2013年8月24日土曜日

本:「ベルカ、吠えないのか?」古川日出夫


「・・・ニンゲンガ消えた、と四頭は思う。モウ誰モイナクナッタノダ。」

”犬が思う”という表現に面くらいながら、ついていければOK。

「イヌよ、イヌよ。お前たちはどこにいる?」

物語の語り手=筆者の呼びかけ、神の目線からの呼びかけに違和感がなければ、なお良い。


物語は大きくふたつの舞台から、イヌの現代史を駆け抜ける。
ひとつは日本軍に占拠されたアメリカ領キスカ島に残された4頭のイヌの物語である。
軍用犬としての高い能力を秘めたそれぞれはその後どうなったのか。
イヌたちの系譜による現代史。

もうひとつの舞台は、イヌの歴史の革命。
人類にさきがけたイヌ類の歴史から物語はスタートしている。
この本が、エリツィンに捧げられている所以である。


イヌの一人称の語りがあり、神目線の語りがある。
政治史でありハードボイルドであると同時に、イヌの文化史である。
冒険小説であり、社会派小説であり、動物物語であり、歴史小説である。
ロシアでのプロローグから、アメリカ領キスカ島かつ日本軍占拠の鳴神島にいたる世界をかける物語。
「想像力の爆弾」という著者の言葉に感心する。

書評家の豊崎由美さんは、直木賞に「ベルカ・・・」を押していた。
この本が選ばれるために選考委員の自宅を街宣車で回って大声で訴えたいと、ラジオ番組で語っていた。
豊崎さんの書評はチェックしようと思った。

2013年8月22日木曜日

本:「卵をめぐる祖父の戦争」デイヴィッド・ベニオフ


これ、好きだ。
やられた。
タイトルもいい。
「中庭の猟犬」とか「ラドチェンコの一生」とかにもできたはずなのに。
( ´艸`)

読後にすぐに読み返すなんてほとんど滅多にやらない。
最期まで読んで、小説の冒頭をすぐに振り返りたくなった。
解説にあったとおり「ニヤリ」とした。
解説にあったとおりといえば、途中でかなり泣きそうになった。

物語の舞台は、レニングラード包囲網のさなか。
900日間の攻防を経て、レニングラードはついに落ちなかったと言われた攻防戦。
外界と遮断された究極の飢餓の中での卵をめぐるひと騒動である。

戦争だから、いろんな悲惨なシーンがある。
それが、この物語の真の主人公である。
しかし、登場人物の愛嬌と、洒脱な語り口で悲惨が重い悲惨になるのを免れている。
でも、悲惨は悲惨だ。
えぐいのは、人肉ソーセージ工場となった人家、下顎を打ち砕かれてもまだ動くパルチザンなどなど。

お腹に杭で木箱を打ち付けられた犬たちの話も悲惨だ。
『ベルカ 吠えないのか?』を読んでひとしきり軍用犬の物語に感動した後なので、特に、人間魚雷ならぬ、犬魚雷となっていた犬たちの様子が印象に残った。
犬たちをあんなふうに使うな<`ヘ´>。

・・・とにかく、良い小説に出会った。
いつかあんなふうに書いてみたい。
(小説を書く、ということでなく)

2013年8月21日水曜日

「一向一揆歴史博物館」に行ってきたの巻の1

「進極楽往生 退無限地獄」

中学生の息子の社会科の教科書に掲載された一向一揆の旗に記された言葉。
戦い、進む先には浄土があり、退かば無限地獄しかないと訴えている。

一揆という言葉は、そもそも同じ方向にひとつにまとまって行く様子を指すそうだ。
一向宗の一揆は、人々がひとつにまとまり同じ方向に向かう集団力としての宗教の力を物語る。

■1.1

「鳥越一向一揆歴史博物館」行ってきた。
一向一揆専門の博物館は日本ではここにしかないらしい。

中学生の息子の歴史跡地探訪の宿題のために。
それと、自分の仕事の情報補充のために。
このあたりの情報をまとめる必要がある。
また、以前に鳥越を通りかかったときに気になることもあった。

■1.2

白山市鳥越の夏祭りは「一向一揆まつり」という大きな祭りだ。
昨年だったかの祭りのチラシでは、滋賀県・坂本の日吉大社をまつる神輿が、鳥越祭りに参加すると喧伝されていた。

加賀の山ノ内衆たちを中心にした一揆と滋賀近江坂本との結びつき・・・
大阪の寺内町や紀伊の雑賀衆などの一向宗つながりは朧気に知っていたが、当時の社会の動きのダイナミクスをあらためて感じたような気がした。

■1.3

近江では一揆自体が、早い。
1428年には正長一揆というのがあったらしい。
坂本で馬借が徳政を求めて始まった一揆だそうだ。
この影響は大きく、京都や奈良にまで一揆の火が広まった。
日枝の山(比叡山)の麓に広がる坂本の地や、堅田方面は、湖上運送などもあって、早くに商業的に開けていたらしい。

比叡山をはじめとする権力者に追われる新興勢力本願寺を代表する蓮如も堅田を頼りにやってきた。
一時は、既に開かれていた金森道場(野洲?守山?)にも立ち寄っていたが堅田にて一揆となったという。

1465年、近江一向一揆である。
堅田の門徒、法住に匿われていた頃である。
場所は本福寺。
法住は染物を営んでいた。
他に、堅田門徒には桶・研・油・麹などの仕事があったという。
当時の惣村の発展が想像される。
(大きな背景に貨幣の流通・貨幣経済の発展とかなんとかという歴史もある。
また、物流システムとしての琵琶湖周辺という地勢上の歴史もある。)

■1.4

蓮如を中心に庶民の一向宗の勢いがたかまると、その勢いを恐れる比叡山をはじめとする支配者層は、一向宗の弾圧を行う。
比叡山からみれば、一向宗は異端である。
一向宗は、仏・法・僧という仏法のいわゆる三宝にこだわらない。(と、比叡山はみている)
ひたすら六字の名号の称名に専念する。
三宝を敬い、当時の日本仏教の総本山ともなった比叡山天台宗からすれば一向宗(浄土真宗)は異形の信仰となる。

比叡山とは、和解が成立したといわれるが、その後、法住たちの琵琶湖輸送の助力もあり、蓮如は越前の吉崎へと向かうのであった。

この記事は、とめどなく、次へと続いてしまう。

(それで、参考にした文献は、どこかでまとめて書く←まじめかっ)

2013年8月20日火曜日

文献がない:鎮めの文化論

『日本人の心の習慣ー鎮めの文化論』大村英昭


もういちど読み返して確認したいことがあったので、本棚を探したが、なかなか見つからない。

研究室を移動するたびに本もみんな動いているから、途中で手放したものや、タンス奥に入ったものなど、入り乱れてしまう。
だいたい、同じ職場で7・8回も部屋を移動しているのは、大学レコードものだと思う。
そして、移動のたびに荷物の出し入れは自前でやってるし。

ま、そういうわけで、実際の本が見つからない。
確認したかったのは、日本の宗教的特性のこと。
祟りー鎮める、ケガレ-キヨメルが日本の宗教的心情の基本だという点。

で、暑いので図書館にすら歩く気にならないので、スマホで、ネットサーフィンで、いろんな書評を見てあるく。
確か、NHKの人間大学で放送されたものを、図書にしたものだったと思う。
しかし、著者の名前すら忘れている。
調べたら大村英昭先生だった。

あ、そうすると、読み返すのに期待した内容とは違うかなーと思いはじめた。
いくつかの書評や出版にまつわって行われた大村先生の講演記録を見ていると、だいたいの内容を思い出してきた。
やはり、ちょっと確認したかった内容とはずれていた。

図書では、伝統的な宗教観をもとに鎮めの文化/(近代的な)煽りの文化という図式を描き、現代社会の鎮めの文化の可能性を、社会的に診断するような内容だったと思う。
忘れ去られつつある・失われつつある鎮めの文化・・・とその効能を再評価しとりもどそう、という方針だったように思う。
web公開されている大学の講演でもそのように語っている。

失われつつある鎮めの文化のありようについて、大村先生は家族や地域の機能としてかつてそのような文化の継承機能はあったのだけれど、いまや、大学などの教育機関を通じて伝承が講義されることを経験として語っている。
僕も講義などで語っているけれども、取り戻そうとは全然思っていない。
伝統的な文化は、今や大学生にとっては、全くの異文化と感じられる人もいる。
一方で、あいかわらず、伝統的な世界に生きている・・・というような両極端な状態が現在の情況である。

で、とりもどすでなく、何が変わり・変わらないか、またその地域性による文化の差異をフィールドを通じて学ぶことが重要だとは思うわけだが、最近では、言い方を間違えると、近代化される以前の"美しい"点を強調しているかのように受講生に受け取られてしまうきらいがある。

話それた。
とにかく大村先生の議論では鎮めの文化としての日本仏教もそのまま前提となっているようなので、自分自身の関心とはちょっとずれているようなのである。多分。

それで。
読み返して確認したかったのは、民衆宗教意識、宗教思想史としての鎮めの文化の特性や、その形成や変遷なのだった
どちらかというと歴史的な変動に分け入りたかったのである。
外来の仏教思想がそれらの文化と浸透しあっていく、その点の議論を聞いて見たかったのである。

日本の宗教は元来、「祟りー鎮め・ケガレーキヨめる」感覚軸で広まっていた。
古代から貴族の時代にかけて、日本に受容される仏教は、この延長上に「鎮め・清める」仏教として浸透する。
また、社会的情勢の変化の中で、地位向上を目指す侍たちのある種の精神性を与えるものとしても位置づけを得る。
そして、侍の時代の一方では、民衆の「救い」をもたらす思想として普及するものまで現れる。
(ついでにいうと、民衆の救いの浮上の背景のように登場するのが、葬儀に関わる仏教というスタイルで。)

密教系の宗派も含めて、そのほかの衆生の救済を願う宗派には、ある種の極楽観が見られる。
浄土系仏教でいうところの、いわゆる浄土だ。

日本の思想史・精神史をふりかえると、あの世感覚自体は、仏教にそもそも内包されるものというよりも、祟り・ケガレる思想の頃からのあの世観の延長上に出現するものととらえられる。
Buddismには、そもそもあの世感が希薄だ。
仏に成ることの思想だから。
しかし、皆を救う大乗系統の思想には、浄土のような、かの地が設定されており、かの地のあり方をどう考えるかに、諸流派の機微がある。

と、いうわけで、日本的仏教におけるあの世観と、土着伝統宗教のあの世観の連続性や非連続・・・それらの距離感について語ってくれる文献が読みたかったのです。

...何書いてるかよーわからんようになったから寝る