2015年12月9日水曜日

(展)萌える石川県立博物館へ急げ

萌える。
 リニューアルされた石川県立博物館は、萌える。
 萌える県立博物館に急げ!!

急ぐ理由は、お客がどうみても少ないから
すなくなりそうな気がするから。

マイナー好きの自分は、
お気に入りはすぐになくなる経験多し


萌えるの1 赤レンガのツインの建物


萌えるの2 縄文犬!のレプリカ
     縄文犬の墓!の写真 

縄文時代には、犬の墓があるのです。
その後の時代は、たしか江戸期でしたが、
そのくらいまで、出てきにくいそうです。


萌えるの3 江戸の町人フィギュア!

絵巻からフィギュアをおこしている、
よくあるかな、とも思うものだけど、
何をやっているのか、見ているだけで楽しい。


萌えるの4 熊のしゃれこうべナギガエシ の再現

個人的に、この儀式が一番気になる。
白山麓の村に伝わる、山の民の儀式だと思う。

米でなく、熊がメインの供物である。


萌えるの5 イラストかわいい猿鬼伝説

能都のサルオニを
京の貴族が退治するとは
なにを意味するのか


萌えるのその6 でっかい獅子の面


あれ?
そういえば御陣乗太鼓ないな


あと
紀尾井町事件
内灘闘争

とか、
興味を引く事件もある。

もう少しがんばって、

内灘の歌劇団まで

展示したらいいのに、
と勝手なことを思う。



個人的に、
上の萌えグッズを
ショップで売り出して欲しい。
ここのミュージアムショップは
渋好みともいえないぐらいに、
渋々すぎる。

展示解説目録も手頃なのがない。

グッズとか
あったら
絶対買う、と思う。

なにせ、もう2回も入館料払って
見てきてるんだよねー。 
 

http://ishikawa-rekihaku.jp/石川歴史博物館

基本、士族の世界が中心ですけど

2015年12月2日水曜日

(展)影絵を作り出す実物装置の展示が、すごい世界だ。『光と影の芸術人 藤城清治』

海遊館の隣の、文化館。
なんて名前だったっけ?

『光と影の芸術人 藤城清治 展』に
いつだったか行ってきた。
(このブログ記事公開時点ではもう終わってます)

いつだったっけ?
学園祭で授業が休みのときだったと思う。

藤城…聞いたことのあるような名前。
多分、影絵とかの人じゃなかったけ?

いつものことで、よく調べていない。
なんとなくの記憶だけで展覧会へ。

かなり有名な人らしいことはわかった。
24時間テレビでも制作がドキュメントされた。
・・・というよりも、
作品を一目見たら、ああ見たことある・・・
と誰もが思うだろう。

日本の影絵の歴史みたいな人である。
現在、91歳になられるそうだが、
制作意欲はまだまだ旺盛らしい。

6メートルのキャンバスに鮮やかに描かれた
大阪を一望する巨大な影絵は、
去年あたりに創られたもので、
制作途中で脊椎圧迫で机に座れなくなり、
手術をしながら描き切ったそうだ。

脊柱の大病によって
見えてきた人生の喜びと希望についても
直筆メッセージが寄せられていた。
恐るべし。

藤城さんは、私たちのよく知るところでは、
ケロヨンの作者でもある。
そんなふうにいうよりも、
僕らぐらいの年齢の人からすると、

見たことある・・・で見てみると、
宮沢賢治の銀河鉄道などなどの話とか
セロ弾きのゴーシュとか、
松谷みよことか、
影絵で小人が出てくる映像…
と言ったら、すぐイメージされる「あの絵」
の人なのである。

…それはそうと、展示の方法がかなり豪華である。

少なくとも140点。
映像動画展示が数点あり、
独自の仕掛けがあるケース付き展示、
展覧会用の独特なモニュメントスペース
影絵の舞台裏装置の実物稼働展示。

専用の美術館みたいだ。

自分自身の好みの絵柄は、
1960年代に制作された西遊記の挿絵たちだった。

これはモノクロのみだった。
他の、独特な構図に幻想的な色使いが施され、
物語性を呼びかける美しい影絵たちとは
少し違うように思えた。

シャープなだけじゃなくて、
絵の登場人物の表情やキャラクターが明確で、
そして絵全体の動きがダイナミックに感じた。
アニメーションの1シーンを
切り抜いたようだった。

影絵は美しい。

2015年11月29日日曜日

(映画)その者、蒼き衣を纏いて・・・のハンガリー版  『ホワイト・ゴッド』

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』

ここのところ、連日、3・4時間しか寝てられない。
そんな土曜にぽっかり空いた午後は、
ストレス解消の映画に限る。
途中で寝るかもしれないが、
家に帰る道筋がもうもめんどくさい。

そして、今回も聞いたこともない、
おかしな映画をチョイスしてしまう。

『ホワイト・ゴッド 犬と少女の狂詩曲』
ホワイト・ゴッドって何だ?

知ってて当たり前のことを
また、知らないのかもしれない。
なんか犬が復讐するらしい。


*******

主人公のリリは離婚した母と暮らしていたみたい。
お母さんが、豪州に数か月の留学が決まった。
リリはちょっと煙たいお父さんに預けられる。
そこから物語ははじまる。

お父さんの仕事は、見ていてちょっと興味を引いた。
日本でいうなら、屠場の衛生士のような仕事だ。

留学する元妻とは違って、
自分自身は大学の職ではなくなり、
食肉加工施設の一介の職員という点が
ちょっと気がひけている感じである。
しかし、そこには日本のような屠場自体への特殊な思いはない。

ところで、リリは、
いつもゴールデンリトリバーの雑種犬
ハーゲンと一緒だ。
いや、ボクサー犬が入っているのかな。

ま、とにかく、関係がぎくしゃくしているお父さんは、
犬と一緒はごめんだと言っている。

ハーゲンは寝室から追い出され、
浴室に閉じ込められてしまった。
吠え止まないハーゲンをかわいそうに思ったリリは、
トランペットの音を聞かせながら、
お父さんと二人きりの最初の晩を
ハーゲンと浴室で明かすことになった。

町ではその頃、雑種犬は税金を払うという
条例が定まっていた。
払わなければ、保護観察所に犬は移送される。
保護する、と言っても処分されるのはわかっている。
ハーゲンはアパートメントの住人に見とがめられ、
市の職員がお父さんに税金を払え、と言ってきた。

頭ごなしの職員を、お父さんは追い払ったが、
リリは心配で、ハーゲンを家に置いておけない。

学校のブラスバンドの練習にも連れて行ったが、
練習中にハーゲンが暴れてしまい、
一生懸命やっていたブラスバンドからも脱退を命じられる。
学校で一騒動を起こす悩み盛りのリリを
扱いきれないお父さんは、ハーゲンを棄ててしまうのでした。

*******

ここからは、ネタバレ注意…というか、
映画を見てみたい人は読んだらいけないことを書きます。

物語は、ここから二人の物語として進みます
一方は、リリの思春期の成長の物語、
お父さんとの絆の再生の物語として。
もう一方は、ハーゲンの犬残酷物語として。

まとめます。

最初、
少女の成長と家族の物語としてはじまり、
「ワンサ」くんや
「チャロ」の物語の要素も入りつつ
基本、『犬の心臓』のように進み、
『白い戦士ヤマト』をえぐくするとこうだな、とか、
『ベルカ吠えないのか』思い出したりしてるうちに、
「ロッキー」かい!と突っ込みも入れたくなります。
結局、「クジョ―」じゃん、「鳥」じゃんという思いになり、
仕事人か、「ダーティハリー」みたいな登場すんじゃねえよ、
とにやついてい突っ込んでいると、
娘のストーリーは、「レス・ザン・ゼロ」の世界さながらで、
しかし、この前見た「ザ・トライブ」ほどの荒れじゃないから、
父と娘の再生が進んで行って、
最後に、荒ぶる犬神さまたちを
「風の谷のナウシカ」のようにお迎えするようになるのです。

オフィシャルサイト記載の監督弁では、
ホワイト・ゴッドは思いついた言葉だそうで、
白人だけの・ためだけの、という意味も含めた「ホワイト」、
それに対して、万物への主を示す「ゴッド」という意味の二つで、
対比や矛盾の意図があったそうです。
説明聞くと余計よくわからんようになったけど。

次作は、
覚醒したリリ・人々を導く、
・・・としてほしいところです。

・・・こんなふうに書きましたが、
僕は好きです。

ちなみに犬好きの方は、
やはりあまり見ない方がいいと思います。
犬残酷物語はかわいそうです。

けど、もうひとつの感想も出てくるでしょう。
僕は映画の途中で、「役犬」たちに拍手を送りたくなりました。

映画のエンド・ロールでは、
ちゃんと登場した「役犬」たちもクレジットされていました。

2015年10月2日金曜日

守矢資料館のふわっとした感じと諏訪大社の肉のお祓い

















神長官守矢資料館では、

学芸員の方が常駐してらして

説明してくれるんだけど、

おもしろおかしい説明口調になりがちなのが

印象に残った。

「こんなんやったらしんですわ」

という感じで。


そういう感じなのかな、と思っていたら、

chin-delさんのブログにも似たようなことが

書いてあったので、ちょっと安心した。


結局、この資料館のことを

たのしくわかりやすく知りたい方は

こちらを参照くださればよろしいかと。

珍スポットをめぐり、撮影するモデルだから
チンデルさんというそう。

知性派美女のおもしろスポット巡りブログ。

このブログより全然面白いので、

そっち読んでればこっちのブログは

要らんようなものだが。


・・・・・・・

ところで、モリヤ色の強かった

諏訪大社の肉にまつわる儀礼だけど、

蛙狩神事が話題になるくらいで、

今ではすっかり下火になっていたのであった。


それは、前回の原田先生の議論によれば、

肉の文化の衰退であって、

下諏訪の宮などは、まったくの米の神事に

なっているのであって、下諏訪では肉の

雰囲気が上諏訪の本社ほども感じられなかった。

神事はやっぱり米が主となっていったのだろうか。


ところが、やっとひとつだけ、上でも下でも

諏訪大社に獣肉にまつわる神事を見つけることができた。

それは”鹿肉を食することの免状”である。





















写真は、神長官 守矢資料館用の印になっているが、

諏訪大社では、肉食のお払いの儀式

をやってくれるそうである。

お払いの儀式とともに、写真の免状がいただけるらしい。


連綿と肉の儀礼は続いてきたのだなーと

ひとり、感想を抱いていると、

全然違う経緯の話を聞いた。


肉のお祓いをやって、

料金設定まで広告するというのは、

最近までやってなかったそうで。

写真の免状も最近になって、
復活したそうである。


狂牛病騒ぎ以来、

世の中で、肉食の不安がたちあがってきたときに、

やおら、肉のお払いをやる神社ですよ、と、

かつての文化が再注目されたというべきか、

持ち出してきたというべきか。


神の効能も、日和見だなー。

首、首、首。首の陳列が意外に怖かわいい。守矢資料館。


















やっと来ました。 神長官 守矢資料館

諏訪めぐりで絶対行きたかったスポット。




この資料館の主目的は、

「猪鹿の首の羅列」

とか、

「串刺しのうさぎ」

とか、

「脳みそとか内臓の模型」

ではなく

”古代式の漆喰の建物の再現”にある。
らしい。


けど、明らかに狙ってると思う。


古代式とは、建御名方命が
諏訪にくる前くらいの古代。

展示の猪鹿の首や串刺しのウサギは、
諏訪大社前宮-本宮の「御頭祭」の
儀式の再現である。

日本のフィールドワーカーの元祖というか
風俗学の始祖というか、
菅江真澄が記録した諏訪大社の奇祭から
再現されているとゆーのである。

その奇祭とは、建御名方の来訪前の
地元文化だったと考えられている。

前記事の大祝(オオホウリ)という現人神や、
前宮-本宮の贄の儀式も、
地元文化の名残と考えられている。

で、その地元民を代表するのが「洩矢神」
モレヤノカミなのであった。

モレヤノカミはタテミナカタノカミがくるまでの
この土地の支配者であり、呪術者であった。

タテミナカタの支配となっては、モレヤ一族は、
神長官として、残ってきたというのである。

モレヤ一族は、
一子相伝ながら、呪術を伝え、
明治の頃まで怪しげな儀式を行っていた、
時の権力者により、禁止されるに至った。

ところで、モリヤ色といえる、
諏訪大社の前宮-本宮の神事は
日本の神社・祭礼のなかで、生贄の文化が
とても印象強いものになっている。
なぜなら、多くの神事は米にまつわる祭事
が占めるからである。

この特徴は、この土地に、
建御名方を代表とする天皇家の支配が及ぶ
それ以前の土着の文化の名残りである。

土着の文化とは、それは要するに
肉食の文化としてあったのである。

あるいは獣肉の文化というか。

原田信男先生の
『歴史のなかの米と肉-食物と天皇と差別』
の図式では、
建御名方の諏訪来訪と統治の物語は、
天皇家が代表する米の政治が、
土着の肉の文化を
徐々に凌駕していく歴史的転換点を示している。

御頭祭の猪や鹿や兎やさまざまな肉は、
儀礼のあと、神官たちが食していたそうだ。

その儀式は、現在では、酉の祭の贄膳や、
資料館の首たちのように剥製になったそう。


















・・・・・・・・・

またお勉強モードになってきたし、

一記事の容量制限になってきたみたいなので、

ちょっとした続きは、別の記事に。

2015年9月11日金曜日

前宮に比べると、本宮は神社文化のてんこ盛り さすがっ諏訪信仰


前宮に比べ、本宮は神社の文化が咲き乱れ。
神社とともに発達してきた
暮らしの文化の諸側面を考えてしまう・・・

「神社の文化」ってなんだ?

ここで考えてる「神社文化」とは、
宗教的な宗旨の内容や、建造物、神事儀式・
儀礼など宗教民俗だけでなく、
神社をとりまく地域社会の生活全般の意識や
習慣も含めた漠然とした言葉である… … 

こんな言葉の遊びは、
どうでもいい!!
もっと、ダラダラしよう!


まじめな神社参拝情報などは、コチラのサイト
ご確認していただくことにして。
『諏方大明神画詞紀行 諏訪大社と諏訪神社 附神社参拝記』八ヶ岳原人


前宮と本宮の違いっ


本宮の周辺にはみやげ屋や食堂がある!

これがすぐに気が付くことであるっ。

本宮は社務所に祈祷の受付があるっ。

お守りも販売しているっ。

つまり、境内は信仰者と観光客で賑わう。


なぜか、巫女だけでなく
神官姿の人も若い人が多い。

前日の、秋宮でもそう思った。


巫女姿や神官姿の”若い職員”がいるっ

職員って感じるんだ。

本願寺の職員っって感じに似ている。

本願寺の方がワイシャツ姿なので、
より一層、職員って感じだけど。


…若い神官と巫女が結婚の儀を執り行い
観光客がそれを写真におさめている。
それが本宮である。


▼宗教施設の特徴はご存じのとおり。


一之柱、二之柱・・・もちろん4柱が囲む。

諏訪を歩くと、大小様々な規模の神社で
必ず4柱が揃っているのが面白かった。










本宮のすぐ隣には、大国主命の社がある。
国譲り神話のオオクニヌシノミコト。















祭神の建御名方命(タケミナカタノミコト)の父。

でも社はちっさい。

どーでもいいことだが、このブログの
日本神話記事でよく使っている
「完全ビジュアルガイド」(カンゼン社)の、
神様はかっこいいのだが、6p-7pの絵は、
タケミナカタとタケミカズチの絵の説明が逆。
誤植である。


▼境内には等身大の力士・雷電の銅像が。
タケミナカタは相撲の発祥の神話を持つ

相撲の発祥というと、
ノミノスクネの相撲も有名だが、
こちらの方が古い話になる。

ノミノスクネは、土師氏の祖先。
殉死儀礼に心を痛め、
代わりに埴輪をおさめるようになった
というもうひとつの有名なエピソードで
我慢していただこう。


本宮は、こうしていろいろあるので、
関心高いものだけを以下、まとめる。

▼神楽殿に大きな太鼓が並んでいる


湿気が少ないので、特に保管庫は用意せず
神楽殿に安置したまま保存されている。










牛一頭の一枚皮からできている大太鼓で、
日本では最も大きい太鼓と言われている。

現在では、こんな太鼓が作れない。

こんな大きな皮をとる牛がいない。


▼巨大絵馬が飾られた、神馬舎
銅製と木製の神馬が安置された屋形である。

現人神・大祝(オオホウリ)が馬を駆ることが由来
とあるが、これは、
祈願のため絵馬を奉納する起源とも言われる。


▼回廊の横に絵馬を集めた絵馬堂がある。
一面、馬だらけの何かの戦記のような絵馬。
タケミナカタ以来、諏訪は軍神とも呼ばれるわけで。











明治35年の、何かの物語の一場面のような絵馬。
女性の胸のあたりの描写をみていると、
どんな奉納で、なんの祈願なんだろう。












前日の,町屋になっている資料館で見たのが
湯女ふうの女性のはだけた姿の風景だったが

おっぴろげであけすけな性の文化。

神社の性的な側面を、こんなむきだしで
猥雑な感じで見れるところは、今、少ない。
うれしい。

一昔前だったら、よくあったかもしれない。

今は、殺風景か荘厳かのどちらかだし。

寺院とか神社ってHなのありだったんです。


▼・・・動物に戻ります。

神馬舎そばに、樹齢約千年の大欅がある。

「贄掛けの欅」という最古の樹木
…のひとつ…と言われる。

贄や御狩(ミカリ)の獲物を掲げる欅である。


諏訪信仰の対象なのか、

パワースポットとして紹介されているのか、

本殿に参るよりも熱心に欅に礼拝する人が
ちらほらいる。


▼贄の話は、マスコミで話題になった。
蛙狩神事(かわずがりしんじ)のことかな。

かわずがり、とは、
鳥居脇の湧水で確保した
カエルを捧げる神事。

弓矢で蛙を串刺しに・・・
という説明も出てくる。

うほー。


先ほどの八ヶ岳原人さんのブログ
神事の様子が紹介されている。

これだと、欅は、使っていないのかな。

この神事が、国内の動物愛護団体から
残酷すぎる、と非難されている。

「全国動物ネットワーク」からの要望書

シーシェパードではない
国内からの批判である。

「カエルの人形に変えたら」
とかいう提案もあるらしいが、

「伝統行事なんで、どうも」
という感じでつっぱねてるらしい


贄といったら

▼鹿や猪の生首、兎の串刺し


の行事の方は、

いまやすっかり剥製になったらしい。

有名な御頭祭である。

狩猟・肉食の名残りの古代神事とも
考えられている。


では、この旅のメインイベントの

守矢資料館に行ってきますっ。



(追加)
ところで、蛙狩神事のカエルって
終わってから食べるのかな?

御頭祭の猪・鹿・兎などは
終わった後で、みんなで食べたらしいんだけど。



(2015年7月24日訪問)



2015年8月23日日曜日

諏訪大社 上社:さっぱり・すっきり前宮 これぞ神の降り立つところ

下諏訪の翌日、諏訪大社上社にも行った。
諏訪大社は上と下に二社ずつ。
上諏訪の諏訪大社の二つの社は、
「前宮」と「本宮」と呼ばれる。

より小さい「前宮」は、諏訪大社の4社中、
もっとも古来からあったとされている。

「本宮」より昔からあったということだ。

そして、その前宮ができる以前から、
諏訪には古い宗教儀式があったとされている

諏訪大社の後、守矢資料館で聞いた話。



前宮には、大仰な社はない。
御神宝が安置、御巣始の祠、四柱は
一応はある。

「諏訪明神は神体なく大祝(オオホウリ)をもって
神体となす」といわれ、現人神のような
神官のようなものがおったそうな。



 













弥栄の鈴を持ち、
真澄の鏡をかけ、
馬具をたずさえる。

現人神、大祝のいでたち。

大小の蛇形の御体というミシャグジ神とともに
大祝と神官たちが冬ごもりをはじめる穴巣始
(アナスハジメ)は、旧暦の12月から3月まで続き
土室で神秘な祭祀が行われたという。

かつては、3月末には稲穂の積みあげた上に、
さらに上から鹿皮を敷いた大祝の座を作り

仮の家をかまえる神事もあった。

大祝や神官たちの家々が集まっていた場所。
おいそれと立ち入ると神罰が下る場所。
それが前宮の土地なのである。
(安国寺史友会の説明より)


ともかく、目を引く大きな建造物はない
霊験なあらたかな土地柄なのであろー。

観光客は少ないが、一人、また一人と、
礼拝に来る人は途切れない。

ま、お土産屋さんのひとつもないが
諏訪の宗教・歴史理解に重要そうなのである。
諏訪の宗教性の原点だから。


「何にもない。
 それがパワースポット。
 それがいい。」



祭神は建御名方命(タケミナカタノミコト)と、
その妃、八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)。

タケミナカタは、オオクニヌシノミコトの
息子さんである。















(ヴィジュアル版 タカミナカタ )

詳しい話は、めんどくさい。ともかく、
タケミナカタは、古代に諏訪へ訪れた神である。
アマテラスから、諏訪に居とけと言われた、
あるいは、自分でここに居ときますと言ったのか
ともかく、この地によそからやってきて、
治めることになった。

アマテラスの命を受けたのだから、
要するに、天皇系の方々が諏訪地方を平定する
という物語
が、前宮の起源の背景になっている。

古代、諏訪地方の支配者は、地元豪族から
天皇の眷属へ交替したという話。




・・・なんか、まじめになってきたなっ。

次、いこう。


(上諏訪 諏訪大社 後編につづく
本宮:神社の文化のごった煮にお腹いっぱい)

2015年8月22日土曜日

「万治の石仏」の平成版”Reパワースポット化” (下諏訪 後編)

「春宮」

着いたのは夕方5時頃だったけれども
男女のカップルだったり、
親子でもなさそうだけど、微妙に年の違う男性二人連れだったり、
何組かが熱心に祈りを捧げている。

春宮は秋宮より規模は小さく、町のお宮の雰囲気がある。

「春」の宮らしく、農作物の豊年を祈願する祭祀も見られる。

・・・。次。



あげあげスポット「万治の石仏」




















「万治さん」の石仏ではない。
「万治」は元号である。
 建立が、万治3(1660)年ということである。

「建立」というのは、これは明らかな仏教系施設である。
 以下のサイトに、誕生の宗教的な由来が詳しい。
『信州しもすわ:「万治の石仏」から楽しむまち歩き』

教育委員会の資料には、
大日如来の密教曼荼羅と阿弥陀如来を収めた石仏、
同体異仏の信仰の対象だそうで、弾誓上人を祖とする
密教信仰の浄土宗の一派と説明がある。


















サイトは、やたらと万治の石仏関連情報が充実している。
上の写真はそちらから。


一方、

「万治の石仏」から楽しむまち歩き:万治の開運数を解き明かせ


石仏のエピソードをまじめに紹介するかと思いきや、
開運クイズをサイトのコンテンツにしてる。


グッズ化も進んでいる。











CDも発売された(同サイトより)

”「万治の石仏」のイメージソング「万治の風」好評発売中”

元、「青い三角定規」のメンバーがプロデュースしている。

愛されてるな、セキブツ。

訪問当日、石仏の周囲には可愛らしいノボリがあった。

「万治の石仏 フィギュア 誕生」

オルゴールよりインパクトあるのだろうか。

欲しい。


さて、

石仏も、パワースポット化が進んでいた。

ここで、わたくしが言うところの「パワースポット化」とは、
「礼拝についての一定の様式化が進んでいる」
ということである…などと定義的に書いてみる。

訪問したとき、ちょうど居合わせたカップルが、
礼拝説明書に沿って回っているところであった。

下諏訪観光協会・下諏訪商工会議所が
万治の石仏の参拝方法を以下のように提唱している。

「一、正面で一礼し、
手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。

二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。

三、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する」

なんで、商工会議所に礼拝を仕切られなあかんのだ。
なんか信仰もみんなマニュアル化されてるみたいでイヤだっ!!

とか、現代社会を憂えてみたくもなるけど、

よく考えたら、文化や伝統などは、

日本では特に様式美を求めているわけで。

このような様式化が積み重ねられて、

文化的に格上げされていくんだよなー、

と何人も言っていそうな文化論を頭の中でなぞる。




…(余談)


新たな疑問。
下諏訪の温泉は、みんな熱いのか?

…最後に、温泉入って帰ることにした。
この旅の最大の目的である。
町の銭湯風である。
















お風呂のお湯が熱すぎて、浸かってられへん!

お腹までぐらいしか浸かれなかったんは、
山代だったか片山津だったかの総湯以来の経験だ。

浴槽が二つあって、一つは「熱いです」
と書いてあって、もうひとつは「ちょっと熱いです」
と書いてあった。
たしか、二つとも40度以上だったと思う。





訪問日7月24日

諏訪大社で、肉のお祓いの札を(下諏訪 前編)

何かのついでの観光なので、あまり時間がない。
とにかく諏訪大社下社の秋宮から春宮まで歩く。

全国約25000柱の諏訪神社の総本社であり、
創建も不明の日本最古の神社のひとつと数えられる。
御柱祭りは、世界に名だたる神事と知られ、

諏訪大社四社を巡る御朱印めぐりを、
静かなブームとなりつつある。
町を歩けば、諏訪という地域が
日本の歴史のなかでいつの時代も話題になっていたことがよくわかる。


郷土の歴史を掘り起こし、現代にアピールする意識も積極的に感じた。
郷土の文化(歴史)と地域のまちおこし。
古代からの神社。手ごろな距離感で歩める歴史街道。
日本の近代化を示唆する産業化… 
… 

… 歴史紀行かっ このブログはっ Σ\( ̄ー ̄;)


本題っ

諏訪大社に行きたかった。
なぜ諏訪大社なのか。

なんか獣系の儀礼の影響が残っているらしいのである。

興味あるのは、肉食系の儀礼である。
お米系、稗・粟、ばかりでなしに、ということが面白そうなのであった。

で、その肉食系の儀礼について、
古代―縄文時代あたりの文化の遺産と言っていいのか、
その後の山の民のみなさんに受け継がれてきた文化と言っていいのか、
あるいはその両方と言っていいのか、
そのあたりは、歴史の専門の方々におまかせ。

しかしながら、
「歴史のなかの米と肉」(原田信男)や*
「日本人の宗教と動物観」(中村生雄)とか
「神、人を喰らう」(六車由美)とか*
「秘剣 こいわらい」(松宮宏)(これはちょと違うか)
とかの、ファンを自認しているわりには
諏訪大社に行ったことないのはアカンなー
と前から思っていたので、
ようやく念願かないました。

諏訪大社のHPはコチラ
全国●●●の諏訪神社の総本山である
諏訪大社の概要はコチラ



「肉のお祓い」


下諏訪を歩き回るだけで日が暮れてしまった。
ありがたいことに、下諏訪の秋宮の駐車場は、
日が暮れても空いている。

しかも、有名な観光地なのに、無料だ!!
諏訪ってエエトコや!とひとりごちながら、
車降りた瞬間に山鳩にフンをかけられるというイヤなはじまり。














秋宮では、入るやいなや、これが四柱か!
と、やはり独特な神社景色に気がひかれたが、
すぐに目当ての「肉食のお祓いとそのお札」にぶちあたった。
 (この看板の写真がなぜか無くなってしまった。)


サスガ諏訪大社や、
こんな簡単に獣関係の祭祀資料にお目にかかれるとは、
と、なにが「サスガ」かよくわからん感想が頭をよぎる。

翌日、「肉のお祓いの発売」については
微妙な背景があることを知ることになる。


「下諏訪宿」の町の様子


秋宮を出ると、すぐそばに歴史民俗資料館がある。
諏訪湖博物館の分館になる。
江戸期から続く街道筋の商家を博物館としている。

1階は御柱祭りのおおきな注連縄がメインだと思うが、
商家の作りと調度品の方に目が行ってしまう。

2階の3室がメインの展示室のようである。
江戸時代の中山道の宿場「下諏訪宿」、
幕末の事件の史料、「皇女和宮降嫁」、水戸天狗党の合戦、
赤報隊の史料である。

宿場町の史料が気に入る。

↓ こんなんとか。 











あまり、大した内容のないまま、
やはり内容のない後編へ続く。


(後編 諏訪大社 下社 パワースポット。
     そして、パワースポット化する、「万治の石仏」。
 結局、最近のネタは、パワースポットばっかりかっ! へ続く )

2015年8月21日金曜日

(蹴)ガンバvsリーベル・プレートでリーベルのファンになる

データ処理の合間のひとときはブログ書き。


ガンバ大阪vsリーベル・プレートのカップ戦に、息子を連れて行ったときのこと。

ちょっとアウェイ側の席についたので、まわりはリーベルファン、というか、アルゼンチンサッカーファンが多かった。

で、すぐ傍に、下の写真のサポーターがいた。













で、息子が、スマホを触って、そわそわそわそわ、している。

なにかっていうと、写真の松葉杖の彼が、アイマールではないか、とゆーのである。

アホなことをいうな。
この席の周りには、ネームにアイマールと入ったアルゼンチン代表ユニを着込む筋金入りのサポーターがあちこちにいるのだぞ。
そんな連中が、そんな彼をほうっておくわけがないであろー。

息子が(スマホ検索して)見つけた情報では、たしかにリーベルには引退したアイマールがサビオラとともに復活する、という話が持ち上がっている。
しかし、彼は、今、右足を怪我しているとか。
そして確かに、松葉杖の彼は、右足を怪我しているのである。

だがしかし。
そんな選手が、こんな安い席で、日本人の女性連れで座っているか?

そんなことを言っていると、アルゼンチン代表ユニ姿のおじさんが彼の横に座りこみ、なにやら熱心に話しかけはじめた。

彼がたちあがって、グランドの選手たちに気勢をあげると、テレビカメラが抜いてくる。

息子、そわそわ。

違うって。
アイマールって、もっとアフロなヘアだし、もっとおじさんになってるって。
こんなところに座ってへんって・・・などと楽しげな夢想を話しているうちに、

息子さんは、リーベルのユニ欲しいというような、リーベルサポになってしまったのだった。




2015年8月16日日曜日

(展)河鍋暁斎記念美術館は、住宅街の中にありました

(ずっと前の下書き記事公開)

やっと行った、河鍋暁斎の美術館。

埼玉の住宅街の中にある。

千葉大に寄った後だったので、
ずいぶん遠回りになった。

小さいカフェとグッズショップをくっつけた
こじんまりとした住宅を改良したミュージアム

僕の後には、若い男の子が一人で入ってきた。

残念なことに撮った写真が消えてしまった

もう一回行くしかない

http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm

2015年6月28日日曜日

意外!靖国神社でテンションあがる


ちょっと前にみた池上彰さんの番組で解説されたヤスクニのまとめがひっかかっていた。

靖国神社の戦犯合祀は海外から非難される。
けど、亡くなった人を神として祀ることは日本の文化なのだ。
神の観念が西欧と日本ではちがう。
その感覚は海外の人々には理解されにくいのだ
という結びであった。
海外からwar shirin 戦争神社とか言われ、非難されるのは、
お門違いだと言うのであった。

なんか、イルカ漁とかクジラ漁の話みたいなまとめだな。

違和感、ある。
神社は墓と同じようなもんだ、といっても、崇め奉るわけだから、神の観念がちがうと指摘しても、なんだかなーという感じである。
原爆や被災のように、「黙祷」としとけばカミ観念もなにもなく、死者への悼みが表明できているのではないだろうか
慰霊碑のような、特定の宗教観や思想性を強調せずに表現できる手法ではなく神社。
神さまにして崇め奉る。



ガランとしたアスファルトに大きな鉄の鳥居。
ナチュラル素材を損なう変な質感の神社、というのが第一印象。

駐車場脇ではフリーマーケットの準備が始まっていた。

旧日本軍関係のグッズも並んでいる。
これでは、いかにもヤスクニに来た、という感じだ。
僕は「おのぼりさん」ではない。
だからまだここでは写真はとらない。

境内前の休憩所に、マリンルックの海兵隊のような集団が集まっていた。
ここで写真をとったら、靖国すぎるだろう。
私のプライドが許さない。写真は撮らない。


駐車場に、大きな観光バスが16台も連なっている。
へえ、こんなに観光客が来るのか、とフト思う。
さすが、ヤスクニというべきか。
そう思ってよく見たらバスのフロントに、高校総体の文字が眼に入る。
バドミントン部とかバスケ部の総体の送迎バスだった。
単なる駐車場代わりに使われているのか。
これは写真だ。
パチリ。 

入り口には、大村益次郎のブロンズ像を中心にした塔が立っている。
明治維新に大きく加担した人が祀られる靖国神社の象徴である。
パチリ。
 その塔の脇には大きな灯籠。
灯籠には国家の戦いをモチーフにした彫刻。
やっぱり戦争神社っていわれても仕方ない

境内前に自由にお持ち帰りできるフリーペーパー一枚。
戦地に出向く准尉の父母へ宛てた手紙、
父母兄弟と靖国で再開したいという思いが紹介されている。


境内には掃除をしている妙齢の方が数人。
自衛隊OBの方々が自発的に掃除に来ているとのこと・・・
・・・熱心に最敬礼している参拝者の方が、掃除している方と話している声が聞こえた。

境内の参道の脇には警備員の方が一人。
にらみの効く位置に。
本社を囲む壁には献花会の○○派の生け花がずらっと並んでいる。
美しい。
毎回担当する流派は交代するようである。
花を生ける展示は他にも舞台が用意されていて、活発なようである。

死者への手向けとしての花は、葬送の原点であり、華道の始まりと言われている。
日本では、ヒトが亡くなるとホトケかカミ(かオンリョウ)になる。

ドーンドーンとおおきな鑼の音がした。
本社の奥の殿で白装束の方が詔をあげはじめた。
これは、写真撮ろう、と思う。

念のために、写真撮る前に、警備員の方に「撮ってもいいですか?」ときいてみる。
真正面からはおやめください。
本社までのこの道は、英霊が通られる道です。
横からなら大丈夫です。
という答え。

おお、そのセリフが聞きたかったのですよ !
斜めから写真を撮る。
参拝も賽銭も何にもしないで写真だけとる。

マスクもしているので、
油かけにくる人と間違われないよう、気をつけよう。

本社を離れ、資料館みたいなのないかな~と思って、それらしい建物へ向かう。



オオォ!

犬のブロンズ像がある!!


シェパードの銅像。
「軍犬」と説明がある。名前はない。

軍用馬と、軍用犬の慰霊碑である。
 
忘れちゃいけない、左の写真には鳩の慰霊碑も写っているよ!

先の大戦とは、まさにこの国における生きとし生けるものの総力戦だったのである。
 



軍用犬はシェパードがモデルである。
こうした犬たちは、各地から徴兵されたものも多い。
犬をそんな風に使うな!
と言いたいが。


『ベルカ、吠えないのか!?』(古川日出男著)を思い出す。
犬好きにとっての直木賞であり芥川賞であり、ノーベル平和賞の本だ。
もう一回読みたくなる。

そもそも、武士の時代の戦いなど、日本では、あまり戦いに犬は使わなかった。
近代に入り、ヨーロッパでの軍用犬の発達により刺激を受けた。
ヨーロッパにおいて軍用犬の活用に成功を果たした事例として、ナチス・ドイツが知られている。

日本では1919年に軍隊がシェパード犬を、幾頭か購入する。
また、中国へ進出したおりにもシェパードやその他の犬種を手に入れる。

第一次大戦後、近衛師団の澤辺賢次郎は、犬を獲得する任務を負うが、値段が高すぎて数頭しか買えなかったという。
この経験から澤辺は、退役後、日本で最初の犬繁殖の商売、ミカドケンネルをはじめる。

犬たちは、中国の青島で主に獲得され、千葉で軍用犬として訓練され、満州において活躍の場を得る。 (アーロン・スキャブランド『犬の帝国』より)

日本での、戦争の犬は、近代戦争の象徴なのである。



だらだら書き続けてきたが、飽きてきたので、人間のことは書かないで、靖国の記録書くの終わり。




・・・ ・・・だらだらした補足。
靖国神社を出て、駅を探して歩きはじめると、法政大学の校舎を過ぎたあたりで機動隊のワゴン車が2台も停まっていた。
ワゴン車の傍のビルには、機動隊員が3人、等間隔で並んでいて、どう見ても警護であった。

何、これ、要人?
と思ったが、警護されているビル横の歩道を歩こうとしたら、
どちらに行かれますか?ときかれ、
道路の反対側の歩道を歩いてください、とのっぽの機動隊員に指示された。

東京、うっとい、と思って通り過ぎたが、何のビルかすぐにはわからなかった。

あれが、売却騒ぎの起こっている、朝鮮総連のビルなのは、後でわかった。

本当に靖国神社のすぐ傍にあるんだ。
 



2015年5月17日日曜日

比叡山 巡り

 ●昨日の土曜は、午前の講義の後、ぶっ倒れて爆睡した。
夜になって夕飯を作るために起き、夕飯後、「64」の最終回を見ながら風呂の順番を待っているうちにもう一度爆睡。
気が付いたら、朝だった。

床の上だけど、いつものことで、とにかく時間かけて、眠れた。
朝起きて陽気がいいのでとりあえず比叡山に向かった。
 午後からPCに向かって作業したいので少しだけ登ってくることにした。
入り口は、ここから。


適当に道を選んで登りきると、「恵心僧都」の墓につく。

学生さんから、質問のメールが届いたことに気づき、この場で返信する。
このあたりは熊蜂が多い。蝿も。
まとわりついて、「ええい、うるさい」と独り言を口にすると、
御墓のとなりに、半そでTシャツの女性がいることに気づいて、どきっとした。

メールしている間に、墓の前で大きく拍手を打って、移動された。
墓前で拍手。神になっているのか。

いつもだったら、上までくると、そこからうろうろするのだけど、
今日はここからすぐ別ルートで降りる。



降りると、飯室谷不動寺に出る。

千日回峰の本場のようなお寺。

 http://www.imurodo.com/index.html

多分、歩いてきたのは、この人たちも通っている道なんだろうな。

距離は約6km、高低差は約680m(と思う)。
たったこれだけだけど、腰から下はガタガタ。

2015年5月6日水曜日

ユカワハルナさんという青春

これも、かなり前の日記の下書きから。
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”湯川さん”を検索しているのだけどネットに頼るとニュース記事以外は、一方的にディスる発言ばっかりひっかかって、辟易した、という話。
情報を探すの大変。
 湯川さん的な青春を、ちょっと考えようとしたので、探したんだけど。

”後藤さん”をネットでディスる(というより何故か怒っている)のも目だつ気もがするけど、
いろいろな角度からの意見が出ていて、こちらは落ち着く。

ジャーナリスト、ジャーナリズムのあり方を議論するのが多いかな。
これは報道の理論である。

後藤さんの親が反原発なので阿部総理が直接名前を出して哀悼の言葉を述べないという細かい記事もある。
 こういう面から、政府のあり方を議論するパターンも多い。
 これは報道と権力の議論である。

それにしても湯川さんという人物を記録する記事が見つけられない。
そういえば、支援してたという元議員さんがTVに出てたな。
何をどう、なんで支援しようと考えたのかな。

湯川さんという人生(青春)はある意味とても現代的な生き方に感じるんだけど、後藤さんに比べると圧倒的に情報が少ない。

事件後の湯川さんへの周囲の反応(無視・ディスる・哀悼少な目)も現代的・日本的だと思うし。
 
誰かが取り上げてそうな気がするのだけど……小説・映画などではとりあげるかな…

この、他人の情報待ちな自分がいけないのか。

(映)「ある精肉店のはなし」

もう、丸々1年前に書いた日記。
映画「ある精肉店のはなし」のはなし。
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貝塚市にある精肉店。
家族で続けてこられた屠畜・精肉・販売業。
映画は屠畜の様子からはじまり、
精肉を中心とした家族の営み、
地域の生活文化が淡々と、
ときおり本人のインタビューをまじえながら、
美しい映像で描き出している。

一日だけだけど、見学させてもらって話を聞いたところが映画になったのははじめてなので、不思議な体験だった。
文字通り身を乗り出して見てしまった。

家の裏の牛舎から市営屠畜場まで
くねくねとした生活道路をけっこう歩く。
カメラがその様子を映すために先回りしたり、どこかの屋上から俯瞰でとらえたりすると、事前確認がないと、こんなふうな絵にはならないようなーとか、なぜかそんなことが気になる。

屠畜や太鼓づくり、移動精肉屋、盆踊りのシーンでも
椅子から身を乗り出した。
家族の生活にかなり入り込んでいることで、生き生きとした暮らしの一面がとらえられていた。

一方で、変な違和感もかなり残った。
違和感というか、気恥ずかしさというか、ふと考え込んでしまう。
最初の違和感は、インタビュアーの声が入ってくるところだった。
ナレーションの声と同じだったので、おそらく監督の聞き取りだろう。
でも、声だけが登場し、画面は話している語り手だけだ。
1人語りにするか、2人対話にするか、どっちかを意識するのが、自分自身のひっかかりだったと思う。
そして、それよりもインタビュアーの(おそらく)若い女性の声が入ると、何故かすごく恥ずかしく感じるのだった。
なぜだろう。


また、インタビューシーンでは、他にも細かいつっこみを入れて独り言を言いそうになった。
こんなのは、映画見ていてはじめてだ。

おばあさんの語りについて、それしか使うとこなかったん?とか。
もっといろいろしゃべりそうなのに…とのど元まで声になりかかっていた。

たしかに表情豊かでご本人らしさが出ている映像なんだろうなーと感じたけれど、
もっといろんな語りがありそうな人だよなーと感じていた。
昭さんも「思い」の語りを使いすぎちゃうやろか、という別の違和感。
なんていうんでしょう。
・・・解放運動のストーリーのような、ある定式化した物語にのっかかったような、「思い」の語り方が、出てきているように思えた。
話しなれているせいなのかな。

・・・うーん、ブログで書いてたら、また、ごちゃごちゃ考え始めた
・・・とりとめなく、考え始めたので、この日記はここで終わります。