2009年2月21日土曜日

完成したけど告知していなかった報告書

連絡用だとか告知用のブログだと言っているわりに、アップしわすれてました。

07版報告書『想いをカタチに-町と生きるⅢ』出来ました。


「想いをカタチ」にっていうタイトルは、執筆者のレポートタイトルがラブリーだったので、そのまま報告書タイトルにしてしまいました。

けど、出来上がってから推敲が足らないと反省と後悔しきりです。
「想いをカタチに」っていう表現は、近年、僕が避け続けている見出しだからです。
なんとなくニュアンスは伝えているんだけど、中身がなんなのかよくわからない。
もう少し、サブタイトルつけるなりなんなり対処を練っておくべきでした。

しかも、逆の視点では、「想い」なのか「思い」なのか、「おもい」なのか「オモイ」なのか、凝るんであれば徹底的に何をシンボライズする言葉なのか考え抜くべきであったと思います。

いや、しかし、ともかくできたできた

2009年2月20日金曜日

調査project S 始動

ブログに書き込むことではないと思いますが、備忘録として記します。
(関係者の方で、もしもお気づきの点がありましたら、ご指摘ください)

先だって、09年度活動開始予定の委託調査事業Sの顔合わせがあった。
顔合わせといっても、09年度以降2年の実施期間の内容を見ると、急がなくてはならないので、できるだけ意見交換を行うことになった。

久し振りに数値を取り扱う調査に参加した。
委託先との交渉には直接参加していないのだが、
ある程度の内容のガイドラインはある・・・ようだ。
数年ごとに行われたこれまでの調査内容を資料としていただいた。

で、顔合わせではこれまでの資料を読んで思うこと、私の関心事を話すということになった。
思うことはあるのだけれど、今回調査でどこまで展開していいのか予測がつかなかったし、いろんな事情の様子を見ようとしてしまった。
この話し合いの後に控えている、別件の研修会講演の内容が整理されていないことで頭がぐちゃぐちゃでもあった。僕自身の関心事は、おおざっぱに話すことによって、前回までに行われた調査とかぶっているかのようにカテゴライズしてしまった。他の人からも前回を受ける意見が出た。他の参加者の話を聞いているうちに次回打ち合わせとそれまでの作業の話になってしまった。
結局、これまでの継続調査であり、テーマ性も前回とそれほど変わらない、ただし、前回までには遠慮や対象者のやりにくさもあって調査票内容がわかりにくい、少しブラッシュアップしよう・・・ということに落ち着いた。

しかし、そうなると、僕が困った。自ら考えるテーマが反映しないものに関わることになるから。言葉の真の意味で委託だ。研究になってくれない。他にやりたいことがあれば、数値でなく質的な方で・・・という話もあったけれど、数量調査自体を意味のあるものにしなければいけない。

というわけで、クダンの研修会が終わった後、あらためてこの調査に関する自分のテーマ性や構えをメールで参加メンバーのみなさんにお知らせしようとしたのだが。

2009年2月18日水曜日

報告レポートはまだ全部届いてません。2月半ばだけど。

というわけで、もう少し、待ちの状態です。

今、報告書の「まえがき」をぼちぼち書き溜めてます。
ほとんどレポート済みの人ばかりで、就活にシフトしていると思うのですが、最近まで粘ってレポート添削していました。
授業参加者にとって重要な考察点を、近々の添削集からそのまま引用していくつかを紹介しましょう。

一般ゲストの人には不親切な提示ですが・・・


添削10点目
音楽の販売方法も、現在ではインターネットによる音楽配信により、ジャケットが画像としてしか存在しないといったシングルも発売されており、レコードの芸術作品としての価値は高まるのではないか。

レコードのジャケットは魅力的だ。インターネットでも、曲は聞ける。しかし、「ジャケ買い」という言葉に代表されるような音楽作品との出会いや、手に取った感触、店の雰囲気、店員との会話など、曲に対する付加価値が失われ、それを埋めるものが見当たらない。インターネット配信の曲は、パソコンに保存しているだけなので、容量がいっぱいになれば、削除してしまう人もいるだろう。音楽の作品自体の存在価値が低下しているのではないか…とすら感じる。


どこまでがインタビューで確認されている内容ですか?
筆者の思いだけで書いてますか?
「レコードの魅力」という見出しの内容は、本文ではインタビュー内容をもとに記述されるべきです。もしくは、最悪でも文献引用が必要。そして文献引用した場合、やはりインタビュー内容との対照などの検討が必要です。

添削12点目
とりあえず一通り何かはわからないが、宗教的でおしゃれな雰囲気に溢れた店内・・・


・「宗教的」について、具体的な描写が必要。
・また、その後の「微妙な空気が流れていて」・「(店長を)怖い人かな~(と思う)」という表現も文章の流れからどう読みとっていいのかわからない。
「微妙な空気」ってどんなことが起こったのですか?
また、なにが「怖い」と筆者が感じているのかが表現されていないから読解しがたい。
レポート全体として、「私(=筆者)」という一人称が表現されているけれども、筆者が何をもとにどのような基準で感じて表現しているのかは、明確にされていない。しかし、筆者の理解や解釈は述べ続ける・・・ここが問題。

添削15点目
(店内には)正直、よくわからないもの、マニアックなもの、中には“変”と思うような物もたくさんあった。


整理して。
よくわからないもの・マニアックなもの・変なものって何がどう違うことを表現したいんですか?
<私にはその価値が理解できないものがある>っていうことだけですか?
文章の中では、変を“ ”でくくっているので、何か特殊な意味づけをしようとしているように思うのですが・・・
・視覚・聴覚情報による描写が少ない、一方で筆者の内面的思考や思いが多いというレポートなので、こうした指摘が多くなります。

添削21点目
一般的にサラリーマンは自分の考えを相手に理解させ、納得させていかなければいけないことが多いのではないだろうか。そういった意味で「サラリーマンが出来ないタイプ」それは確かにそうだ、と感じた。


自分で前提的な議論を作って、Mさんの語りを当てはめている、という書き方ではないでしょうか?
<一般的に・・・>は、Mさんの語りにはありますか?
もし、無いようでしたら、どこから<一般的に>という信憑性を得て論を引用してきていますか?

添削22点目
<wikipediaより引用>阪神大震災は1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として発生した。住家被害〔全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計約25万棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟〕 街は破壊され、〔死者:6,437名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名〕という多くの傷ついた人々が溢れていた。誰もが不安を抱え、やり場のない悲しみもあっただろう。しかし、一日平均2万人超、3ヶ月間で延べ117万人とも言われる人々がボランティアとして、震災の復興のために現地で、被害者支援を行っている。そこには、温かい人間の姿があった。
                         【阪神・淡路大震災 データ引用】


このウィキペディアの引用部分の前半は事実の確認情報ですが、後半は情緒的な表現になっています。後半は、レポートの内容を確認するためにしては、あいまい情報にあいまい情報を重ねるようになるので、引用を避けます。そう書いてあるだけで、現実的な人々の姿がありません。
あるいは、wikiでこのように紹介されているのだが、実際に店長さんたちのお話をうかがうとそのような現実が見えてきた・・・ぐらいの参照のための引用でよいと思います。
ただし、フィールドワークをすること自体の意味を意識してください。
wikiを確認するためにインタビューしたわけではありませんし、インタビュー内容を固めるために持ってくるにしても、この引用は後半にあまり内容がありません。

添削25点目
そこには、今の日本に足りないものがある。今の日本人は価値観が多様化し、グローバル化する中で、個人の自立というものを求められている。しかし、日本人の個人の自立には、個人主義というような時代の流れもあり、本来の自立からねじ曲げられ、人と人の間に壁が作られている。個人主義の流れは止めることが出来ない。しかし、阪神大震災によって、街が破壊され、人々がたくさん傷ついたことによって、人と人の間に築かれつつあった壁も崩れたのではないか。その壁が崩れることによって、多くの人とのコミュニケーションが生まれ、改めて人との結びつきの温かさを感じられたのだろう。
 Mさんも「まあそら儲けたいっていうのは商売やからあるんやけど、まず喜んでもらいたいお客さんにね。それからはそういうのが変わったなあ。とりあえずまずお客さんに喜んでもろたら、それは商売に儲けようというより喜んで欲しい。喜んでもらえたら結局結果が出るっちゅうかね。まず喜んでもらいたい。」と語っているように、人のためにという思いが強く感じ取れる。


Mさんの語りをもって、筆者が考えるところを書くようにしてください。
最初に、日本の現状、個人主義、人と人の壁が崩れた、多くのコミュニケーションが生まれたという筆者の思弁が先に来ています。しかも思弁が弱い。
その上で、思弁を確かめるようにMさんの語りを提示するという順番になっています。

添削26点目
阪神大震災の被害はあまりにも大きく、苦い思い出には変わりはない。しかし、その苦しみを共に乗り越えた人々は、誰もが誰かに感謝し、感謝され、自分という人間の在り方を再確認させられた。だから、人を大切に思うのだろう。その思いは、震災から13年が経過し、街が復興し、震災以前より便利になった今でも人々の心のどこかに“思いやり”“優しさ”として残っている。そして、それはこれからも震災を生きぬいた人々を一生支えるだろう。


Mさんの語りや人生が<生き抜いた人々>に一般化されている。
これは議論が必要だろうと思う。