2012年6月24日日曜日

名古屋の実習の報告(5)SKEオフィシャルショップ


◆SKEオフィシャルショップ

16:00頃
ホテルのスタバのサンドイッチで遅めの昼ご飯。
ノート書きにする。
 
17:30頃
各チームが17:00頃にホテルに集まってきたのを確認した。
サンシャイン栄に向かう。
昼頃よりもっと待ち合わせの人が増えてる。

サンスタートニックシャンプーのイベントはまだやってるけれども、チラシ配りの女子がまだ配っていることの方にちょっと驚く。
ああいうバイトって過酷なんだな。
あんな恰好でいるから、へばった顔や適当な顔するわけにもいかないし、ずっと立ち回りで人を見つけて声をかける。
それが丸一日。
 
夜に向かって若者の人だかりはますます増えてくる。
昼に来たときは場所の確認だけで、ビルの中まで入らなかった。
中は、普通のファッションビルで、どこに行ったらいいのかよくわからない。
とりあえず、上にあがると、SKEのオフィシャルショップがあった。

入口では、壁枠にはめ込みのモニターがあって、ライブ風景を放送している。
壁枠にはメンバーのサイン。
その横には、会員かなにかになるための、案内テーブル。
その横には、グッズが並んでいるガラステーブル。
その横には、等身大のガラスケースに、なんとかさんが、実際に来ていた衣装。
ちょっとメイド風な、セーラー風な、どう表現していいのかよくわからない。
うーん、日本のアイドルは着るけど、韓国アイドルは着ない服。うーん。

その横は、何かイベントを見るなら、こういうふうに入会してと書いたチラシが置いてある。
どこにでもある折り畳みの長テーブル。
そして、それらの反対側の壁には、ずらっとメンバーの写真やら紹介やら。

グッズのガラスケース前にちょっとだけ人だかり。
おじいさんと孫たちのような3人、女子2人組、男女カップル2組。
男女カップルから、「たったこれだけ?」と声が聞こえた。

一人、リュックの中年風の男性が、人だかりの後ろからグッズケースに近づきたくて、おろおろしていた。
こういう人も来るんだーと思っていたら、向こうもこちらをちらちら見ている。
ああそうか、僕もそういうふうに見られるよなーと思う。

あんまり何にもないオフィシャルショップだが、セキュリティはやたらと厳しい。
若い女性スタッフが目を光らせていて、グッズのガラスケースに触るな、とか、写真をとるな、とか注意を入れている。
怖いので、少し離れたところから、入口だけでも写真をとろうとしたら、けっこう離れてるのに、すぐにチェックが入った。
おおーするどいチェックだ、と感心する。

なお、ビルの壁の特徴になっているあのシルバーの観覧車は、1回500円だとわかる。
一人で乗ってるお兄さんもいて、土曜の夕方の繁華街で一人観覧車って、勇気あるなーと思う。  
 

名古屋の実習の報告(4)矢場とん探しと繁華街

ほとんど使うことのない記述だけれども、できる限り続けて書いてみる。


◆矢場とん探しと繁華街 



エアポートウォークからバスに乗り、栄で降り、目に入った「トップカメラ」でスマホの簡易バッテリーを買う。
けど、今、自分がどこにいるのかさっぱりわからない。
雨が降ってきたので、地下に入って歩いていると、ホテルに行くのに迷っていた道に当たる。

なんとかホテル方面に向かうことができ、方向感覚が安心できるところで地上に出る。
夕食場所である「矢場とん」を探す。

自分のスマホでナビを広げてとろとろ進む。
すれ違った細面で長髪の男前、30代くらいの男性が、小雨の交差点で携帯に話している声が耳に入る。

「いや、だからそれは、言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいので・・・」
商売相手というよりも聞き分けのない女か年下に言い聞かすような、圧力ある口調。

もうワンブロック進む。
もう少し若い、これはもっとはっきりとホスト風の長身の伊達男が、やはり小雨が降っているのにもかかわらず交差点で、携帯で話しこんでいる。
茶髪に長髪、ブランドのワイシャツ、黒パンツ、黒いシューズ。
ベルトがエルメスだから、服装もそれらしいブランドなのだろう。

矢場とんのビルってこの辺だよなーと思って、スマホのナビを出していると、携帯で話すお兄さんの声のトーンがだんだんあがってくるのが聞こえた。

「言いたいことがあるんだったら、はっきり言えばいいんだよ」

寝不足で自分の頭がおかしいんだと最初思った。
今日はきっとはっきり言えない人がたくさんいて、はっきり言えばいいじゃんとむきになっている人が多い日なのだと思うことにした。

すぐに、矢場とんは黒いガラス壁のおしゃれなセントライズビルの地下にあることがわかった。

そこから、ホテルの方に歩くと、風俗店のお店がけっこうでっかい看板で出ていることがわかった。
ああ、ここはそういう界隈だったかなーと、思う。
後でみんなで矢場とんに向かうときは、こういう看板の無いパチンコ屋の前を通ることにする。

こういうのは、わかりやすい都市と見た目で感じさせない都市がある。
ここは、わかりやすい方だと思う。
そのように考えると、今立っている街は猥雑な繁華街で、一筋入った裏側の街や通りはもっとゴミゴミしてていいのだと思う。
けれども、この街は、歩いてて通りがきれい過ぎる。
カラスが3羽、車も通る道を堂々と歩いているが。

しかし、道幅が広めで、ビルが高く新しい感じだから、きれいに思うのかな。
もっと雑多なごみごみしたところは他にあるんだろうな、と期待することにする。

さて、ここまで書いたので、もうちょっとちゃんと書く。
名古屋栄東急インは「広小路通り」という大きな通りに面している。
ここから、地図上では北へ向かう。
すると、すぐに「錦通り」というもうひとつ大きな通りに出る。
ホテルから東へ、つまり地下鉄の入り口の方へ行けば、「広小路七間町」「広小路呉服町」という交差点がある。
ホテルから西へ行けば「広小路本町」という交差点である。

本町(通り)や七間町・呉服町(通り)の交差点から、北へ錦通りを過ぎてずっと歩けば、まっすぐ名古屋城ということである。

錦通りを過ぎた辺りは、錦三丁目という町で、やっぱりいくつかの有名なビジネスホテルがあるが「錦三」として親しまれる繁華街である。

だいたい、この辺りが昔の「飛田屋町廓」…つまり遊郭があったとされる花街である。

ただし、遊郭自体は、けっこう時代によって場所が変わっているらしい。

飛田屋というのは、名古屋城築城の折りに徳川家が作ったり、その後廃止されたりというものだったらしい。

今日行ってきた、熱田伝馬町あたりにも移転されたり何やらという話があった。

大正からは名古屋駅西側の辺りの中村地区の方が有名らしい。

遊郭のことなどは、大通りの広小路通りに、郷土の歴史パネルが随所に設置されていて、解説もされている。



1736年の伊藤呉服商から百貨店


「名古屋の繁華に京がさめた」


「本町通りのにぎわい絵巻」 


空前の活況の後、「夢の後」


上の写真の下から3つは同じパネル。
解説は、だいたい次のようなことが書かれている。

「1730年第7代尾張藩主 徳川宗春は、幕府8代将軍 徳川吉宗の享保の改革への反対派であった。
質素倹約の改革の方針に対し、商業や芝居・興業などを自由化し、倹約令で停滞した名古屋に活況をもたらした。
当時、”名古屋の繁華に京(興)がさめた”と呼ばれた。
絵巻物の絵は、当時の広小路から門前町南までのにぎわいを描いている。
食べ物屋や呼び込み看板から描かれており、とりわけ芝居小屋と遊郭が詳しい。
住宅地図のようなものは、当時にぎわった”富士見原””西小路””葛町”の遊郭を示す資料である。
当時を忍んで、宗春没後、”夢の後”という名前で知られるようになった資料である。」

一番上の写真は、三越デパート前にあるもの。

「1611年織田家小姓の子孫、伊藤蘭丸が名古屋本町ではじめた呉服小間物商いは、1959年名古屋茶屋町の呉服小間物問屋に発展した。
伊藤家は代々”次郎左衛門”を名乗る。
呉服小間物問屋は1736年に呉服太物小売商に転業し現金掛け値なしの正札商売をはじめる。
名古屋がにぎわった頃だ。
やがて、1910(明治43)年には”いとう呉服店”が名古屋初の百貨店となった云々・・・」
・・・ということである。