2012年2月19日日曜日

0218 極寒の体育館の集会で

むっちゃ大雪のなか、朝からPTAの集会があった。
体育館での講演は、本気で凍傷になるかと思ったわ。
役回りで参加したクチなので、えらそうに言えませんが・・・
本音を言えば、仕事、家に溜め込んで散らばったままだし、役員の別の仕事でけっこう時間とられてるし、集会休んでも許されるかなーと思ってるような、いわば、忙しいのに参加してやるからなという上から目線の黒い心境になっているような塩梅でした。
(関係者のみなさますみません。イベント開催のご苦労お疲れ様です。)

とにかく、寒すぎて、帰りは足の感覚復活のためにほとんどランニングで帰宅したくらいである。
講演途中でも、何度か空きスペースで踊ろうかと思った。
踊ってても、講師の先生も許してくれるのではないかと、逆に、一言突っ込んでくれるんじゃないかと思ったし。
ただの目立ちたがり屋だと思われる可能性も大きいのでやめましたが。
とにかく、持っていくはずだったホカロンを忘れたのを悔やみ、パッチなど下着はかないというやせ我慢主義を改心しようかと後悔していた。

講演は、大事なことは全部ドラえもんに教えてもらったの著者、久保田先生だったので、とても面白かった。
前半までのPPを使った語りとドラえもんの場面紹介のタイミングのよさに、妙に感心していた。
ただ、ご自分のノリを優先されるという話の枠組みから逃れられず(あるいは、逃れる気がないのか)、ドラえもんエピソード中心のお話で十分引き込まれるのに、なぜ、そこにこだわり知識を入れ込む、と思わさせられる場面が何度かあった。
特に、終盤のそれは、寒さに応えた。聞いてるみなさんには、聞き入っている人も多かったと思うから後半は削ってもいいのではないかと思った。こんなところで、つまらない指摘をしているけれども、自分が話し手となったときに、同じような突っ込みをもらっているので、すんごく自分を振り返ってしまった。

さて、いまここで、フッと思い起こして書き起こせるくらい、特に印象に残ったドラえもんからのエピソードは3つある。
この記事はこれを書こうと思って始めたのだった。

ひとつは、ジャイアンやスネ夫は幼稚園の時分から、のび太を泣かせていじめ抜いているのであるが、ジャイアンは決してのび太を毛嫌いしているのではないようだ、ということだった。のび太もまたジャイアンを吐き気をもよおすほど嫌ってはいないのであった。ジャイアンは、おもろい奴で、のび太がいなくなるとわかると真っ先に別れを惜しみにくるような奴でもあり、彼らはそういう付き合いなのであった。
これは、漫画だ。藤子先生たちの頭の中の出来事だと思っても、そういうことなんだよねーと思う自分がいた。

これに関係するようなこととして。ジャイアンは、親父やおふくろにシバカレながら育ったやんちゃ坊なので、自分も腕力にもの言わす、暴力的な奴になってしまってるわけなんだけど、それをどう見るか、どう受け止めるか、という社会のありかた・コミュニケーションについて考えてた。

もうひとつは、のび太は、どんくさい上にグータラで、そそっかしく、せこいことばかり考えていて、権力を握ると実は底意地の悪い面も見せる。
ときおり人を感動させるような名言を吐き、英雄のような決断を下すときがあり、人の痛みを思いやるようなことをいう・・・つまり彼は人そのものなのだな、というのを再確認した。