を出るとすぐに生涯学習センターや区役所があるので、そこで一息入れようと思う。

13:00頃
地下鉄から地上にあがると、目の前に名古屋ならではの”どこでも大通り”。
頭の上にはハイウェイ。
通り沿いに、排気ガスで薄汚れた3F建ての生涯学習センターが見える。
 
外見からは淋しく見えたが、中は意外と活気があった。
15人程度の若者男女がなにやら談笑でもりあがっている。
ボランティアかなにかの活動をしていた後らしい。
図書コーナーや談話コーナーでは、勉強している若者もいる。
図書コーナーの壁には、古代流の凧が飾ってある。


玄関口にある部屋利用予定表を確認する。
センターには10室以上の部屋の午前、午後、夜間利用の一覧表となっている。
それぞれの部屋はほとんど一日中稼動している。

この活気の良さがとっても気になったが、時間が気になってきたので、図書コーナーでもゆっくりせずに、すぐにエアポートに向かう。


14:00頃エアポートウォーク名古屋に到着。
面白そうな建物。
ここはあまり記録をブログにあげないで、レポート報告に任せることにしよう。
レポートの方がかなり詳しいから。
ミニヘリコプターの写真だけ。


















2012年6月9日土曜日

名古屋の実習の報告(2)熱田蓬莱軒へ(修正版)

◆熱田蓬莱軒へ


11:00過ぎ 地下鉄で伝馬町まで。

熱田神宮近くの蓬莱軒本店と神宮店を確認する。
まず、地下鉄から地上に出て、どっちを向いているのかわからず、かなり迷う。
名古屋に来ると、どの道も同じように見えるんだな、これが。

やがて、神宮店が地下鉄出口からすぐに見えることがわかった。
遠目に見ても人だかりになっている。

神宮店は大通りの向こうであったため、まずは本店を目指す。
ビル・住宅の間を歩いている間に、においがしている。
ここが古くからの交通の要所であることを示す道標と大きな地蔵がある。

東海道と美濃路の分岐点と書いてある

道標の向いには、大きな地蔵の祠があって、おばあさんが長い間お祈りをしている。住宅群をすぐに抜けると、大通りに出て、横断歩道橋の向こうに、もうお店がみえる。
神宮店と目と鼻の先ではないか。
歩道橋をわたろうとすると、店の煙突からもくもくと煙がでているのがわかる。

チーム熱田蓬莱軒はもうインタビューに入っているはず。
2時に予約をしたという人が、もう店先で確認して待っている。

入店を待つ人々


付近を歩く。町が古い。
寺院や神社が多い。
古い旅館、畳屋が2軒、料理屋。


伊藤畳店 宮房旅館

ゆっくり回ってみたい街だ。
道路は広くて新しいが。

神宮店の方にまわると、なにかやたら明るい照明を家屋に向かって照らしているのが見える。
何かの撮影だ。

蓬莱軒神宮店は2階建てのお店で、入り口が人だかりになっている。


神宮店前の入店待ちの人々

照明をあてられているのは隣の家屋だ。
撮影用クレーン車で照明がこうこうと照らし出されている。


周囲には撮影機材がいろいろと

クレーン車には、「kurosawa film」とロゴが入っている。
”やっぱ撮影かっ”と色めきだったが、興味のないふりをする。

店前の道路を交通整理しているガードマンのおじさんに聞いてみる。
「なんか撮影されてるんですか?」
「ふーん、なんてことはなーい。あれはただのCMだから。」
「コマーシャルですか。なんで、あのお店の隣のお宅で撮影してるんですか?これは有名な家なんですか?」
「ふーん、あれ、うちの店だから。うちの絡みだから。」

話しぶりが面白すぎるぞ、おじさん。
”そんなことも知らないの?”って感じで、素っ気なさすぎる感じが面白い。

制服からすると警備会社の人だと思うのだけど、、蓬莱軒を「ウチ」っていうのはさすがだ。

名古屋の報告(1) (修正版)


今年は1年生の実習で名古屋に行くことになった。
で、新たな訪問があるとノーツ書いているので、実習の一部始終をお届け。


1日目

◆名古屋着後 栄

名古屋駅到着後、地下鉄で栄駅まで。
この駅からチーム蓬莱軒・チーム名古屋城が乗り換えて、現地に向かう。
他のメンバーは、栄駅改札出た後、自主行動についてしばらく悩んでいたが、とにかくいったんホテルに荷物を預けに行くことにする。
荷物預かりとチェックインの手続きを終え、テーマエアポートウォークが活動開始。
その他はとりあえず、皆で「あんかけスパ」を食べにいったそうな。

「広小路通り」の町の歴史看板をいくつか眺めて、SKEテーマのメッカ、サンシャイン栄がすぐそこなので、とりあえずそちらの確認からはじめる。












サンシャイン栄で、SKEイベントと「メンズスパイダー」のストリートスナップのイベントのチラシを確認する。
こういうの撮影してるの見たことないので、どんなふうにやってるのか見てみたいな。
















地階では、サンスタートニックシャンプー体験の実演が行われている。
キャンペーンガールが、やってみませんかと声をかけながら青いトニックシャンプー色のの試供品らしきものを配っている。
私は素通りされる。
人通りも多く、落ち着かない。
SKEのメッカということで、大きな写真パネルがあるのだが、何をどう確認していいのかよくわからない。
とにかくキャンペーンガールに、「それちょうだい」と言って、貰う。
ついでに、「このイベントってSKEとは別ですよね?」とトンチンカンにたずねてみる。
「ぜんぜんぜんぜん関係ないですよー」
大きなパネル写真も横にあるので、イベント参加したら、skeイベントのチケットもらえるのかと思った。
だったら、あの男の子たちは、なんで、こんなところで頭洗ってるのかな。

夕方のチームSKEのイベント取材のときに、また来ることにしよう。


ひとまず地下鉄で蓬莱軒へ向かうことにする。





2012年2月19日日曜日

0218 極寒の体育館の集会で

むっちゃ大雪のなか、朝からPTAの集会があった。
体育館での講演は、本気で凍傷になるかと思ったわ。
役回りで参加したクチなので、えらそうに言えませんが・・・
本音を言えば、仕事、家に溜め込んで散らばったままだし、役員の別の仕事でけっこう時間とられてるし、集会休んでも許されるかなーと思ってるような、いわば、忙しいのに参加してやるからなという上から目線の黒い心境になっているような塩梅でした。
(関係者のみなさますみません。イベント開催のご苦労お疲れ様です。)

とにかく、寒すぎて、帰りは足の感覚復活のためにほとんどランニングで帰宅したくらいである。
講演途中でも、何度か空きスペースで踊ろうかと思った。
踊ってても、講師の先生も許してくれるのではないかと、逆に、一言突っ込んでくれるんじゃないかと思ったし。
ただの目立ちたがり屋だと思われる可能性も大きいのでやめましたが。
とにかく、持っていくはずだったホカロンを忘れたのを悔やみ、パッチなど下着はかないというやせ我慢主義を改心しようかと後悔していた。

講演は、大事なことは全部ドラえもんに教えてもらったの著者、久保田先生だったので、とても面白かった。
前半までのPPを使った語りとドラえもんの場面紹介のタイミングのよさに、妙に感心していた。
ただ、ご自分のノリを優先されるという話の枠組みから逃れられず(あるいは、逃れる気がないのか)、ドラえもんエピソード中心のお話で十分引き込まれるのに、なぜ、そこにこだわり知識を入れ込む、と思わさせられる場面が何度かあった。
特に、終盤のそれは、寒さに応えた。聞いてるみなさんには、聞き入っている人も多かったと思うから後半は削ってもいいのではないかと思った。こんなところで、つまらない指摘をしているけれども、自分が話し手となったときに、同じような突っ込みをもらっているので、すんごく自分を振り返ってしまった。

さて、いまここで、フッと思い起こして書き起こせるくらい、特に印象に残ったドラえもんからのエピソードは3つある。
この記事はこれを書こうと思って始めたのだった。

ひとつは、ジャイアンやスネ夫は幼稚園の時分から、のび太を泣かせていじめ抜いているのであるが、ジャイアンは決してのび太を毛嫌いしているのではないようだ、ということだった。のび太もまたジャイアンを吐き気をもよおすほど嫌ってはいないのであった。ジャイアンは、おもろい奴で、のび太がいなくなるとわかると真っ先に別れを惜しみにくるような奴でもあり、彼らはそういう付き合いなのであった。
これは、漫画だ。藤子先生たちの頭の中の出来事だと思っても、そういうことなんだよねーと思う自分がいた。

これに関係するようなこととして。ジャイアンは、親父やおふくろにシバカレながら育ったやんちゃ坊なので、自分も腕力にもの言わす、暴力的な奴になってしまってるわけなんだけど、それをどう見るか、どう受け止めるか、という社会のありかた・コミュニケーションについて考えてた。

もうひとつは、のび太は、どんくさい上にグータラで、そそっかしく、せこいことばかり考えていて、権力を握ると実は底意地の悪い面も見せる。
ときおり人を感動させるような名言を吐き、英雄のような決断を下すときがあり、人の痛みを思いやるようなことをいう・・・つまり彼は人そのものなのだな、というのを再確認した。

2012年2月12日日曜日

0212  灘酒を伝えて行く為に

全体によくまとまってきたなかで、以下の2点が気になったので、修正・補足を考えてみてください。

1点目
EさんとMさんの紹介を1行だけでなく、もう少し人物像を結ぶために情報が欲しいと思います。
たとえば、年齢とか仕事ぶり(インタビューに至る状況も含む:下記のYさんにはそれが出てくる)とか、インタビュー時の雰囲気とか、聞いた回数とか場所とか・・・フィールドノーツに書いてあれば使える情報があるのじゃないかと思います。
もっと情報があると、EさんやMさんの見解の背景への読み解きが読者にも可能性が広がります。

2点目:リカ—のYさんの登場の部分について
おそらく、執筆者がもっとも伝えたいのは、
"少し恥ずかしながらも誇らしげに答える"Yさんの様子ではないかと思う。

そのため、この部分のセクションの文章は、Yさんとの出会から書かれているのではないか、と思う。
「・・・店内で働いていた女性である」人にインタヴューした。その人は店主の妻であった。店主(旦那)が留守のため、まず説明を伺った。そこで、上記の様子が現れ、活動への思いや意義を感じた・・・

ところで、このあたりの文章で指摘したい問題点は、上記の「働いていた女性である」のすぐ後の会話引用に、説明なしで女性を「Yさん」と記していることである。

ここは簡単な説明的文章で
働いていた女性(Yさん)である。後にわかったのだが(←これ、いるかどうかわかんないけど)Yさんはヤスモトリカー店主の妻である。夫である店主が留守のため、Yさんかお話をうかがったところ・・・とか。

この辺りの紹介は、"活動への思い"や"活動の意義"などを執筆者が受け止め・考えるきっかになったエピソードと思われるので、"必要な"文章だと思いました。
そこで、もう少し、上記のような補足説明でスッキリさせる必要があると思いました。


蛇足点
欲を言えば、もうちょっと時間かけて終盤までの流れを考えたら、日本酒の問題を伝統文化を護る問題としてさらにポイントを整理しながら、ラストの記述を充実させることができるように思う。
たとえば、「3 伝統の伝承」の部分は、"幾多の困難"、"伝統を守る活動をすることの誇り"のトピックスが盛り込まれており、もう少し詳細に記述・考察できる内容があるように思う。

0212 神戸空港から見る関西の空港問題 日本初の技術「ポートライナー」

コメント遅くなりました。

コメントを二人一緒にしてすみません。
指摘点が重複し、二人とも最終局面のため、コメントの量もさほどではないので、二人いっしょにさせてもらいます。
それぞれに指摘は2点です。

1点目は、内容面についてのコメントです。
これはレポートにする段階ですでにわかっていたことの繰り返しなので、レポート上どのように処理するかの相談になります。いわば努力目標です。

空港レポートの場合、
"3つの空港の必要性や抱えている問題を比較検討する"際に、対象者を"それぞれの空港関係者の3人"のインタビューのみでレポートを書くことの是非、あるいは調査研究上の問題点をどのように表現するか、が最大の課題です。

ポートライナーレポートの場合、
対象者がどうして限定的になったかを、調査活動のプロセスも含めて、ある程度紹介していいかな、と思います。
「ある程度」の「程度」がわかりにくいと思いますが。
書いてみてから、判断したいなと思います。

上記の指摘は、あくまで、努力目標としてのコメントなので、できうる限りでいいので、補足するかどうかも含めて、一考してみてください。わざわざコメントするのは、まだ足りないという判断が、こちら側にはあるからですが、最終修正段階時期も過ぎましたので、どこまで書き込むかは、執筆者の判断にお任せします。


2点目は、文章作成の課題です。
こちらは、必ず、もういちど、見直しをお願いします。
自分の勉強のために、やってみてください。

論文・レポートに慣れる必要もあるし、単純な推敲で気がつく点は、まだあると思います。印刷して、音読してください。
自分の耳で聞いてスムーズじゃないな、とか誇張表現だなと感じたところは、こだわって考えてみてください。
どちらかというと空港レポートは、表現にぎこちない文章が多い印象がありました。ポートライナーレポートは、表現が紋切型でよくないものなどが印象に残りました。
これまで読んできた図書や小説などの文章を意識的に思いだしながら、今後の勉強のために、もう一度、自分で見直してみてください。

2012年2月10日金曜日

0210 路上ミュージシャン 大学生からミュージシャンへ

内容面と技術面で指摘したいことがあります。

<1>内容面

@もう少し考察を前に進める点、考えてほしい点(できるかぎり)、

自分の将来を考えて歩もうとする二人について、
彼らの背景でもいいし、
彼らが向かう社会でもいいので、社会に対するまなざしを著者の文章で述べられないか。

社会の影響を受けて成り立つ個人、
あるいは、社会と向き合う個人、
というイメージでの考察が欲しい。

ただし、上記は、努力目標です。
次からは、実際の修正箇所です。

@タイトルの変更を求めます。

@(1)、(2)を「・・・の場合」と人物の並列に表記の小見出しにするのでなく、文字おこしの編集版で考えた、インタビューの一言などをあげる。
あるいは、自分なりに彼らのインタビューをまとめを考察した一言をください。


<2>技術面

@文体(作文の課題)
問題のタイプはさまざまですが、文章表現に難ありです。

クラス全体に伝えたい共通の課題なので、ちょっと詳しく書きます。

今回のレポートでは、フィールドノーツ、レポート、論文などの文体の区別があまり意識されていないように感じます。
フィールドワークのレポートは、いろんなタイプの情報を文字化しながら、学術の枠内に書き出すので、実は複雑です。

いろんなタイプのテキストがあるということをまず意識してください。
1)聞き取りを文字化したテキスト(聞き取りデータ)
2)自分の体験を文字化したテキスト(フィールドノーツ データ)
3)聞き取りやフィールドノーツを要約したテキスト
4)(写真やグラフの説明のテキスト:今回はない)
5)思ったこと・考えたことを文字化したテキスト(考察部分)
6)上記のテキストたちをつなげていくナビゲートのテキスト

個々人によって、それぞれのテキスト作成に得手不得手があるようです。

・今回、最終レポートを書く前から出来上がっているのは、1)と2)。
1)と2)は、おおむねそのまま使っていい。
修正が必要な場合は以下
a)長すぎたらカット。
b)固有名詞には説明を補足。語の直後に(  )内に補足を書く。
c)会話で省略語など、文字だけでは意味がわかりにくいと思うものを補足。どこまで説明が必要かは悩みどころですが。
(たとえば「AKB」→「AKB(48)」と修正し、さらに、欄外にアーティストの説明)

・特に、みなさんが今後のために気をつけたいのは、3)5)6)。
上記の3つは2)のテキストと少しタイプが違います。
特にこの授業では、2)のテキストでわりあい自由な表現を許してます(その方がみんな自分らしく書け、記録が豊かになるから)。
3)5)6)は、話し言葉の混入のチェック、論理的で妥当な文章表現の必要性、表記の統一などが求められます。
この点から、いろいろと難がありました。

もしも、わかりにくいところがあれば、メール・ブログ・snsなどから連絡ください。


最近、なぜかsnsの反応の方が早いです。
なんでだろ?

2012年1月15日日曜日

0115 調査レポート 酒造×2(スイーツ・路上、とにかくクラスへのデータ扱いの指摘)

「灘酒を伝えていくために」

授業で、話しましたが、大事な点がまだ足りないので記録します。
まず、上記のタイトル紹介を見てください。
授業の配布物とタイトルの漢字表記を変えています。
詳しくは編集の朱を入れた原稿を電子会議室に添付します。

〇長い会話の引用の修正については指摘しましたが、基本方針をもう一度、文章化しておきます。
∴会話の引用を長くするには意図が明確でなくてはいけない。
会話の流れややりとりから、語られた内容を読み解くー解釈するという意味があるときなどです。

状況説明や現場の生々しい紹介を行うために、会話を引用する場合もあります。
この場合、長い会話引用をすることで、取材課題の状況説明や紹介として、投げっぱなしにならないように注意し、引用の後に、自分なりに引用で語られている内容を咀嚼したり整理したりすることが必要です。

会話の内容は、混乱していたり、矛盾していたり、むしろ整理がついていないことの方が多いものです。
重要な話題も、そのように語られる場合があります。
で、矛盾を内包する会話を紹介し、どのように整理して理解しているか、執筆者の理解を示すことが重要です。

「日本酒を次の世代にどのようにして世間に伝えるのか」

このレポートについても、一番大事な点だけ記述します。

〇問題点をもっとも指摘しやすいのは、「b)下降要因」のMさんの引用部分です。
この引用部分で、レポート全体について再考すべき課題が明確になっていました。

Mさんの引用部分のあるこの項目では、日本酒の人気の下降について、いくつかのポイントがあげられています。
要点を図式的に整理します。
"若者ばなれ"=私たち(筆者)の考え
"食生活の変化"=Mさんの指摘
"酒の種類が増えたこと"→"選択肢が増えた"=Mさんの指摘

上記の整理と、レポートで記述されていることから、指摘したい課題は以下の点です。
∴インタビュー(実習)では、"語り手の主観的世界"、"語り手の解釈"をまず正確にとらえることが重要です。
語り手のとらえかたを重視します。
ちょっとインタビュー内容を再吟味してみようと思いますが、
語り手の話題が「その他」的に取り扱われているようにみえます。
その他としたのは、執筆者の思惑や想定にはなかったからだと思います。
インタビュー調査では、その思惑にないことが最初の発見であり、対象者が考える課題と取り組みの中心にあたります。
まずは記述され・考察をするのは、語りの内容からです。

まずMさんの語りの考察を示し、
自分たちの課題を述べる、という記述をもう少し明確にする必要があり案す。

0115 スイーツ(路上ミュージシャンも同じ)

先週の授業のなかで、取材日程の都合からレポート構成案の段階であったため、言及できませんでした。

是非、お願いしたいことがあったのですが、言い忘れたので、とりあえず、記事にしておきます。

〇インタビュー対象者の語り内容を区切り、交互に比較し登場させるというスタイルを避けてほしい。
できるだけ、K、H、Y、Nさんのひとまとめの全体像がわかるような記述にしてほしい。

〇路上ミュージシャンも交互比較は一人くらいあってもいいけど、語り内容を細切れで比較は、少なくしてほしい。

〇その依頼の理由は、次の酒造チームのコメントの理由と同じである。

0115 調査レポート 神戸空港からみる空港問題

〇書式の細かな修正点は、別途、電子会議室に赤ペンを入れた原稿をPDFファイルとして掲載しておきます。

重要なのは次の問題

〇5)神戸空港の必要性 以降、ターミナルビルの意見と空港会社の意見、と並列して記述しているところを、意見の中身のわかるタイトルに変えよう。
そして、ふたつの意見についての執筆者のコメントを入れる。

2012年1月14日土曜日

0104 実習 神戸空港・酒造 テーマ

卒論の最終締切時間を待たずに、同時進行的に、実習レポートのチェックに入っています。
やりながら、3年生で、こんなに勉強する機会があるのに、もったいないなぁと、思ってしまいます。
一通りのレポート作成上の課題や、特にデータの処理や扱いは細かな点まで、確認できるよね。
実習レポートなどで、トレーニングしてると、卒論に利するところは大きいな、と。
ただ、原稿量のノルマの差を見ると、実習レポートは頼りなく感じることもあるけど。

・三空港問題、酒造にまつわる2本のレポートについて、コメントが多いので、明日中に、ブログと電子会議室を使って、コメントを返します。

・ちょっと、言葉だけではわかりにくいので、赤ペンを入れた元の原稿を画像として、電子会議室にあげます。

・さらに、出来れば、月曜の講義授業で、今回調査のインタヴューを事例としてとりあげてみようと、思います。

2012年1月12日木曜日

0112は今日だった。前の記事タイトル間違い。 卒論の相談 ファイナル。

0111では、相談、終わりませんでしたね。
提出中日は、提出者が多いので、前の晩から届け出の相談が多かった。
昨晩は、夜中2時まで、メールでやりとりとなりました。超珍しい。

最終日まで、以下のコメントと練り直し。

○流動化する農業従事者
・農業を志向する若者を内的論理からタイプわけに弁別しようとするのだが、そのカテゴリー化の論理が弱い。
また、タイプわけすることによる整理の利点も薄い。

○企業の求めるホンモノのサービス
・企業サービスに付加する価値として、ホスピタリティ、おもてなしの思想というにあたり、それぞれの概念整理とつながりや異質性の議論が弱い。
・また、その整理に基づいて、全体の事例紹介の説明にも筋を通していかなければならないが、少

というコメントを出したのですが、とにかく、時間がきたら、すぐに手を止めて提出しよう

2012年1月11日水曜日

0112 卒論 面談

明日というか、今日、2件ほど相談あり。
12時回ったけど、まだメールでやりとりやっている。
寝る。

2012年1月10日火曜日

0110 卒論 企業の求めるホンモノのサービス

質問がありました。
ので、コメント。
最初の3つはちょっとかんがえてみて。

○言葉の整理が進んだので、議論の土台が見えてきてたのですが、まだ整理が必要です。
サービスとホスピタリティを整理してかんがえるために登場したアイデア。

1サービス:2ホスピタリティとすると
・1商業:2個人の思い=これは異質とする整理。。
・1主従関係:2心=1と2は異質
・ホスピタリティがあるサービス、ないサービス=1と2は異質
・語源からするとどうやら1と2は異質
・林田:1サービス<2ホスピタリティ=1と2は一応異質とされているが、内的に関連する。
けれど、林田のいう1)当たり前のサービス、2)気配りの含まれたサービス3)a求めていることを真剣に考え,b求めていることを越えたサービス...なんのことをいっているのか、よくわからないんです。
例えば、当たり前のサービスってどんなことだと思いますか?

○次に、上のような言葉の整理は、そのあとの章の解説で、どのように活かされますか?
どの立場を採用し、どこが不支持ですか?

○著者の紹介は敬称略してよいです

○ホスピタリティ=思いやりに設定するのは、違和感が...
医療のホスピタリティは語っても、思いやりある医療ってちょっと違和感あると思いません?
こんな意見もあるかと思うので、もっとビシバシ書いていいですよ

○基本的に議論が、企業サービスに収斂するので、ホスピタリティや思いやりと企業の収益性との兼ね合いの議論に見えてくるので、その点を処理する説明がどこかでほしいなぁ。

○無理を承知でここまで書いてますが、3つ目の○まではもう少しなにかできそうな気がします

○おわりに、はメールでたずねた考えで良い

0110 卒論 ラスト

もう提出がはじまりましたので...

○「最終チェックお願いします」という依頼は、ちょっと違うと思うので、自分たちでチェックして下さい。時間に余裕があればつきあうことも考えるけど、ギリギリで、ただ読めと、何人もにいわれても困ります。
文章チェックでかなり変わるものがあります。

○具体的に相談ごとの書いてあるものにだけ返信してます。

○内容面でのコメントに、この時点で意味があるかわからないけど、まだやれるかもしれないので、ひとつ書きます

○流動化する農業従事者について
・修正すると思うけど、2-1や3-1の小見出しの前に、単なる2や3の小見出しがありません。
・過酷な労働環境のノーツ引用が長いけど、解釈や説明がありません。
・後に登場するカテゴライズされた人々と連関するように振るべきです。

無理を承知で続けます
・せっかくノーツを利用してるけど、人々の経験や語りを通じて、農業に向かうあるいは向かわざるを得ない、内的論理の説明がまだまだです。
・言い換えると、現状の課題や将来に向けての観点が農業の経営面・労働者の経済設計ばかり目立つので、ノーツの良さがいかしきれていないように見えます。
・社会を分析するときの、さまざまなレベルがありますが、経済レベルの他をどう見るかに言及しないと、全体的な将来は語れないと思います。

・やはり、従来の農業従事者の、つまり、農家としてけいしょうされてきた農業との連関はほしい。最後にちらっと出てくるが、もっと明確にあれば、このレポートのたち位置というか、農業に切り込む角度がすっきりして、論点を明確にできる

○初日、学校いません
中日、学校
最終日、学校

○みなさんへ
提出したら、何か連絡くださいね。

2012年1月9日月曜日

0109 卒論 流動化する農業労働者

これもメールやりとりなので、
とりあえず、一見してわかることから。
「ー  ー」という記号で囲まれる見出しの書き方を整理してください。

使い方も第2章と第3章で違う。見出しのすぐ下に出てくる場合もあるので、意味のわかりにくい記号を使うより、見出しにした方がいい。

第2章ではフィールドノーツ的に、第3章では会話引用的に使われているので、章ごとに違う見出し記号でいいかなとも考えたけど、よくよく考えたら、すべてフィードノーツでしたね。
だから「ノーツ1...」とか「記述1」とか「場面1」とか、自分の使い方にあった統一感ある見出しを自分で考えてみたらどうでしょう

0109 卒論 麻雀はただのギャンブルではない

面接ではないので、ちょっと伝わりにくいと思いますが、箇条書します

〇8章までに、重複や繰り返しが多いことは、多分、書いていてわかっていると思うので、整理してください。
はじめに、1 歴史、2 ダークなイメージ、 3 現在の普及の様子、 4 魅力、 おわりに、ぐらいに。

〇歴史は、1)起源2)日本への導入3)麻雀ブーム(第1次、第2次)4)現在ぐらいに小分けに

〇2のダークなイメージでは、1)囲碁将棋との違い2)雀荘 でダークなイメージ

〇3の現在の普及では、健康としての麻雀を移動して加える、8章の第2節も加える

〇6章と7章をあわせて魅力を語る

〇8章とまとめとおわりにを全部あわせて「おわりに」にする

〇ちなみに、文献の書き方などは、「履修要綱」の説明をみる。

以上です

2012年1月8日日曜日

0108 ゼミ面接 性風俗で働く女性、草食系男子の登場

今日は学校近くの駅前で
○性風俗で働く女性
1章の後半へのつながり、問題意識
インタビューへの考察

○草食系男子の登場
説明部分の構成
キーワードとなる3類型を使った特徴の検討
3類型の内的、論理的つながり

寒ぅ

0108の予定

今日は昼ころに、学校近くの駅前で、2件ほど面接する予定。。

2012年1月7日土曜日

0107 卒論 マイナースポーツ

今日は、午前の仕事終わってから、駅前の喫茶店で面接1件。
テーマは、ハンドボールをメジャーにするには。

ハンドボールのマイナーぶりを考察する他スポーツとの比較検討部分の構成と、アンケート調査結果の数表記述のチェック、最終的な論点のチェックをやりました。
喫茶店がめっちゃ寒かったです。
座った席には、クーラーみたい風が頭上から吹き降ろしていたぜ。

抹茶のお店なのでか、表の看板がアイスのイメージが強すぎるのか、お客はいませんでした。
と思ったら、ほぼ同時に外国人家族旅行さんたちとイン。
アイスみたいたの食べてたので、さすが外国育ちは違うな、この寒いのに。と思っていました。
しばらくして、待ち合わせしてたOさんも、同じようなのを注文したので、「ええーすごっ」、とリスペクトしたら、「これ温っかいんですよ」と教えてもらい、ホォと感動。
表の看板の写真はアイスに見えるよ。寒そうに思ったよ。僕が早とちりなのかもしれないけど、あったかイメージ出した方が良いよ。一見さんにはわかりにくかったよ。

と、その後、もうひとり3年生の方と発表の相談。
しかし、かなり寒くてそわそわしはじめる。悪かったなあと思う。

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gorilla.arm@gmail.com
t.yamamoto

2012年1月6日金曜日

0106 学生運動、ドーピング、農業、漫画、裁判員制度、女性の労働

〇学生運動
それぞれの章を通じての考察の詰めについての話
・インタビューで何を得たかの強調
・ふたつのインタビューを通じての考察ポイントを作って整理

〇ドーピング
・導入部分での問題意識/目的など説明箇所の整理
・問題を承け、展望を語るまとめの確認

〇農業
特に、最終的な整理の洗練

〇世界に広まる漫画
構成の見直しがあった
世界を中心に書くから

〇裁判員制度
フィールドワーク部分の確認
陪審員制度を導入するとしたら

〇女性労働
事例から得られた知見に関する考察

明日、1月7日 予定

〇やはり、駅近くにて。
昼12:00 マイナースポーツの相談
その後、3年生のゼミ相談1件

〇ひとつまえの草食系男子の補足
ここまでよく書いたなぁと思うが、いちばんかけているのは、3分類の事例となる話題。
この時点で無いものねだりをしても無理なことなのだが、事例が必要なことだけは確か。
論じている対象がはっきりしない。

0106 草食系男子

〇草食系男子(草食ルーキー/淡泊男子/内気男子)の3分類をめぐる議論がわかりにくい。
3分類を中心に書くことを明確にしてほしい。
おなじような分類の説明が1章2章3章で登場する。
そのわりに、全体が3分類で貫かれていない。

〇文章の整理がまだのようなのであまり細かい指摘は意味がないかもしれけれども、特に2章のタイトルの「社会変化」はおかしい。「社会の変化」という表現はあるけど、「社会変化」という言葉は使わない。
「社会変動」はあるけど。

2012年1月5日木曜日

明日の予定修正(確認)

11:00学生運動
12:30ドーピング
13:00流動化する農業
14:00漫画、裁判員制度、女性の労働(?)

いろんな人からのメール連絡内容にタイムラグがありました。最終的に上記のようになりました。無理や間違いがあったら、連絡ください。
連絡は、blogのコメントが一番いいです。修正などの意見が整理できるからです。
メール内容の整理がわからなくなってきました。
メールの連絡は、「教員番号のついた学校のアドレス」か「gmailのアドレス」を使ってください。
どちらも添付ファイルごとスマフォで管理してます。

携帯へのメールは、返信に複雑な説明を書くのに時間がかかります。返信書いていると新しいメールが届いてます。
なので、今、使ってません。

あと、場所は、決めません。時間近くになったら、連絡します。多分、この前と同じです。

今、上記以外の別の2本を、チェックしてます。

明日の面接

明日、11時過ぎ学生運動
12時頃、裁判員制度
12時半ころ、ドーピング
13時頃、流動化する農業労働者
です。
場所、当日、連絡します。

メールは多いのでブログで連絡すると伝えた

久しぶりに、皆にいっせいメールしたが、場所の固有名詞が入っていたため。
あとは、メールが多いので、コメントも、面接相談の都合もブログに。
明日は、学生運動とドーピングの卒論の相談をする。
相談前に送ってくださいな。いきなり見せられてもなんとも言えないので。
裁判制度の論文は、どうしますか?

念のため6日の予定

卒業回生、みなさんへ
明日は都合により研究室にはいません。面接が必要な方は、昼頃から16時半まで、駅近辺で可能です。何かありましたらご連絡ください
年末のコメントについて、過去記事を確認ください。コメント内容は、読んでてもっともつらい点をあげています

1004 卒論スポーツのバーンアウト その1

いろいろあるが、大きなものをあげる。
1章が問題あり。
基本的な先行研究のおさらい、問題意識の整理があって、アンケート調査内容への導入となる。現状では、はじめに、という内容にあてる程度でしかない。

1004 八ツ場ダム

Facebookメッセージで質疑応答済み。