2015年8月22日土曜日

「万治の石仏」の平成版”Reパワースポット化” (下諏訪 後編)

「春宮」

着いたのは夕方5時頃だったけれども
男女のカップルだったり、
親子でもなさそうだけど、微妙に年の違う男性二人連れだったり、
何組かが熱心に祈りを捧げている。

春宮は秋宮より規模は小さく、町のお宮の雰囲気がある。

「春」の宮らしく、農作物の豊年を祈願する祭祀も見られる。

・・・。次。



あげあげスポット「万治の石仏」




















「万治さん」の石仏ではない。
「万治」は元号である。
 建立が、万治3(1660)年ということである。

「建立」というのは、これは明らかな仏教系施設である。
 以下のサイトに、誕生の宗教的な由来が詳しい。
『信州しもすわ:「万治の石仏」から楽しむまち歩き』

教育委員会の資料には、
大日如来の密教曼荼羅と阿弥陀如来を収めた石仏、
同体異仏の信仰の対象だそうで、弾誓上人を祖とする
密教信仰の浄土宗の一派と説明がある。


















サイトは、やたらと万治の石仏関連情報が充実している。
上の写真はそちらから。


一方、

「万治の石仏」から楽しむまち歩き:万治の開運数を解き明かせ


石仏のエピソードをまじめに紹介するかと思いきや、
開運クイズをサイトのコンテンツにしてる。


グッズ化も進んでいる。











CDも発売された(同サイトより)

”「万治の石仏」のイメージソング「万治の風」好評発売中”

元、「青い三角定規」のメンバーがプロデュースしている。

愛されてるな、セキブツ。

訪問当日、石仏の周囲には可愛らしいノボリがあった。

「万治の石仏 フィギュア 誕生」

オルゴールよりインパクトあるのだろうか。

欲しい。


さて、

石仏も、パワースポット化が進んでいた。

ここで、わたくしが言うところの「パワースポット化」とは、
「礼拝についての一定の様式化が進んでいる」
ということである…などと定義的に書いてみる。

訪問したとき、ちょうど居合わせたカップルが、
礼拝説明書に沿って回っているところであった。

下諏訪観光協会・下諏訪商工会議所が
万治の石仏の参拝方法を以下のように提唱している。

「一、正面で一礼し、
手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。

二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。

三、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する」

なんで、商工会議所に礼拝を仕切られなあかんのだ。
なんか信仰もみんなマニュアル化されてるみたいでイヤだっ!!

とか、現代社会を憂えてみたくもなるけど、

よく考えたら、文化や伝統などは、

日本では特に様式美を求めているわけで。

このような様式化が積み重ねられて、

文化的に格上げされていくんだよなー、

と何人も言っていそうな文化論を頭の中でなぞる。




…(余談)


新たな疑問。
下諏訪の温泉は、みんな熱いのか?

…最後に、温泉入って帰ることにした。
この旅の最大の目的である。
町の銭湯風である。
















お風呂のお湯が熱すぎて、浸かってられへん!

お腹までぐらいしか浸かれなかったんは、
山代だったか片山津だったかの総湯以来の経験だ。

浴槽が二つあって、一つは「熱いです」
と書いてあって、もうひとつは「ちょっと熱いです」
と書いてあった。
たしか、二つとも40度以上だったと思う。





訪問日7月24日

諏訪大社で、肉のお祓いの札を(下諏訪 前編)

何かのついでの観光なので、あまり時間がない。
とにかく諏訪大社下社の秋宮から春宮まで歩く。

全国約25000柱の諏訪神社の総本社であり、
創建も不明の日本最古の神社のひとつと数えられる。
御柱祭りは、世界に名だたる神事と知られ、

諏訪大社四社を巡る御朱印めぐりを、
静かなブームとなりつつある。
町を歩けば、諏訪という地域が
日本の歴史のなかでいつの時代も話題になっていたことがよくわかる。


郷土の歴史を掘り起こし、現代にアピールする意識も積極的に感じた。
郷土の文化(歴史)と地域のまちおこし。
古代からの神社。手ごろな距離感で歩める歴史街道。
日本の近代化を示唆する産業化… 
… 

… 歴史紀行かっ このブログはっ Σ\( ̄ー ̄;)


本題っ

諏訪大社に行きたかった。
なぜ諏訪大社なのか。

なんか獣系の儀礼の影響が残っているらしいのである。

興味あるのは、肉食系の儀礼である。
お米系、稗・粟、ばかりでなしに、ということが面白そうなのであった。

で、その肉食系の儀礼について、
古代―縄文時代あたりの文化の遺産と言っていいのか、
その後の山の民のみなさんに受け継がれてきた文化と言っていいのか、
あるいはその両方と言っていいのか、
そのあたりは、歴史の専門の方々におまかせ。

しかしながら、
「歴史のなかの米と肉」(原田信男)や*
「日本人の宗教と動物観」(中村生雄)とか
「神、人を喰らう」(六車由美)とか*
「秘剣 こいわらい」(松宮宏)(これはちょと違うか)
とかの、ファンを自認しているわりには
諏訪大社に行ったことないのはアカンなー
と前から思っていたので、
ようやく念願かないました。

諏訪大社のHPはコチラ
全国●●●の諏訪神社の総本山である
諏訪大社の概要はコチラ



「肉のお祓い」


下諏訪を歩き回るだけで日が暮れてしまった。
ありがたいことに、下諏訪の秋宮の駐車場は、
日が暮れても空いている。

しかも、有名な観光地なのに、無料だ!!
諏訪ってエエトコや!とひとりごちながら、
車降りた瞬間に山鳩にフンをかけられるというイヤなはじまり。














秋宮では、入るやいなや、これが四柱か!
と、やはり独特な神社景色に気がひかれたが、
すぐに目当ての「肉食のお祓いとそのお札」にぶちあたった。
 (この看板の写真がなぜか無くなってしまった。)


サスガ諏訪大社や、
こんな簡単に獣関係の祭祀資料にお目にかかれるとは、
と、なにが「サスガ」かよくわからん感想が頭をよぎる。

翌日、「肉のお祓いの発売」については
微妙な背景があることを知ることになる。


「下諏訪宿」の町の様子


秋宮を出ると、すぐそばに歴史民俗資料館がある。
諏訪湖博物館の分館になる。
江戸期から続く街道筋の商家を博物館としている。

1階は御柱祭りのおおきな注連縄がメインだと思うが、
商家の作りと調度品の方に目が行ってしまう。

2階の3室がメインの展示室のようである。
江戸時代の中山道の宿場「下諏訪宿」、
幕末の事件の史料、「皇女和宮降嫁」、水戸天狗党の合戦、
赤報隊の史料である。

宿場町の史料が気に入る。

↓ こんなんとか。 











あまり、大した内容のないまま、
やはり内容のない後編へ続く。


(後編 諏訪大社 下社 パワースポット。
     そして、パワースポット化する、「万治の石仏」。
 結局、最近のネタは、パワースポットばっかりかっ! へ続く )

2015年8月21日金曜日

(蹴)ガンバvsリーベル・プレートでリーベルのファンになる

データ処理の合間のひとときはブログ書き。


ガンバ大阪vsリーベル・プレートのカップ戦に、息子を連れて行ったときのこと。

ちょっとアウェイ側の席についたので、まわりはリーベルファン、というか、アルゼンチンサッカーファンが多かった。

で、すぐ傍に、下の写真のサポーターがいた。













で、息子が、スマホを触って、そわそわそわそわ、している。

なにかっていうと、写真の松葉杖の彼が、アイマールではないか、とゆーのである。

アホなことをいうな。
この席の周りには、ネームにアイマールと入ったアルゼンチン代表ユニを着込む筋金入りのサポーターがあちこちにいるのだぞ。
そんな連中が、そんな彼をほうっておくわけがないであろー。

息子が(スマホ検索して)見つけた情報では、たしかにリーベルには引退したアイマールがサビオラとともに復活する、という話が持ち上がっている。
しかし、彼は、今、右足を怪我しているとか。
そして確かに、松葉杖の彼は、右足を怪我しているのである。

だがしかし。
そんな選手が、こんな安い席で、日本人の女性連れで座っているか?

そんなことを言っていると、アルゼンチン代表ユニ姿のおじさんが彼の横に座りこみ、なにやら熱心に話しかけはじめた。

彼がたちあがって、グランドの選手たちに気勢をあげると、テレビカメラが抜いてくる。

息子、そわそわ。

違うって。
アイマールって、もっとアフロなヘアだし、もっとおじさんになってるって。
こんなところに座ってへんって・・・などと楽しげな夢想を話しているうちに、

息子さんは、リーベルのユニ欲しいというような、リーベルサポになってしまったのだった。




2015年8月16日日曜日

(展)河鍋暁斎記念美術館は、住宅街の中にありました

(ずっと前の下書き記事公開)

やっと行った、河鍋暁斎の美術館。

埼玉の住宅街の中にある。

千葉大に寄った後だったので、
ずいぶん遠回りになった。

小さいカフェとグッズショップをくっつけた
こじんまりとした住宅を改良したミュージアム

僕の後には、若い男の子が一人で入ってきた。

残念なことに撮った写真が消えてしまった

もう一回行くしかない

http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm