2014年12月17日水曜日

(展)バルデュス展はもちろん行ってきた

年末で、書き溜めた日記のそうざらえ

●バルデュス展はもちろん行ってきた。
もちろん、前知識なし。
派手な広告の絵につられたようなものだけど。
美術館行く自分って高尚ー、みたいな感じだけど。

でも、そんな自分でも初見でいろいろ考える展示だった。
作者がスター扱い、作者自身の写真がかっこ良過ぎ、ビデオも渋すぎ、鼻につく。
でも、たしかに作品すごい。


●少年期の「mitsou」かわいい。
 

かわいいつながりで、ファンタジックで印象に残る「cats and girls」(1949)














ますむらひろしさんの「アタゴオル」を思い出したのは私だけではないだろう。
でもアタゴオルは1970年代の連載開始だから、こっちのほうが古いのか。
斬新だなー。”猫男”と僕は呼ぶ。


●コミック的というと、初期の作品に「嵐が丘」の小説の挿絵があって、なんかデッサンがくずれたような感じに魅入ってしまう。



















「諸星大二郎・・・」。これらの挿絵を見ながら、尊敬する漫画家の画風を思い起こしていた。


●ところで、このバルデュルス氏は、同じ構図をいろいろと書き直す作家のようであった。




















バルデュス本人が描かれているとか、人物の描写でとりわけ女性の肌に象徴される白が体の輪郭からにじみ出ているとか、 裸身を描くというセンセーショナルなどいろいろ解説されていた。
代表的な図らしい。
これが、一つ前の挿絵の構図と同じである。


●さらにそのひとつ前の挿絵と同じ構図もいくつもあって、






















と、同じ姿勢の女性が何度も描かれている。

そして、描かれた顔がなんか怖い。


●ときどき顔が怖い絵がある。特に女性。
頭に残ったのは、ヨーロッパ時代の若かりしころに描く女性の、壊れ(壊し)具合である。

禍々しいとまで、感じた。
 



















展示にはなかったと思うけど、後でwikiで見た上の「guitar lesson」はかなり衝撃的。

なんか、特に女子を破壊的に描くように感じる。

ポーズ自体が、なぜ、このポーズを選ぶ?と思う。
















グッズの図柄にもよく使われていた上の「テレーズの娘」は、色使いや構図の華やかさ、テーマモチーフの猫の登場などが解説されていた
僕自身は、近くで見て正直衝撃を受けた。
スカートの中のパンツまでこうまで執拗に描くのは、どういう感覚やねん・・・

悪意・・・というか、破壊の意思みたいなものを感じるんだけど・・・とにかく、すごく攻撃的に感じる。

描かれた女性のポーズや表情に、描く目線が持つ破壊性や攻撃性を感じるのであった。



●そのように攻撃性や破壊性を感じたのだが、晩年の日本時代になると、日本女性と結婚し描かかれるもののなかに、質の違ったものを感じるようになる。















 さっき、紹介したうつむき加減の女性たちに構図自体は似ている気がする。

けど、姿形はもっともっと崩れていて、そして、色自体がさらに輪郭と外界が滲みあって混合している・・・
破壊性というより、溶解性という言葉が浮かんできたのだった。



●あーおもしろかった。バルデュス展。初見なのに。
作品のふり幅の大きさと、作品と連動した作者の生き様を感じる。
もっともっと深いんだろうな。

ほかにも、いろいろ考えたんだけど、最後に気に入った絵をあげて終わり。
「崖」です。
















ちょっと近くでも、かなり離れても、光に照らされる木と岩壁が眩しかったです。
美しかった。

2014年12月10日水曜日

フォルラン様の最近のさまざまなネット上の記事

以下のフォルランに対する報道は、最近のちょっと悲しいニュースでした。

フォルランが南米メディアでチーム批判「日本人冷たい。降格して笑っている奴がいた」
「フットボールチャンネル」

(最近、見直してみると、

「※初回掲載時、一部で誤訳がありました。訂正してお詫び致します。」

と訂正と謝罪が最後に加わっていました。後の記事でわかりますが、かなり文脈の誤読があった記事のようでした。)


この記事をきっかけに、

フォルランの日本人批判にセレッソ大阪サポーターが激怒「おまえが言うな」

のような関連記事も出て、
ネット上では、「日本人批判」「チーム批判」を行ったフォルランに対する
バッシングのような記事が増殖しはじめました。

フォルラン様信者な私も、そんなケチな発言したのか、
シーズン終盤の扱いの悪さや自身の成績不振や
契約時に比べての環境変化にストレスが溜まり腐っているのか、
と、ちょっとがっかりしたり心配したものでした。

そんなおり、


ウルグアイでのフォルランのインタビュー内容、実際はどうだった?

という、冷静で良心的な記事に出会いました。

この記事に翻訳紹介されたところが正しいとすると、
フォルラン選手は、やはり一流のプロフットボーラーであると思われました。

インタビューでは、日本のサッカーのひいては日本の社会と教育の弱点までも分析され、
日本のサッカー事情を理解しようするフォルラン選手の様子がうかがえます。

オシム語録以来、フットボール先進国の知が、
日本のフットボールやスポーツ文化・日本社会を分析する言説に注目が集まるようになりましたが、
久しぶりに選手の立場からの骨太の分析に出会った気がしました。

骨太というのは、状況に揺れ動く自己を反省的に見つめながらも、
自己をとりまく社会関係の状況も理解し、
そのような状況のなかで、プロとしてアスリートととしてフットボールに生きるという自身を語る、
そうした生き様を語る側面を感じたからです。

優秀な選手の自己語りの巧みさと表現の豊かさを感じたのでした。

2014年9月14日日曜日

(展)曾我簫白 鳥獣画の研究

去年書きかけの記事が下書きにいくつか残ってる。
多分、写真をつけて、文章練り直してとかめんどくさいことを考えている間に忘れてしまった文章だ。
ブログが空き家みたいになっているし、GWなのにコラム原稿で引きこもるの飽きたし、、アップしよう
………………………………………
香雪美術館というハイソな街のこじゃれた美術館に行ってきた。
曾我ショウハクのは鳥獣画の展示である。











ショウハクは人物画の方にインパクトがある。
どうみても不気味な顔にしか思えない。




















でも曾我ショウハク見たくて行ってきた。

感想:もう鷹図だけでもお腹一杯で、見飽きませんナー。
しばらく絵の前で寝泊まりして、あーでもないこーでもないと考えたい。

ポスターになってた青色の鬼と釈迦童子の雪山童子は印象的だが、





















それよりも僕は鷹図!

どうやって色作ってんのかなー
背景の色づけすんのかなー
構図、頭に浮かんでんのかなー
鷹や鶴の足や羽の描き込み
背景・構図の荒々しさと緻密な描き込み
春夏秋冬の鷹図の描き分けでの雪の白さ
墨の濃淡で見せる表現

大きなふすま絵などが有名なのだけど,細部に具とれていました

2014年9月5日金曜日

(映)2013はBLANCA NIEVES(ブランカ ニエベス)





「ブランカ ニエベス」って何だ?

どこかで聞いたことあるような…

全然意味がわからないのに、お金払って入ってしまった。

以前、ちらっと見た予告映像は、モノトーンの映画で若い女性が闘牛士をしていることだけ記憶に残った。

映像が、”なんかキている”感じがした。
「ハンナ・アーレント」を見に行ったのだが、後回しにすることにした。


ミニシアター行ったのは、数年ぶりだ。
最近は、家族連れの喧騒に沸き返るシネコンばっかり。
久しぶりに来てみると「ここは美術館か!」と思う。

タッチ画面のチケット販売マシンなんかない。
カウンターのみの窓口は手作り感があっていいのはいい。
だが、なんか「映画って芸術です」的なハイソ感が鼻につくような気もする。

初老のご夫妻や、小奇麗なご婦人方ばかりという客層。
小さな狭いロビーは、余計な音が一切ない。
せいぜい窓口のチケット購入時に出てくる軽口ぐらいだ。

この映画の前にみた映画は、あの「新世界国際映画館」での「ビザンチウム」。
上映中の頻繁な出入りの音と光、咳・独り言・鼻歌、前席にもたれかけた両足、座席で広げられるスポーツ新聞、4・5人でいっぱいになる小さな待合は煙草の煙で充満…となんとも賑やかな様子だった。

久しぶりのミニ・シアターは、静かで洒落ている。
ホール内は、さらに静かであった。
音が壁に吸い込まれるような気がする。

上映開始で部屋が暗くなった一瞬、
この部屋には他に誰もいないんじゃないかと思えるくらい静かになった。

真っ暗

誰かがゆったりした座席の上で腰の位置を変えた音が大きく聞こえた。


暗さのおかげだと思う。映画本編にはものすごく集中できた。

映画はモノトーン&サイレント。
そんなことも知らずに座席に座っていた。
音声は無いけど、美しいBGMがずっと流れ続けている。

特に印象に残ったのがスパニッシュギターや、カスタネットのリズム。
映画を見ている間、ギターを叩いたり、カスタネットをはじく演奏者の手の動きのイメージがずうっと頭の中に浮かんでいた。

一方、画面の美しさに文字通り目が眩んでもいた。
モノトーンの映像が、こんなにも美しいものとは。
ひとつひとつのカットが美しく、美術絵画を眺めているように感じた。
しかもその絵が動く。

「絵が動いている」
独り言を声に出して言いそうになった。

映画って”活動写真なんだ”と、この年になってはじめて気が付いた。


BLANCA NIEVES とは白雪姫のことだった。

この映画はスペイン的な文化と情熱で彩られた snow white の物語なのだった。

魔女も7人の小人もちゃんと出てくる。

白雪姫に模した現代の寓話のような物語、というよりも

寓話の形を模した現実の厭らしさを語る結末とでもいうべきでしょうか。

2014年9月3日水曜日

(映)「イーダ」

●ポーランドのユダヤ人をとりまくお話。

歴史的状況、その空気感についてセンスがないと、特に主人公の叔母ヴァンダの抱えるものについて推し量ることもできない…という印象を受けました。

ドイツ・ナチス党の支配下、隣人であったポーランド人によるユダヤ人排斥。
スターリン主義とポーランド人への断罪。
共産主義体制の独裁化という歴史…

書いててもどんな生活で社会なのか言葉面しかわからない。

●そのうえ、主人公の少女・アンナ(イーダ)はカトリック修道院で修行中の修道尼。
今回の旅で、実は戦時下に家族を失ったユダヤ系としての出自を知るという設定。

ヨーロッパのキリスト教とユダヤ教。
ますますわからん。

ついでに言えば、映画史における”ポーランド派”の”新世代”という映画自体への惹句もある。
これも雰囲気しかわかってない。

世界史を紙の上で勉強してるだけの自分のような者には推し量れないものが描かれた映画なのでした。


●戦時のユダヤ人と言えば、昨年末に観た「ハンナ・アーレント」。
映画の中で、仲間たちがヨーロッパのユダヤ人が背負う歴史について、熱く語る場面がありました。
こちらは、心情や思想を背景に「ハンナ」の生きざまをテーマとする映画。
まさに言葉が重要でした。
言葉で語れないものもあることも伝わってきました。
(…自分自身としては、もっともっと映画的に語る映画が観たいと思いましたが)

●ヴァンダとアンナ(イーダ)の映画は、言葉少なに進みます。
ショッキングな映像で訴えるのでなく、叙情的な画面。
耳に残るのはコルトレーンのエロティックなジャズの調べ。
歴史ー状況を知った「アンナ」がほとんど選択肢のないなかで、どう生きていくのか、自分の人生を引き受けていくという物語

●叔母のヴァンダがむちゃくちゃ渋くてかっこいい。
ジーナ・ローランズを思い浮かべました。







●監督のインタビューがweb上にあったので、鑑賞後に読んでみると、
テーマへの切り口に別の考えもあったそうです。
なぜカトリック教会の修道女とユダヤ系女性の話なのか。
なぜ時代設定は、戦争と革命の間の時期なのか。
監督インタビューを読むと、選ばれたこのシーン設定の選択の妙を感じざるを得ませんでした。

これが新世代ってことか。

2014年8月29日金曜日

(展)大津市歴史博物館 戦争と子ども

只今展示中の戦争と子どもたちは、個人的にハマる。
「戦争と子ども」テーマは何と言っても小学校の資料が多くなる。
その中でもどっぷりハマったのは、青い目の人形と5年生の絵日記である。

青い目の人形は,戦争前のアメリカから友好の証として日本の小学校や幼稚園に送られたもの。
その数日本全国に約15000体弱。

戦時には敵国の人形として全て廃棄命令がでたそうである。
送られた当時の人形は小学校で盛大な歓迎セレモニーもあった。すばらしい写真がある。
時代性とはいえ、なんとも落差の大きい話なのである。


当時は、廃棄命令に背いた教員もいたらしい。
戦後になって、全国で300体近くの人形が発見された。
滋賀県の平野小では昭和40年代になって学校の壁のなかから人形が発見されたらしい

それぞれの人形には名前がある。
小学校の壁から救出された方はジェーン・ハイランドという。
滋賀では他にメアリー・L・スナイダー嬢と、マリオン・ベイビー嬢が発見されたそうだ。
横にすると、目も閉じる
USA発行の個人パスポートも付いている。

立派な人形である。眺めていて飽きない。
人形展示会ではないので、こういう食いつき方をしているオッサンは他にいない。

日本からは有効の使者として市松人形が渡米したそうである。

今回の展示ではもう一つ一字一句確認した物がある
戦時中の瀬田小学校5年生女子クラスの絵日記である。
絵も文章も秀逸である。
このまま出版しても絵本として買ってしまいそうである
戦時中にどんな暮らしをしていたのか。
資料価値も高い。

その他、戦時教育として広められた戦争紙芝居もビジュアルが面白い。
桃太郎ストーリーとだぶらせて、赤鬼ーアメリカ兵、青鬼ーイギリス兵に見立てているのだが、主人公の日本兵がどう見てもアンパンマンなのである。
やなせ先生の画風でいうと、初期よりも晩年の完成されたアンパンマン似ている。
アンパンマン以上にアンパンマンである。

2014年7月1日火曜日

(実習)高松の記録(2)

■女木島は「鬼が島」である。

女木島の洞窟は、1914(大正3)年、高松市鬼無町の郷土史家橋本仙太郎氏により発見された。
洞窟は総全長で400メートル、面積4000平方メートルに及ぶ。
この洞窟には、人の手により開発された生活の跡があり、昭和6年に鬼が島として公開された。
橋本氏はこの洞窟に歴史上の謎を見ていた。
桃太郎説話に登場する鬼が島の舞台は、この女木島の洞窟ではないだろうか。

その他、Oさんの説明は、洞窟の亀の甲天井の話・ちゅうじょう虫の話・洞穴の様子・中学との連携教育活動オニノコプロジェクトと多岐にわたったのだが、それらは学生さんのレポートにまかせることとして、この記録では鬼が島に関する部分を拾い上げてみる。



■鬼とは瀬戸内海の「海賊」である。

Oさんの説明は続く。
桃太郎の説話には作者がいる。
菅原道真の手によるものである。
道真は九州大宰府に送られる6年前に、讃岐の国司として派遣されていた。
讃岐には、第7代孝霊天皇の第8子稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)による海賊退治の逸話が残されている。
皇子は、天皇の命により岡山に派遣され、その際、高松の姉を訪れている。
孝霊天皇第2子であり皇子の姉である倭迹迹日百襲媛命(ヤマトトビモモソヒメノミコト)は高松に嫁いでいた。
この媛自体には、卑弥呼その人で倭の国の王であった---邪馬台国=吉備説がある。
倭迹迹日百襲媛命(ヤマトトビモモソヒメノミコト)は皇子に海賊退治を依頼する。
近頃では高松の水域に海賊が横行し、島民の生活を苦しめている。
これを退治し、島民の高松の生活に安心をもたらしてくれまいか。

瀬戸内海は海賊の横行が有名である。
Oさんの解説によれば、源平合戦の折の水軍の残党が海賊として島に住み着いたといわれている。
愛媛の今治の村上水軍などでも瀬戸内海の海賊は有名である

ともかく、こうして皇子は海賊退治のために、根城である女木島の洞窟を目指す。
海賊征討のために皇子は兵を募る。
岡山県沖の犬島よりの者
陶(すえ)の猿王の者
高島市鬼無の雉ケ谷の者が皇子に同行する
皇子たちは見事に海賊退治に成功し、海賊の一部は男木島に逃亡をはかる。


■伝説と解釈と

…洞窟めぐりが終わった後、帰路につく前に御礼方々Oさんに確認も含めて世間話をはじめてみた。
ちょうどそのとき、船着き場行きのバスが到着し、我々一行が慌ただしくなってきた。
史実に関する文献の示唆だけでも受けようと思って、世間話を始める。
ガイドの仕事は島の方がやっているんですか?Oさんは何年くらいのお勤めですか?
Oさんは観光協会の所属で、ガイドを務めて5年になるという。
続けて今日聞いた桃太郎の話について何かまとめられた資料がないか、どこかで確認できないでしょうかと話し始めると、妙にはっきりと「歴史の解釈はさまざまですから」とお答えが返ってきた。
何か話の先回りをされたような語り方だった
こちらが教えてほしいことの意図がうまく伝わっていない気がしたのだが、バスが出て行ってしまった。

うーん。洞窟を発見し、桃太郎伝説と結びつけたという郷土史家の橋本仙太郎さんの文献はまだ読んでいないし…
それには詳細書いてあるかなあ。
読まないといけないなあと思うのだけど…時間ないなあ

稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)による海賊退治の逸話が残されているという話は、どこで確認したらいいのだろう?
瀬戸内海の海賊は有名だが、解説に出てきたのは源平合戦の時代の事例であったので、稚武彦命の古代時代とあまりにかけ離れていて、話を理解するのに混乱しかけた。
そもそも桃太郎説話の作者が菅原道真というのも、どこで確認したらいいのだろう?
犬・猿・雉とはそれぞれ地名だというのは、どこかで確認できるのかな?


■岡山の桃太郎

桃太郎伝説が地元の説話として残っている地域は、全国各地に見られるという。
一般には、そのなかでも黍=吉備団子の岡山がもっとも有名。
岡山の場合、吉備津神社社伝の説話が物語の原型であるとされている。
大和朝廷の命を受けた吉備津彦が岡山地域を平定していく。
そのできごとが、桃太郎説話として残されたのではないかというのだ。

各地に残る桃太郎伝説そのものが、大和朝廷の地方平定のプロセスの説話化だという解釈は聞いたことがある。
古代ではない、もっと新しい物語だという説もあるらしい。

ともかくも、高松の場合は岡山の吉備津彦ではなく、同じく孝霊天皇の息子である稚武彦の征服譚となっている。
そして説話における鬼は海賊のことであり、犬と猿と雉の家来は、稚武彦の家来の出自を表すのである。


■女木島の神社とお墓(省略)

■伝説と現代と

ところで、「鬼が島」をテーマとした島の観光地化は思っていたよりも希薄だなぁという印象であった。
観察が不十分なためか、鬼が島の「洞窟」と「おにの館は」観光化をテーマにそれほど連動していないように感じた。
経済規模も小さいような。
確かに桃太郎観光はそんなに流行りそうにないように思うけれども、今回は、鬼グッズを買って帰ろうと土産を見込んでいたのだが…

…自分の土産の予定はともかくとして、鬼の洞窟は高さのスケールこそあまり感じられなかったけれども、人がいたと想像すると本格的で見ごたえのある洞窟だった。
その一方で、まだ新しい「おにの館」という施設は単に島の入り口にすぎないように思えた。
洞窟ではお土産に吉備団子が置いてあったほかに、特に「桃太郎」の雰囲気はあまり感じられなかった。
おにの館でもそう。
島はその他にもさまざまな特徴を打ち出そうとしていた。
「ちゅうじゅう虫」と、「世界最小のメロン」と、天然記念物の「柱状節理」と、「日蓮上人像」とが点のように情報が散在していた。
「鬼」について考えてみると、「おにの館」はあるけれども、洞窟まわりの観光用の鬼のフィギュアと洞窟内の中学生たちが作った鬼の焼き物以外には特に「鬼」らしいものは感じなかった。
「海賊」についてイメージされる雰囲気はほとんどない。

目に映ったのは、鬼が島・日蓮像・モアイ像・独特の生態系・アート、恋人岬とキャンプ場、電動自転車と真新しい「おにの館」。

山を挟んだ二つの小さな集落でできた島であること、
ほんの小さな畑地しか見当たらなかったこと、
海をわたる神輿の写真・若者が神社で神輿をかつぐ写真が最近の撮影に見えること
その祭りは2年に一度のこと・・・島の生活で印象に残ったのはそういうことだった。

桃太郎の伝説はあるけれども、島をあげての観光資源っていうことでもないのかなぁ
一方、いろんな材料をてんこ盛りにしているように見える点が印象に残ったのであった。

2014年6月30日月曜日

(実習)高松の記録(1)

■高松には「鬼が島」があった

女木(めぎ)島という島がある、と学生さんが教えてくれた。
高松市からフェリーで約20分という市街地との距離感。
地元では、鬼が島として知られている。

鬼が島?桃太郎?桃太郎伝説があるらしい。
で、古い洞窟もあるとか。
行ってみたい。


■女木島の由来

瀬戸内海では、時代は全然違うけれども国生み神話の中心オノゴロ島もある。
邪馬台国の吉備説とかもあるようで、瀬戸内近辺は伝説と神話の海である。

そういえば、女木島は「オンナギシマ」と読めば「鬼が島」とちょっと音が似ている。
…だが、実際は「めぎ」島で、「めぎ」という名前には由来が残っていた。

その昔、源平合戦で那須与一が射抜いた扇の残骸が島に流れ着いた。
讃岐地方では壊れたということを「めげた」と表現する。
壊れた扇が流れ着いたことから「めぎ」と呼ばれるようになったという説である。
…謂われは鬼が島と関係ないのか…

さらに、女木島からフェリーで20分くらい離れたところに、男木(おぎ)島というのがある。
桃太郎伝説の一説では、鬼が島(女木島)を追われた鬼たちが、いったん避難した島とされている。


■昼食情報

…訪問当日、時間がなくて女木島しか行けないのは残念だった。
昼ころについて、もう帰りの船の時間を気にしなければならないような状況である。

もうひとつ懸案事項があった。
島は、インターネットや地図で見て予想してた以上に簡素な島だった。
どうやら食事場所は、船着き場すぐ横にできた真新しい「鬼が島おにの館」にしかない模様。
学生さんによると、地図上にもうひとつの食堂が書いてあるが、行ってみたらお休みになっていたとか。
船着き場では、できたばかりのカフェのチラシを配ってたけど、飲み物しかなさそうだし。
…船に乗る時間ばかり心配していて、弁当も買わずにやってきてしまった…
あれこれ考えながら島の暮らしを想像してみた。
いろいろ聞き取りしてみたくなる。


■「おにの館」

「おにの館」は、小さな食堂を含んだ小奇麗な観光案内所という趣きだった。

「鬼に関する郷土民具」が展示してあるとHPにはあった。
館内の奥の部屋に、それらはゆったりと陳列されていた。

女木島では、島全体を展示場として、各地点に大学生の作品が陳列されているらしい。
島内の観光案内のような作品展示マップが「おにの館」入り口のスペースに拡げられている。

さらに館の外には、HPで見たモアイ像が一体屹立していた。
日本のクレーン会社がイースター島にモアイ像の修理についた。
練習用のモアイ像。
鬼が島のモアイ像。

ううむ。この場所で見どころらしいものをすぐにいくつかクリアしてしまった。

「おにの館」館内で、最も関心をひいたのは、壁に飾られていた数枚の島の祭りの写真であった。
住吉神社のあばれ太鼓の祭りだそうだ。
海に太鼓を渡す。






■鬼が島観光協会

鬼が島観光協会は、山の上の「鬼が島大洞窟」の窓口である。
洞窟入り口までは、島ならではのおそろしい勾配の坂を一気に登っていかなければならない。
交通手段は、船着き場から洞窟まで往復するバスまたは電動式自転車か電動式じゃない自転車。
電動式自転車のすばらしさを体感することにした。


どうにかこうにか洞窟入り口までたどりつき、洞窟めぐりの料金を汗だくで支払っていると、学生さんたちとガイド役を引き受けてくれた観光協会Oさんのやりとりがはじまっていた。

・向かいの山の山頂に見える「日蓮上人像」は昭和12年に高松市より移転されてきたものである。
(誰が何のために何でそんなことを?)。
当時は、島にまだ水道もひいていないころで、セメントをつくるのにいちいち水をくみ上げていたような状況。
山の木を伐採し、その木を土台に像を手でひっぱりあげたということらしい。
四国全体に法華宗はそんなに広まっていないので、この周辺では日蓮上人像は珍しい。
(ではなぜ日蓮上人の像がこの島に?という疑問は観光協会HPに説明あり)
・洞窟案内所に飾られている昆虫の写真は、京都大学の研究者が55年ぶりに発見したという「ちゅうじょう虫」。
洞窟に生息し洞窟で進化したというこの珍しい虫は、発見した先生以外に島の人でも本物を見つけた人がいない。
・大阪大学の研究者がわざわざ調査に来た食べられない絶滅種の「世界最少のメロン」がある。
(なんでそんなものがここに?)。
島の人にとっては雑草みたいなもので捨てられていたという…

……船酔いと空腹と汗まみれの脳内に、さまざまな情報が一気に押し寄せ、混乱と謎を残したまま、すぐさま洞窟めぐりがはじまる。
「日蓮上人像」や「モアイ像」の説明は観光協会のHPで後で確認しよう。
説明は書いてあったと思う。
頭はドンヨリしたまま、テンションだけが上がる。
鬼が島の説明がはじまる。

2014年6月15日日曜日

(日記)インディアカやってきた

コートジボアール戦をやってるとき,絶対に負けられない戦いを学区でやってきました
フットサルに出た人は炎天下で可哀想でしたが僕の出たインディアカも体育館に暗幕はるので,相当な消耗でひた。
交代の人がいないという言い訳もありますが,午後は暑すぎだー
決勝まで頑張って出ましたが、一緒に来た子どもはフットサル見に行ってて、全然お父様の活躍ぶりを見ておりませんでした。
膝痛い

2014年5月31日土曜日

(日記)インデイアカって何?

なんか、町の体育委員さんから電話があって、学区のインデイアカ大会に人が足らないから応援頼むということだった。

インデイアカ?

何か室内ゲームっぽい名前だ。
ソフトバレーボールみたいな、誰でも参加できるゲームみたいなものかな?

実は今年自治会の副会長になっちゃってるし。
例年だとあまり来ない連絡だけど、出なきゃいけないかなぁと思い、スケジュール空いてたのでГ了解しました」と安うけあいした。

YouTubeでインデイアカを見た。

マジな動画ばっかり
これってハードなバレーボールですやん!
いちばんやったらあかん奴やん

マジで2メートル超のネットに向かってジャンプせなあかんのかな
昨日、試しに10年ぶりぐらいにジャンプしようとしたけど、腰と膝が泣いた。
お腹と背中がダブついた。

どーやって逃げよーかなー

2014年5月21日水曜日

(展)野崎観音いま・むかし

(展)「野崎観音いま・むかし」大東市立歴史民俗資料館

●野崎まいりは江戸時代の大阪の観光名所である。
娯楽であり、旅であり、癒しである。
「来・ぶらり」館で知られる大東市の歴史博物館では、野崎まいりまでの歴史が古代の様子から一連の流れとして概観できる。

●古代から近代までの地形・地勢の変化と地域の発展の歴史がわかりやすくて楽しい。

縄文や弥生は長い年月なので、この間に地形そのものが大きく変わっている。
古には今の大東市地点が海浜にあたったり、環境そのものが今と全然違う。

●国家が形成される頃になると、街道が成立し、平安・平城・藤原・難波京とそれぞれの京との位置関係が示されている。

●中世初期には、いくつもの川と広大な池などの地図とともに、山の麓の「須波麻神社」が強調されている。
中世後期には、地形図の他、三好氏の台頭とともに「キリシタン」が広まったそうだが、やがて禁止令が下る。
かわって大阪に広まる浄土真宗が東方まで伝わる様子を、飯盛山の専応寺の話題をとりあげて紹介している。
そして近世には、新田開発と水上交通の拡大と安定を背景に、曹洞宗の慈眼寺に参る野崎まいりの盛況ぶりが紹介されている。

こうやってみていると、神社ーキリシタンー浄土真宗ー曹洞宗とこの地に影響を与えた象徴的な宗教が変遷しているようである。

●そんななか、ひときわ興味深いのは「池川魚取免許条々」という古文書であった。

中世の文書で領主の寺沢弘政に河川での魚取りの許可をもらう証文だそうな。
なんでそんな証文がいるのか、よく理解していないけど、とにかくそういう許可制という支配体制があったそうだ。

優先的に八ケ所・榎並の村はとっていいよ、ということが書いてあるらしい。
取っていいかわりに、毎日、魚と鳥を城に献上しろ、とあるらしいのである。

ともかく関心をもったのは、魚・鳥などの殺生はOKで、ふつうに献上しろってことだな。
これらの肉はふつうに、食べるんだ。
ということが、はっきり条文からわかるということだった。

最近、
肉食のタブーについて、そもそもがわかってないなーと反省しているので、関心深いのである。

●観音のこと書かなかったな

2014年5月12日月曜日

(展)チェコの映画ポスター

●これも5月11日までだった。
ブログの記事が無いので、前に書いといた記録を公開しとこう。

むっちゃ人の多いGWの隙間を縫って駆け足で見てきた。

1.社会主義体制のチェコスロヴァキアにおいて、芸術作品の公開は、国家の統制を受けていた。
社会主義体制を象徴する映画、体制の下に抑圧された国民の心象など、自国の映画に独特な傾向をもたらした。
2.また、輸入される映画について、独自のポスターを作成した。
3.その傾向は、自由化がはじまって以降も続いた。
4.日本映画は、怪獣映画、黒沢や新藤の文芸映画が輸入された。

日本映画
ゴジラ















日本映画
砂の女














蜘蛛巣城















知ってるので面白い
ヴェニスに死す














姿なき殺人者(そして誰もいなくなった)















他にも楽しいの、美麗なの、かっこいいのいっぱいある。

2014年5月11日日曜日

(展)リリアン・バスマンの仕事 (於:龍谷大学)

●第二回京都国際写真祭は今日で終わった。
京都中のそこかしこに50位の展示場があるらしい。
街中では、写真鑑賞を求め歩く人たちをけっこう見かける。



●龍谷大学の重要文化財本館も、展示場のひとつとなっている。
シャネルが提供し、ハーベスト婦人画報社も協力して、写真家リリアン・バスマンの仕事を紹介している。

●写真好きというわけでもないが、久しぶりに大宮学舎本館に入って見学した。。
無料に弱い。
写真展示に使われている部屋は、かつて学長室や来賓室と使われていた部屋ではなかったか。
この校舎は、ときおり時代ものドラマの撮影に使われるレトロな建物だ。
レトロな校舎内に、モダンなリリアン・バスマン写真群が並んでいる。

●黒と白の陰影が印象的な多い。
撮影年からすると、現代のファッション誌のスナップのさきがけのように思える。
よくわからないけれども、かっこいいと思う。

大宮本館校舎の使われ方もかっこいいと思う。

2014年5月10日土曜日

(展)「清沢満之と真宗大学」に行ってきた

●大谷大学博物館の記念企画展
大谷大学のあゆみ「清沢満之と真宗d」大学
は、5月11日までなので仕事帰りに寄ってきた。

●大学内の博物館の小さな無料展示。
「大谷大学のあゆみ」の方にはあんまり興味がなかったので、清沢満之関連の古文書を(意味がわからなくとも)じっくりみてきた。
清沢満之といえば、近代真宗教学の開拓者で、「精神主義」という観点から従来の教学の改革を目指した人物である。
そんな解説はいらないか。

●清沢満之は歴史・思想史畑では今静かなズームになっていると感じている。
僕がジョードシンシュー・フリークだからそう思うのでなくて、実際に、今売出し中の歴史学者の間で研究会やシンポジウムが開かれているからそう感じている。
シンポジウムのお知らせを見つけると、昔読んだなぁという感慨と、ちゃんと読書を続けていたら思想史と社会意識史でなんか書けたかも、という打算と後悔が頭をよぎるのであった。

●それはともかくとして、無料の展示会で、「清沢満之の人となりに迫る」という小冊子も手に入るので、もっと清沢関連の展示物増やして欲しいというイヤミをアンケートに書いたりせず、静かに鑑賞にひたる。

●…清沢満之は藩士の倅であったのか。
西本願寺での学問からはじまり…東本願寺から東京大学に留学し、
歎異抄の大発見をし、
阿含経に傾倒し、
エピクテタスの教訓書に啓発された…

後に清沢さんの娘と結婚し、寺院に入る。
本山からは改革の急進性から破門される。
若き真宗学徒を集い「浩々洞」を結成し、雑誌「精神界」によって真宗の信仰を世に問う。
浩々洞に集った人たちには、僕も読んだことがある有名人が名を連ねている。
暁烏敏、佐々木月樵、金子大栄、曽我量深。
内村鑑三の聖書読書会と並んで、学生に関心を持たれたらしい。
学生時代に読んだことがある名前で懐かしい。
しかし、本棚にもあるけど、内容忘れてしまった。
今でも覚えているくらいだったら、とっくに悟っているとも思う。

●展示会のチラシの素敵なデザインは、雑誌『精神界』の第5巻1号と第6巻1号の表紙デザインから組み合わせている。
精神界の表紙は、高浜虚子さんと相談して中村不折さんにデザインを頼んだそうだ。
他の号も展示されていたが、デザインがあたたかみがあって、かわいい
写真撮影不可なのが残念である。



2014年1月14日火曜日

映画「鑑定士と顔のない依頼人」THE BEST OFFER

映画:「鑑定士と顔のない依頼人」(THE BEST OFFER)
上映館が少ない。
上映回数も少ない。
そのせいか、ホール内の席は8割は埋まっていたと思う。
正月映画は他に派手な映画をたくさんやっているのだが。
「ニュー・シネマ・パラダイス」や「マレーナ」を撮った監督だ。
人気が合って当たり前と思う。

スクリーンホール内は、若者よりも映画好きなおじさまおばさまでいっぱいだった。
そういう自分も平均年齢上げているのだけれど。

ミステリーとしてこの映画はよくあるパターンの物語。
ああ、こういう話なのだと冒頭でのさまざまな状況紹介と、出会いのはじまりで察しがついてしまう。

でも、クイズ問題を解きに来たわけではない。

物語をどんなアプローチで、どんな仕掛けで、どんなプロセスで、どのような感情の起伏で、どんな映像で魅せるか…人間をどのように描けているかだけど...いろいろあるのだなー。

この映画の映像は美しい。

屋敷を・館内を・レストランを歩き回る足音が美しい。

個人的に、歴史的をかいくぐってきた美しい調度品、その豪華な印象と寂れた雰囲気、オートマタ、絵画の数々、そんなものを見ているだけで心地よい。

前半ずっと、電話のやりとりが続く。

最初、ダミ声にしか思えなかったヴァ—ジルの低音がだんだん渋く思えてくる。

あまりなじめなかったクレアの声が、電話を通じてずっと聞き続けているうちに、だんだんセクシーな声に感じられてくる。

映画を通じて、ヴァ—ジルの耳に感情移入してきたのだろうか。

そして、物語の最後に…ひとつの真実の欠片でも探し続ける男、それがあったと期待しないではいられない男の映像に、人々の喧噪と小刻みに時を刻む小さな音たちが重なる。

映像も美麗であったが、音のシネマとして頭に焼き付けられた。

2014年1月12日日曜日

本:「解錠師」(THE LOCK ARTIST)

一年前に買った小説を、この正月にやっと読んだ。
ポケットミステリ版と文庫版があるが、装丁はポケットミステリ版の方が好きだ。

噂通りの上質な青春小説・成長物語、プロフェッショナルな金庫破りの物語。

読みながら、ドン・ウィンズロウの『ストリート・キッズ』の名前がチラチラ頭に浮かんでは消えた。
あっちは、どんな話だったっけ?

ずうっと気持ちよく読めた。
天才的ロックアーティストだし、美少年だし、バイカーだし、トラウマで口はきけないし、写実的なコミックを描くし、、、
イメージしているだけでも美しく思い描けたけれど、クライマックスに向かうほど読む方の気合いが抜けてきた。
なぜだろう?
イヤなまとめもなく良かったのに。

読み始めて、これは傑作ではないか、と読んでいるこちらの期待が大きくなっていった。

そうなのだけれど、やっぱりそういうところで終わるのかなーと妙に安心する結末。

そんなところが、オッチャンは妙に落ち着かなかったのであろー。