2013年9月20日金曜日

本:「族長の秋」

「族長の秋」 ガブリエラ・ガルシア=マルケス


やっぱり、文体の感想から書いてしまう。
300ページで6回ぐらいしか改行がない、とレビューしている人がいるくらいだ。
幸い句読点はある。


架空の南米の小国。
独裁政権を築く大統領の話。
物語の文体は語り手の主語がわかりにくい。

作者はそれを意識して書いている。

改行がない、語り手の主語がない。
ひとつづきの段落のなかで、物語の進行は語り手が入り交じる。
会話文としての「」も少ない。


作者は集合意識を書こうとしている、と解説では表現している。
なるほど。
わかるような気もする。
けれども、自分自身の言葉として表現できない。


正直、50ページ過ぎたあたりで先人のレビューから読解のヒントとか、おもしろさを紹介してもらわないともう限界だ、と音をあげはじめた。


この本のおもしろさは、”読むという体験””物語の世界を味わうこと”そのものにあると言えるかもしれない。
そんな言い方しか、できないなあ。
色鮮やかな表現、匂ってきそうな糞だらけの描写、暑苦しい気候。
それらの描写とともに、眩惑するような文章が出てくる。


たとえば、年がいもなく若きマヌエラ・サンチェスの美貌に魅入られた孤独な大統領の様子(だと思う)は、次のようなエピソードの連なりで物語られる。
以下の要約に時制を示す語が出てこないのは、実際に小説中にでてこないからである。


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大統領は美人コンテスト優勝者の美貌の噂を耳にする。
たいしたことはないと思いながら、ワルツの相手をする。
ドミノの勝負の仲間の部下に、
あの程度の女ならごろごろしていると嘯くと、
勝負の途中で乱暴にドアを閉めて出て行く。
大統領は、夜8時の鐘の音を聞く。
皿の食べ物を歩きながら食べ、
屋敷に並ぶ歩哨14名を数え、
愛妾たちの部屋で誰かも気にせずまさぐってから、
屋敷の23個の窓の鍵を調べ、
屋敷の入り口から寝室まで火をつけた牛の糞を5メートルおきに並べ、
寝室から入り口まで電気を消して歩き、
総数48羽の小鳥たちが眠る鳥かごのひとつひとつにカバーをかけ歩き、
鏡に映る自分を14回も眺め、
時刻が10時であることを確認して
護衛たちの寝室へ行き、
もう寝るように指示を出し、
部屋という部屋のテーブル下からカーテン裏まで隠れている者はいないか調べ、
はちみつを2杯なめて横になったが、
お休みという母親の姿が頭に浮かび、
11時の鐘を聞くと、
暗闇の建物をもう一度点検に回る。
回転する灯台の光のなかに、
「星屑のような泥の痕をつけて」歩く中庭を徘徊中のレブラ患者を見つけ、
(注:大統領は英雄としてレブラ患者を治す力があると崇拝されている)
屋敷の歩哨の数をもういちど数え、
寝室にもどると、
寝室の窓からカリブ海を23度ながめ、
12時の鐘を耳にすると、
ヘルニアの恐怖が背筋を這い上がるのを感じ、
「寝室のドアを三個の掛け金、三個の錠前、三個の差し金で」締め切り、
7滴の小便をして、
床にうつ伏せになって、眠りに落ちた。
3時15分に何者かに見られているように感じて、
汗びっしょりになって目覚めると、美人コンテストの優勝者が見ていることがわかる。
大統領はわめいた。
誰か、こいつをひきずりだしてくれ。
廊下をかけまわった。
牛の糞を踏んで歩いた。
もうすぐ8時だというのに、みんな寝てる、どうしたことだ。
あちこちで、明かりがつき、
起床ラッパがなった。
港の要塞でも、
全国の兵営でも。
バラの花が威勢のいい音とともに開く。
ねぼけまなこの愛妾たちは、小鳥のカバーをとり、花瓶の花を取り替える。
左官たちはあわてて壁を作る。
中国人の洗濯屋たちは、大騒ぎで、まだ起きない連中をベッドからひきはがし、シーツをさらう。
先の見える盲人が、「愛を、愛を、とその必要性を」説く。
悪徳役人は、昨日の卵が残っているのに、メンドリが卵を産むのをみた。
混乱した群衆、いがみあう犬のために、閣議の場は騒然としていた。
将校が、大統領を入り口ホールで呼び止め、まだ2時5分だと告げる。
もうひとりが、3時5分だと告げる。
わしが8時だといったら、8時だ、と大統領は言う。
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紹介、長っ。
どこで切ったらいいのか、決断ができない。
エピソードは一度の段落もなく続く。
ここまでで、ひとつの段落の途中。


物語の内容はイメージ化できるからそういう意味では読みやすい。
むしろ、想像豊かであれば、鮮やかな彩りで思い描けると思う。
また、犬の糞などに代表されるようなユーモラスな描写もある。

いろんなエピソードが印象に残る。
そういう意味で傑作なのだと思う。
たとえば、僕は「宝くじと2000人の子どもたち」の話がバカバカしくって、けど、そら恐ろしくって、大統領に同情などしてはいけない、と考えていた。


宝くじは、大統領がいつも当選するように抽選会で不正が行われていた。
抽選では、子どもたちが中身の見えない袋から数字を書いた玉をとりだす方式。
大統領のくじの番号があたるように、袋の中の玉には印がつけられている。
子どもたちは触ってわかる印のある玉を取り出せばよい。
まもなく、子どもたちからいかさま情報が漏れ出す
そのため、宝くじのたびに、関わった子どもたちを拘束することになる。
その数は約2000人に及ぶ。
子どもたちの親たちが、宝くじのたびに子どもが姿を消すので、暴動をおこす。
実は、この状況を大統領はこんなに多くなるまではっきり自覚してなかった。
部下が勝手にやってたことだ。
国際社会で人権問題としてとりあげられる。
他国からの外交官がといあわせてきたり、民衆がつめかけると、
大統領の腹にヒキガエルがわいている。
大統領の脊椎のイグアナが住み着き、たてがみがあたって頭が痛いなどといって、大統領は仮病を使う。
子どもたちを、アンデス山中の洞窟にかくまったり、水田に埋めて国際連盟の人権委員会の捜査をやりすごした後、
結局、大統領判断で、2000人の子どもたちをセメント船にのっけて、沖で爆破する。


この小説の内容評価をわかりやすく書いているレビューがあったら、どなたかに教えてほしい。

この小説のレビューを書く人は文体のことを書く人が多い。

内容を解説しても、引用される部分が、だいたい100ページ以内が多い。

みんな読むのに苦労したんじゃないかと思う。

2013年9月19日木曜日

一向一揆歴史館に行ってきた6

(前回までのあらすじ)
デンマーク軍で働く弁護士アネ・ドランスホルムの殺害は、過激派によるものではなかった。
軍関係者の連続殺人は、アフガニスタンに派兵されたデンマーク陸軍の謎の兵士による仕業だったのだ!
謎の兵士はアフガニスタン派兵にある闇を葬り去ろうとしている、とサラ・ルンド刑事は睨んでいた。
その矢先、事件はあっさりと真犯人と覚しき通信兵ビラルの爆死という解決を迎える。
事件を執拗に追ってきたルンド刑事は、相棒のストランゲ刑事の安堵をよそに、落ち着かない気持ちで祝杯ムードの警察署内にたたずむ。
あまりに残された謎が多すぎるのだ。
事件の解決を認めようとしないルンドに、ストランゲ刑事は・・・

・・・ルンドの着っぱなしのセーターいいね!と思ってたら、ヨーロッパではやっぱりバカ売れなんだそうだ。
日本円では三万もするよ!
高いよ!

■6
ケガレと清めの文化と社会階層

中世に登場する非人について、網野は、こうした人々の職能性に注目する。
非人には当時、職能としての「清め」の役割が認められていた。

この網野論に対し、真正面から反論している議論を読んでいないのだが、そのようにまずは押さえておきたいと思う。


ところで、清めは、穢れに対する概念である。

穢れと祟りは、日本の宗教性・文化性の根幹を成す感覚だろう。

平安期において、天変地異・政変・疫病のはやりのなかで、穢れの感覚は特に貴族社会で強まる。

平安に広まる貴族仏教とは、穢れの「払い」を仏教に期待するものである。


仏教にたずさわる僧は、穢れてはいけなかった。

穢れに近づいてもいけない。

穢れは、仏僧にも伝染すると考えられていた。


当時の穢れには、以下のような現象が相当した。
死・病・産・土地などの大きな移動(cf地鎮祭)・火事など。


当時の仏・法・僧は国家からの管理も受けていた。
免許制の僧だ。

僧には免税などの特権もあった。

なので免許外の非公認の僧も現れた。
税金・雑役逃れに勝手に僧になってしまう。

法師というのに、そういう人たちがいたそうな。

俗を捨てることにもなるので、こつじきに身を窶すことにもなる。
それで、こつじきは、賤しきものと同時に聖なるものという両義性を持つことになる。


死は穢れの代表的な事例。

僧も触れない。

穢れを清め、粛々と作業を進める人たちを必要とした。
網野は、清める力を持つものだととらえた。

人外の力を持つもの。
他のものとは違う力を持つもの。

非人・河原者などである。