2016年11月12日土曜日

(読後)「みょ」なんていう萌えはいらない派『あなたが消えた夜に』

● 萌えはいらない

独り言なので、勝手に感想書いちゃえば、
萌え要素は、個人的にいらないと思う。


これは、罪を意識した人間たちが罰を欲する物語。

罰を欲するのは、救いを求めているから。

これは、救われたいと願う人間たちの物語なのだと思う。


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けれども、読みながら思った。

罪を罪と意識するかによって、
この物語への入り方=受け止め方は変わる。

この点は、個人的に興味深くて、
罪を意識する主体の感受性は、
どこからやってくるのか、とか、
どのように成長していくのか、考えてみたいと思った。

というのは、罪を意識する前提は、
ルール、秩序、道徳(社会善)なのか、
神(絶対善)なのか、
あるいは、そのないまぜでどっちでもいいのか。

いずれにしても、
絶対善っていう感覚で話をはじめる前提が
私たちの文化にあるのかが、気になったのである。
まあ、自分で勉強しておこうというポイントですが。

個人内での神の創造というのは、
神って、共同のようで個人に宿るのだから、
そもそも個人的な創造だ、と考える立場なのか、

日本の絶対は、西洋の神の絶対とは違うととらえ、
創造(された)神は、
独特の現代社会現象だ、とみるのか、
文化というワードをついつい考えてしまう性分で、
いらぬことを考えた。

(作中、●●が、
××の++++について、ぽろっとしゃべる、
という場面は●●の救いを求める行為
なんだろうな。
孤独-罪-救い)

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●アクタガワ賞作家という情報

ただ、第2部に入る直前までは、
ミステリーとして冴えない小説にしか見えなかった。

著者の作品は、今回がはじめてである。
”著者の作品は・・・”なんて書くこと自体も、
多分はじめてである。

芥川賞受賞っていう肩書きを意識しない訳はない。

『アメトーク』の読書芸人の回で、
火花で受賞する前の又吉さんと、
オードリーの若林さんが
『教団X』を強く推していたのも印象に残っている。

通勤電車のお供として、
『教団X』か『わたしの消滅』か本書かで迷った。
『掏摸』はその本屋には置いてなかった。

『教団X』は、前から興味があったので、
おいしそうなものは後で残しておくことにした。
それに一番分厚いし。

『わたしの消滅』は、
手にとってみて中身が重そうだし、
独白だらけと予想され、
ということは、多分、それを読んでしまうと、
作者の世界観やなにやらが全て見えてきそうな、
そんな感じがした。
作者が気になったら読む、
というので良いのではないかと思った。

『あなたが消えた夜に』は、
ミステリー仕立てと紹介があり、
自分には一番入り込みやすそうだなと思った。


●若者についていけないおじさん

さて、そしてこれが、
読み始めたらつまらない。

ジュンブンガクなのかな、と思えば、
ライトノベルか、というノリである。
ライトノベルの定義がわかってないけれども。

特に「小橋さん」のおちゃめ要素と、
相棒二人の現代っこ風のやりとりがしゃらくさくて
ついていけない。
”しゃらくさい”という表現が
自分の感覚にはぴったり。
(若作りの「吉原さん」も)

お若い読者には受けるのかな、とは思う。
そこが狙いなのかも、とも思う。
たしかに「小橋さん」はキュートである。
クスッと笑いたくなるシーンもある。
作者はこういうのを書きたいのだろうな、とも。

後で、絶対、物語上で回収しろよな、
このしょうもないシーンにつきあったのだから、と思う。

本の後ろ扉にある
「共に生きていきましょう」というメッセージが
作者についての、よけいな印象を与えている、とも思う。

購入前の立ち読み段階で見てしまった。
個人のサイトあたりで、言ったらいいのに・・・
なんか教祖っぽいなぁ。

内容外で、
作品にチャームポイントつけないでほしいと思う。


本書の印象はこうして、
イヤなタイプ、ではじまり
第1部でさらに、
芥川賞ってこんなものなのか?とすら考えはじめ、
だんだん、「中島」の回想シーンさえ、
いらないように思うようになってきていた。

(後で、「小橋さん」のキュートさは少しだけ
回収して拾ってもらえるのだけれど。)


さて、ところで、
・・・・・・この感想だと、
   若者の会話やノリについていけない
   おやじのグチにしかならない・・・・・・


●不思議な感覚の推理もの

警察ミステリーとしてみると、
描かれる組織の軋轢の陳腐さが気になる。
本格推理として読むと、
推理のどこかふわふわした感じが気になる、
という点はある。

警察機構の軋轢や矛盾は描けば描くほど、
他の本格警察のまぜっかえしに見えてくる。
「中島」と「小橋」の
”軽妙すぎる自意識こだわりまくりのやりとり”や、
神懸かって事件のヒントに出会いまくるためである。

推理的要素は、
そもそも本書を手にとった時から求めていない。

だから、気にしないでいいのだけれど、
コートの男の犯人像について、
コートの男らしさが云々という推理などは、
こういう方向の推理が続くのかーーと思う。

第1部の物語の中心は、コートの男事件と、
「中島」のトラウマなのだが、
その実、ストーリーの牽引力は
「小橋さん」にあるように思う。


● 相棒の小橋さん

全体に、「小橋さん」は物語のアクセントで、
救いになっているけど、
個人的には、こういう救いの兆しは、
紋切り型にすぎると思う。

「小橋さん」は妖精または精霊である。
トリックスターだ。

けれども、この物語では、
「小橋さん」はそれ以上に女神である。

「小橋さん」には悪があるようで、悪がない。

作中には、独白を続ける人々がたくさん出てくる。
そして、自分のにじみ出る悪と罪を語る。

しかし、もっとも登場回数の多い小橋さんは、
ほんの少ししか自分の内面を語っていない。
悪のない、罪のない人間は語るべき内面をもたない。

語るべき内面をもたず
人々をただ超然と眺め、
救いの方向をだけ指し示す・・・・・・

「小橋さん」は女神である。


それゆえに
『あなたが消えた夜に』は似つかわしくなく、
美しいラストシーンの救いの意味を
ぼやかしてしまうように思う。

● 傑作

物語の終盤には、
確かに誰かに・何かに
「中島」の背中を押してほしいとは思うが、
「小橋さん」では少し安直だと思う。

しかし、物語が「中島」にはじまり
実は「中島」で終わる、構図自体はスマートである。

特にエピローグは物語のテーマに深く共鳴し、
しっかり描ききることで感動的に思う。


この物語は、第2部から俄然面白くなってくる。

第1部は萌えが入るたびに手が止まったのに、
1部の終了間際から、
ラストの1行までは一気に読みきってしまった。

文章が美しい。
リズムが心地よい。
長い独白に入り、凄みが出てくる。

独白が続くけど、読書に疲労を感じない。
独白だから、くどい内容もあるけれども、
疲れない。(多分、はじめて著者の本を読むから。)
文章が少なくとも自分の感性には
違和感なくぴったりはまっていて、
流れるように事象が展開し、
気がついたら全てが終わっていた。

精神が壊れていく内容の文章も
特異な表現や、崩壊ならでは表現があっても
つかえることなく読み進められる。

おそらく文章が研ぎ澄まされている。
正直に、すごい、こういう作家なんだ、と思った。

ある意味では
海外ミステリーみたいだとも思う。
内面の語りの表現が押し寄せてくる。

読後に、著書が翻訳されて
市場の評価もよかったことを知った。
そうだろうな、と思う。

いずれにしても、
それまでの登場人物の
罪と救いの物語にはまれる人ほど、
救いを求めるラストに何かを感じると思う。

最後の1行を神々しく感じるなんて
滅多に出会えない体験である。



2016年11月6日日曜日

(読後)英ジャーナリズム発、日本論on性犯罪『黒い迷宮』

『黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』
(リチャード・ロイド・パリー)

日本のメディアと警察組織と犯罪・事件の課題。
 イギリスのメディアと家族生活の課題。 

それらがコンパクトにまとめられている

個人的におもしろいのは、
イギリス人ジャーナリストの目を通して描かれる
日本の社会の風俗と解釈である。

日本の裁判制度や警察機構に対し、
想像力の欠如した犯罪と向き合う組織と喝破。

「お巡りさん」と「ビーポ君」にイメージされる
親しみやすい権力組織としての警察機構。
 
外国人の体験する”ガリバー体験”と
日本の遠慮と礼儀正しさという文化。

とりわけ、在日朝鮮人社会と
水商売の実態と日本の性文化の記述は
興味深く読ませてもらった。

著者が参考にしている文化人類学者アン・アリスンの博士論文
「夜の仕事-東京のホステスクラブにおける性・快楽・組織内の男らしさ」
は是非読んでみたいと思った。

世界に類をみたい、多様な性分化を産み出す
日本の社会のありかたや、
クラブオーナー 宮沢櫂の説明する外国人女性への理解と蔑視発言に
日本人一般の海外女性への態度を感じ取る記述は、
外国人ホステスに言い寄ってくる男たちの
メール文面の気持ちの悪さとあいまって、
独特の日本人論を表明している。

また、在日朝鮮人という課題については、
”タブー視することによる(アンタッチャブル化による)
差別問題の課題”というテーマに迫っている。
  
一方で、娘を探し出す親の側では、
ブレア首相の関わりから、
娘の居所を知っていると続々と登場する詐欺師たちの登場で、
文化を超えた現代社会の不気味さを醸し出している。

個人的に目が離せないのは、
こうした国境と文化をまたいだ不可思議な状況のなかで、
ホステスたちの暮らす住居の
ユニットバスなどがさりげなく挿話ですらなく、
状況の形容のように登場してくることだ。
ユニットバスの排水溝には
濡れた髪の毛と、皮膚のカスがからみついている。
著者は、こうした描写を、つまり細部を描くことを怠り無く
文章に挿入してくる。
その姿勢に傾倒してしまう。
 
本書は現代社会論であり、
一種の民族誌であり、
一級のフィールドワークの書である。

なお、著者自身は、この書物の意図について
BLOGOLOSでのインタビューに答えて
以下のように語っている。

『(本書の目的は)
 「こいつは怪物だ」「こいつは悪人だ」と
レッテル貼りをすることではないからです。
そういってしまうと、そこでその会話、
ストーリーは終わってしまう。
そうでなく、「どうしてそういう人物が生まれたのか」
と考えていく作業を、
私はこの本を通じて進めていったと思っていますし、
「何がその人をそうさせたのか」ということに
重点を置いて執筆しています。』