2009年6月10日水曜日

入門実習日誌(小豆島)その5

▼日誌のブログ公開は以下の分までにしときます。

一日目の町歩きは、だいたい紹介できたしね。






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歩く
(ここからの道程は写真を見ながら・・・文章が少なくなります)

夕飯集合まであまり時間もない。
結局、あの幽霊ビルのようなところで休憩した以外は、まっすぐエリエス荘まで歩き続けた。
図書館からエリエス荘までは、八幡神社の大きな鳥居下を道なりに歩いていけば、金両醤油の三叉路に出てわかりやすかった。
車と一緒に歩くだけのだいたい徒歩1時間くらいのコースだった。



有形登録文化財の店や工場を数えたり、途中で通り雨に降られたりしながら歩いていると、17時過ぎに醤油調査隊からのメールが届いた。

一番最初に届いたSくんからのメールに醤油隊は全員宿舎に戻っていると報告があった。

しかしその後も醤油隊メンバーひとりひとりから個別に帰宿報告がメールで届いた。


その一個一個のメールに対して「了解しました。お風呂もう入れるので」などと歩きながら返信したのだけど、数分後、その全てが送信できませんでしたというメッセージが届いた。

2・3回再送信したが、全てダメで、だいぶゲンナリした。

雨に降られても、行きのマイクロバスの中でKくんが「ロード・オブ・ザ・リングの山みたいや」と表現したと思われる山の緑が美しい。

別の宿かサイクリングセンターで借りた白いレンタル自転車に乗った3人の女性が、戸が閉まった一徳庵の前で雨宿りしていた。

黄色いレンタサイクルに乗っている人も見かけた。
エリエス荘までの途上にあるネオオリエンタルホテルで返却しているのを見かけた。


”幽霊ビル”のあるカーブを曲がると坂手港一帯が視界に入る。

実は、一度足を伸ばしてみたいと考えていたのは、坂手港の山手に広がる広い墓地だったりする。

そんなふうに思っているところで、ビルの道路向かいに下へ続く寂れた通路トンネルに出会った。

これは入ってくれということだろうと思って、通路階段を下った。

下ると、すぐに海辺に出て行き止まりだった。

空き缶やスナック袋のゴミだらけで居心地もよくないので、すぐに上にもどる。

上にもどりついでに今度はビルの入り口まであがって中を覗いてウロウロしていた。

中も写真とっちゃおうかなと考えていると、サイクリングスーツ姿の男女二人組も休憩がてらにやってきてジロジロガン見された。

なんかしゃべろうかと思ったけど、疲れてきたのでやめる。
カップルだし。

眼下に見えるエリエス荘までゆっくり歩きはじめたら、自転車のFくんに後ろからスウーっと抜かれていった。

<中略>

エリエス荘に着くと、女将さんが猫と一緒に花壇の並びに腰かけて両足をぶらぶらさせていた。
「お帰りなさい。どこまで行ったんですか」と聞かれ、簡単に道程を報告。
歩いたことに驚かれ、お風呂入れますよ、と言葉をもらう。
しばらく立ち話を続けていると、なんとなく話は坂手の港と景気についてになった。

・・・・・関西汽船の定期航路がなくなってすっかりお客も少なくなって。
以前は関西汽船のサンフラワーというそれは大きな船が来ていて、港に来ると宿なんかはとても小さく見えたんですよ。
「サンフラワー、僕も見たことあります」
関西汽船も1000トン級の船じゃなくて、500トン級の船でもいいから運行を続けていたら良かったのに。
この前、高速道路が休日1000円で使えるようになったけれど、小豆島に車で来るのだと、まだ船で10000円ぐらいかかって、それは高い思いますわねぇ。
定期便はいつの間にかシーズン便になって、そのシーズン便も7月8月9月のシーズンだったのが、9月がなくなっって7月8月になり、そのうち7月のもなくなって8月だけになったけど、8月の便もだんだん一日(いっぴ)からじゃなくなくなり、月末までだったのも、だんだん20日過ぎでとりやめになったりで、もうどんどん少なくなって。
その便も昔は、大阪から神戸行くっていうふうに、まわってからきたのに、今じゃ、大阪の南港からだけになって。
時間も、朝、8時に大阪出るって。
そんな早いのにねえ。
それでここに着くのが11時30分に着くっていうので、私ももう時間が気になって、イライライライラして・・・ホホホホホ。
・・・・・・
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▼ この後に続く日誌は、
▽1日目夕方
「NくんとOくんの連絡とれないの巻」
「二人は福田じゃなくて池田まで自転車で行って、オリーブの話を聞いたの巻」

▽2日目朝の散歩日誌。
「朝、墓地へ行こうとしたが、町の清掃活動でみんなが作業してたので気後れしていけなかったの巻」
「漁協を探しがてら半島の先まで歩こうとして、小さな漁港とビーチを見たが、かわいい犬たちに囲まれて唸られたの巻」

▽2日目午前の活動日誌。
「醤油隊を追いかけたが影も形もつかまえられなかったの巻(ケータイすればいいだけだけど)」
「見失ったのをいいことに、自転車で馬木散策をしていたの巻(写真つき)」
「ダムが見えてきて、ダム建設の話がタイムリーな問題としてあったことを思い出したの巻」
「悪いことはできないもので、坂道を登ったり下ったりしてたら、本気で気分が悪くなってしまったの巻」
「休憩がてらまた図書館に寄って、今度はちゃんと地図も見てきたの巻」

などの報告内容があります。
略させていただきます。



▼注
現在の小豆島町は明治23年や昭和26年に何度か村の分合や合併が行われ、池田町と内海町にまとまったそうです。さらに近年、平成18年の合併で、池田町と内海町によって、小豆島町となりました。平成18年の合併により、小豆島内は、土庄町と小豆島町という行政区に整理されました。
面白いのは、さらに長い歴史の中で、島外部からもさまざまな扱いを受けてきたらしいということです。徳川時代には池田・内海は天領地になっていたそうですが、これは醤油が目的だったのでしょうか。池田地区の方はやがて津山藩に吸収されたとのこと。
明治以降は、岡山県の一部、香川県の一部、兵庫と徳島県の一部、香川県の一部、愛媛県の一部となり、5県の歴史に関わった経緯があるそうです。僕も最初は何県に属するのだろうかと思ったのですが、実際歴史的に見ても複雑だったのですね。

入門実習日誌(小豆島)その4

バスに乗り遅れ、歩き回りたくなる
次のバスは17時09分。
坂手港には17:30分頃着になる。
微妙に中途半端だ。
ここで時間を過ごすにも、今いる場所は公園の他は特に何もない。
バス停とバス時刻のややこしさと、この失敗はおもしろいけど、今日はみんなのエピソード優先の日にして、黙っていよう。
日誌で報告することに決めた。

このへんで、誰かと話し込んで簡易インタビューしようかと思ったが、町立図書館の場所などの状況を確認したかったし、こうなったら町歩きしたいなぁと思って、使いたくないけどタクシーを探すことにする。
オリーブ・ギャラリーから出てきた50代くらいの男性に話かける。
オリーブの話を聞けたらと思ったが、スラックスにワイシャツの男性は、あまりそのような関係者に見えない。
催事場の手伝いに来ているだけだという。
そこで話を続けようとしたところで、ちょうど向こうから空きタクシーがやってきた。

すぐにタクシーの方へ乗り込むと、タクシー運転手の60代くらいの男性は、船舶関連に詳しい人だった。
聞けば、息子さんは海上保安庁に航海士として勤めているという。
しかし、この話を聞いてどう受け取ったらいいのか少しとまどった。
たとえば和歌山の那智勝浦に行ったときに、旦那さんや先代の方は鯨漁師であったというエピソードが出てくると、それ自体、地域ではかなり名誉なバリューを持つ事柄なのだが、今聞いた話は小豆島ではよくあるエピソードなのか、社会的価値が高いものなのだろうか。
運転手さんの話ぶりは、かすかに誇らしげに聞こえたのだが。
しかし、このことを確認する前にいろいろと目の前に見えるものについてたずねてしまった。
行きのバスの車窓越しに見た港湾内に浮かぶ大型船は、まだ同じところに停泊している。
あれは国土交通省管轄の船で大型船舶操舵の2級海技士を教育するための1000トン級の○○(聞き取れず)丸という訓練船である。
3・4日小豆島を停泊所として早朝から動きはじめて晩まで何やら訓練らしきことをしている。
夜になると、大型船の灯りが美しく海に映えるらしい。
小豆島の内海湾には、一年に数回、こうした訓練船が訪れる。
小豆島に特に学校があるわけでなく、実習地となっているのだが。
内海に停泊中は、1日だけ休暇のように乗員が陸に上がってくる。
この前も若い乗員たちが集団で寒霞渓へ登っていった。
ただし、これもどうやら訓練の一環らしく、みんなでぞろぞろ登山していたそうだ(「運動上陸」という)。
そうした様子は昔から見ていたが、近年の特色は、女性の訓練生が増えてきたことだ。
こうして教育訓練船はやがてハワイ沖まで実習の足を伸ばすのだそうだ。
と、ここまで聞いていたら、内海の役場の前を過ぎ、図書館についた。


「町立図書館」
図書館の入り口には、「町立図書館」とだけ看板があった。
小豆島町HPに紹介されている町立図書館というのは、「小豆島町池田(旧池田町)」にある「小豆島町立図書館」だけである。
目の前にある「町立図書館」は小豆島町のHPには掲載されていない。
小豆島町役場は旧池田町の中心にある。

図書館の向かい側には道路をはさんで古い神社跡と広い空き地があり、空き地の向こうには古い木造立て小学校のような建物がある。。
醤油直売所と看板があったので、近づく。
高橋醤油というその工場は、文化庁指定の登録有形文化財になっている。
直売所と書いてあるけど、ガラスケースに製造製品が飾られているだけで、事務室らしい場所の他に売店があるように見えない。
事務室のドアの前でボウーっとしていると、白い帽子に白い作業着の女性が2・3人、あわただしくドアから小走りで出たり入ったりしはじめ、声をかけそびれる。
すぐそばに見える八幡神社の大きな鳥居を写真におさめる。
高橋醤油のそばにある玉姫神社と、その境内にある高橋醤油創業者の高橋実造さんの銅像も写真に撮る。


広場にあるジャングルジムで子どもたちを遊ばせている30代くらいに見える黄色Tシャツの男性が、何度もチラチラこちらをうかがっている。
町立図書館に入る。
こじんまりとした2階立ての図書館で、図書とAVスペースが1階に多目的スペースが2階になっている。
子どもたちがにぎやかに出入りしていて、小さな子どもを連れたお母さんらしき女性が3・4人図書の付近に見える。
60代から70代くらいに見える男性が新聞を読んだり、小説を読んだり、居眠りしていたりしている。
40代から50代に見える男性が一台しかないPCでインターネットを見ている。

お目当ての郷土資料コーナーは1階奥の階段の脇のスペースにあった。
そこだけ電気が消えている。
コの字型のそのコーナは、どんつきが郷土に関する文学資料で、両脇は、香川県コーナーと小豆島コーナーになっている。
コの字の真ん中にはまたひとつガラス戸のついた本棚があって、壷井栄の原稿や初版本が表紙が見えるように陳列されている。
香川県コーナーには、地誌や県の統計情報や各種一般出版社からの書籍の大型本が並んでいる。
印象深いのは、小豆島コーナーの図書の並びが乱雑なことである。
特に、小説など動きの少ない本のとなりにある、ファイリングした報告書や、民俗書籍のコピーや大型本があちこちに飛び出して並んでいる。
記念に写真に撮りたいくらい乱雑さが不思議な光景。
島の郷土資料として小豆島郡や小豆島町の郡誌や町史という書籍はない。
小豆島内のそれぞれの町単位で、たとえば方言とか食べ物とか祭り・民俗に関する報告書はちょっとずつあるが、まとまった形の図書や、すべての町を揃えてある感じはない。
統計資料も開発にかかわる計画案が目立つがそのほかはあまり多くはない。
醤油の歴史、オリーブの歴史も2・3目につくだけ。
醤油記念館を記念した出版物はある。
多いのは、小説・歌などの文学関連の書物。
「るるぶ」など観光案内出版物もそれなりにある。
観光案内の情報誌はむしろ図書館ではあまり見ないようにも思う(”民業を圧迫することになる”からという話を別の自治体で聞いたことがある)。
なぜか小豆島コーナーには文学作品と並んで浜田寿美男さんの心理関係の研究書が何冊もある。
浜田さんは小豆島の出身なのだろうか。
「自白の研究」は無かったけど。
浜田さんの研究では、「自白の研究」という大著があまり心理心理してなくて面白くて・・・・・・無駄なノーツはここでやめる。
住宅地図を見たかったが、僕よりも先に50代くらいの男性が図書館員に探してもらって見入っていた。
チェックの襟付きの半袖シャツにコットンのパンツ、白髪の男性の話すことばは関東の方の言葉に聞こえたが、ゼンリンの住宅地図で、どうやら小豆島の霊場を全てチェックしているようだった。
時間がかかりそうで、時刻も17時前になろうとするので、地図は諦めて図書館を出る。
ちなみに図書館は、午前10時から午後6時まで。
明日、日曜も同じ時間で開館している。

エリエス荘までは、もちろんいい時間帯のバスは無いので、歩くことにする。


---その5へ

入門実習日誌(小豆島)その3

オリーブ記念館
坂道をハアハア息を切らして登りながら、Nくんに電話する。
「勘違いだったので、今からそっち行くわ」と言いながら、現況をたずねる。
オリーブ作りの体験を聞けそうな人が見つからない。
やはり記念館は施設に過ぎないので、窓口の施設の管理人は役場の人と変わらない、というところだろう。

「道の駅・海の駅」とも銘打たれたオリーブ記念館の休憩コーナーで二人が長イスに座っているのを見つけた。
ちょっと見回ったが、記念館は観光用売店があるだけで、まとまった資料も置いてなさそうだった。
事務室にはあるだろうか。
聞いてみたら中からなにか出してくれるかもしれないなと思う。
それとも土庄町方面まで行かなきゃ無理だろうか。
この制限時間の中で優先したいのは、現地を見る・聞くということだし。
とにかく二人にアテか計画かあるのかを聞いてみることにする。
予定を変えて、オリーブ記念碑を見届けてから、オリーブ畑で人をたずねることにするという。

ところで、二人ともお昼を食べてないということだったので、ここでいったん一区切りにして昼飯を食べようという話になる。
休憩コーナー2階の軽食喫茶はすでに食事は終了で、喫茶のみになっていた。
となりの宮殿にはレストランもあるそうなので、そちらに行く。

駐車場にオリーブ公園バス停があることに気づく。
念のため、バスの時刻を確認する。
オリーブ公園ー映画村/土庄行きの巡回バスという時刻表と、小豆島バスの時刻表が上下に二つ並んで掲示してあった。
巡回バスの方は1日3・4本のうち2本だけが映画村方面で、まったく時間が合わない。
小豆島バスは、先ほど乗ってきたバスだ。
さきほどの運転手さんは、「坂道上ってオリーブ公園に行く」と言っていたので、帰りはここから乗って帰ることにし、時刻を確認する。
坂手港方面へは15時59分着と書いてある。
「さっき坂の下のバス停で見た時間と同じ」じゃないかと二人に向かってぶつぶつ言いながら、レストランへ向かう。

眺望の良い、小豆島オリーブ公園のレストランで、ビーフカレーを食べてしまう。
Nくんはイカ墨スパで、Oくんはハンバーグである。
1000円以内で食べられるものがそれくらいしか無かった。
バスの時間もあるので、かき込むように食べることになった。
いろいろ話していたところで、15時45分くらいとなったことをOくんが指摘し、バス停に向かう。
レストランに携帯を忘れるがすぐに気づきことなきを得る。


バス停・オリーブ公園
新たに訪問先を開拓に行った二人に別れを告げ、バス停近くで喫煙する。
観光客の子どもたちがモニュメントに乗りあがり、母親に怒鳴られた。
4・50代の二人連れ男女が、バス停近くで海を背景に写真を撮っている。
車2台でやってきた若者たち8人には一人だけ、母親のような年齢の女性が混じっている。
若者の一人はガンバ大阪、他にもう一人どこか海外クラブのレプリカユニフォームを着ていた。

海を眺めてウォーと叫ぶ彼ら越しに僕も海を眺めてタバコをふかしてたら、頭が次第に動きはじめ、突然、イヤーな感じに襲われた。

オリーブ公園口のバス停とオリーブ公園のバス停とバスの発着時間が同じ!!

それっておかしいと思わないのか--->オレ!


あわてて、時刻表を確認する。
時刻表は上下2枚。
下の方の小豆島バスの時刻表には、欄外に説明が書いてあった。

”坂手・映画村方面には、オリーブ公園口から小豆島バスがあります。この時刻表をご参考ください”

詳しい文面は覚えていないが、まず、文章を読んですぐに坂道を駆け降りはじめた。
つまり、オリーブ公園のバス停には巡回バスだけが来るのであって、小豆島バスの坂手港方面行きは坂の上まで上がらずに、坂の下のオリーブ公園口からまっすぐ国道を走っていくってことだ。
なんで行きと帰りでバスのコース違うねん。
さっき乗ったバスも小豆島バスやったのに。
参考の時刻表って何?
やられた感をつのらせながら、公園を駆け降りる。

時刻は15時58分。
無理矢理かきこんだビーフカレーが腹にもたれてしんどかった。
走る気はないが、とりあえず走ってみる。
オリーブ公園口には、16時6分くらいに着いた。

バスの気配はなかった。


---その4へ

入門実習日誌(小豆島)その2

バス停・オリーブ公園口
オリーブ公園口というバス停が近づいてきた。
山手には白亜の宮殿のようなしかしそれでいて素っ気ない装飾の建物が見えてきた。
なんじゃありゃと思う間もなく、バス停についた。
国道のすぐ横の海岸沿にはなにやら真新しい施設と砂浜も見える。
エリエス荘から拝借した地図には、その位置にはオリーブ資料館と記載されている。
下調べでの段階では無かった気がする。
見落としてたのかなと、地図を見ながら考えていた。
自転車の二人はまだ到着してないだろうし、後で合流したときに調べ物もしやすいだろうと思い、資料館とやらを覗いておくことにする。
15時20分前。
オリーブ公園口で下車する。
降りようとするとバスの運転手さんに声をかけられた。
整理券のことじゃなくて、行き先のことだった。
バスはこれから「坂道を上って、オリーブ公園まで行くんやけどここで降りるんでいいんですか?」と聞かれる。
地図を見せながら「オリーブの資料館に行きたいんです」と告げると「ああそうなんか」と納得された。
バスを降りると、真新しい「オリーブ・ギャラリー」という建物が目の前にある。
ともかく帰りのバスの時間が気になるので、とりあえず道路を反対車線に渡りバス停をチェックする。
坂手港行きが、15時59分着とバス停の時刻表に書いてあった。
1時間もない。
次は17時過ぎまでバスはない。


オリーブ・ギャラリー
ギャラリーの背後にはきれいな砂浜のビーチが広がる。
ギャラリー駐車場の車止めには、スイムスーツの女性が一人座っている。
きれいな砂浜ビーチの水際には、僕よりも年齢の高そうな女性が6人ほど海を眺めながら立ち話している。
10メートルほどの桟橋には、大学生くらいの年齢の若者が3人、輪になって何やら騒いでいる。
オリーブ・ギャラリー裏のこのビーチは、海水浴場として利用するらしく、海の家と簡易シャワーの施設がある。
まだ海開き前なので、海の家は閉まったまま。
一通り、写真を撮ってからギャラリーに入ろうとするとNくんから電話が入る。
もう、オリーブ記念館についている、という。
「早っ」。けっこう遠かったよなーなどと言いながら、たぶん、僕が入ろうとしている建物がオリーブ記念館だと思い、中で話しましょうと電話を切る。
しかし、中に入ってもNくんとOくんがいない。
というより、誰も客らしい人がいなかった。
吹き抜けの2階があったのであがってみると、写真展が行われていて、関係者の方らしき白ワイシャツにネクタイの50・60代の男性と40代近くに見えるスーツの女性たちがいっせいにこっちを振り返った。
なんか、間違ったみたい、と思いつつ、1階に降りて受付窓口の女性にたずねてみる。
記念館は、坂を上がったところにあると言われる。
ああ、あの白い白亜の宮殿みたいなやつですね、というと、それは別の施設でそのとなりだと言う。
いずれにしても、あの坂をあがらねばならない。

バスの運転手のお告げを聞いておくべきであった。

---その3へ

入門実習日誌(小豆島)その1 ボケボケの一日

○1日目の記録です。
数回に分けてアップします。
宿に着くところからです。
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港からエリエス荘までの送迎マイクロバスは船よりも揺れた。
峠を過ぎて町並みが見えてくると、散歩したいという思いが強くなってきた。

自転車隊 出動
14時25分頃
挨拶もさっさと済ませて、すぐに自転車の利用の確認と、バス停の位置の確認、ロビーに貼ってあるバスの時刻表の確認をする。
バスでオリーブ公園に行くとすると、宿についた時間からもう10分くらいしかない。
宿の玄関先にいるNくんとOくんを探して急ぐかどうするかたずねると、自転車で行くという。
オリーブ公園自体が目的じゃなくて、オリーブ作りの体験談が聞きたい。
でも、特に当ても作ってないから、とりあえず向こうに行って人にたずねてみる、という。
僕も行くわ、というとバスで来てください、と言われる。
とりあえず、チェックインを済ませる。
K先生が、タオルと朝風呂の件をたずねる。
タオルは150円でフェイスタオル買い取り。
朝風呂なし。
Kくんが女将さんに「ここ古いんですか」と聞いていると、最近の景気の話になり、インフルエンザ禍により、キャンセルがひどいという話が出てきた。
ここでもなのか、と思い、興味に火がつきはじめ、つい「おもしろそうな話があった」と失言してしまう。
続いて部屋割り当て。
なぜか人数分以上に部屋のキーが渡される。
2階に行ってわかったのは、2階全部全部割り当てられたということ。
お好きにしてください、ということかなあ。
15分後にロビー集合とする。
ロビーのソファでK先生と座っているとが宿から昭和を感じると話す。
集合15分後と言ったはずだと思ったが、14時15分に集合と勘違いした人もいた。
そういうわけで集まりがばらついたので、とにかく揃ったチームから発つことにする。
オリーブ組自転車は二人なのですぐさま出発した。
続いて、映画村隊と醤油隊が出た。
醤油隊は一番近いのでK先生に行ってもらうことを相談していた。
利用自転車番号をチェックしながら、なんか自転車は楽しそうだな、と思った。


図書館はどこですか
14時50分
みんなを見送った後、先生はどうするんですか、と女将さんに聞かれたので、僕はオリーブ公園へバスで行きますと話す。
バスの時刻は15時06分。
ともかく、1階のトイレの場所を確認してから、バス停へ歩く。
関西汽船が到着するシーズンに使うのか、日頃も来るのかわからないが、使っていない大型車両の駐車場を横切り、坂手港の記念碑の横を抜けていく(現在、関西汽船ホームページには、坂手港は08年4月1日現在の情報として「駐車場なし」と記載されている)。
記念碑の説明がされた石版はズタズタになっている。
壁一面のガラスドアにカーテンを閉め切っているJA香川県坂手の2階立て建物の横をすぎると隣に小豆島町役場の坂手支所があった。
小豆島町は、内海町と池田町が平成18年に合併してできた町。
島の名前は小豆島で、行政区として島は小豆郡になり、小豆郡の内部=小豆島の内部は大きく土庄町と小豆島町に行政区域が分かれている。
ああ、ややこしい。
こんなややこしい町名を島の人が普段使っているようには思えなかった。
実際、話してみると、さっきの女将さんも「池田」とか「内海」とか「坂手」とか言っている。
醤の郷は慣例的には「内海町」ということになる。
記念館などの住所は「小豆郡小豆島町内海」とかになるのだけど、いろんな資料では、「内海町の」という表現が出てくる。
小豆島町役場・坂手支所前を通ると、事務室らしき部屋のサッシが空いていて女性たちが談笑しているように見えた。
バスの時間まで十分あるので、思いつきで、事務室のソファでしゃべっているパーマ頭の女性に、「すいません、この辺に図書館ってありますかぁ」、と声をかける。
「図書館って内海にあったなぁ、あれどう教えたらいいんやろ」、とその女性は事務室の別の同年代くらいの女性に声をかけた。
声をかけられた長髪をひっつめた女性は、スチール机とイスの間から立ち上がって、「内海町立」図書館までの道を説明をしようとしてくれた。
3人の女性は、国道をまっすぐ行って、金両さんのところの二股道で、どっちに行った方がわかりやすいのかと、相談をはじめた。
ややこしそうなので、窓越しで話すのをやめて、事務室の中に入っていった。
醤の里の観光案内の地図をもらい、「内海の役場」の交差点と、私たちが国道436から坂手港に向かうために曲がった交差点の間にあるらしいことを聞く。
サイクリングセンターで自転車借りたらいいんや、と場所を説明してくれたので、そのエリエス荘に泊まってるんです、と紹介し、礼を述べ、とりあえずバス停に向かう。
バス停には、4・50代くらいの青地の長袖シャツに青いジャージ、頭にキャップを被った男性がタバコをすいながら、バスを待っていた。


小豆島バス
バスが来る気配がなかったので、バス停の道路向かい側の自販機まで行ってお茶を買っていると、道路の先にバスの姿が見えた。
さっきまで、全然車が通らなかったのに、急に車が続いて、バスに飛び乗るように入りこむことになった。

で、整理券を取り忘れた。
乗客はさっきのおじさんと私だけ。

「しまった、整理券とるの忘れた。」

運転手さんの後ろに座ったので、聞こえるように大声で独り言を言った
「まあ、ええよ」とか「どうしたんや」とか「お客さん」という声がかえってくるのをしばらく待つ。
けど、期待した声はなくて、斜め後ろに座ったキャップのおっちゃんがチラっとこっちを見ただけだった。
金両近くのバス停で腰の曲がったおばあさんが二人乗車してきた。
キャップのおっちゃんはコンビニ近くで降りた。
介護センターの前で二人のおばあさんが降り、かわりに新たに4人の乗客が増えた。
バスが町を通るので、メモ取るものも多くなり、使う予定のないメモを取るのも飽きたなと思っていると、バスの走る国道がパチンコ屋を過ぎたあたりから、さわやかな海岸通りに景色が変わりはじめた。
海を眺めてのドライブとなってきた。
少しふりかえると、醤の郷あたりの海側の風景も見える。
湾内にはタンカーのような輸送船と離れた中央あたりに大きな白い船が見えた。
漁船でないのは明らかだが、仕様からすると客船でもないように見える。
タンカーのような輸送船でもない。
海上保安庁の船にしてはでかいよな。
それはそれとして、その船の浮かぶ湾を囲むように海の向こう側に伸びる半島の先は映画村があるところだろうか。
映画村隊はあんなとこまで自転車で行ってるのか、と思う。

その2へ続く

2009年6月9日火曜日

ぼちぼちと 特集:卒業式でのサプライズ

「卒業式でのサプライズについては、感謝の意味を込めて、次回以降の記事で特集することにしよう。」と前回の記事に書いて、数ヶ月も経ってしまった!

食べるので精一杯という忙しさもあるけれど、4月になると思った以上に気分が落ち込みましたわ。
ちょっと、上向いてきたのがGW明けで、少し元気になったのが、月末の研究会と、先日の実習合宿のおかげかな。
やっぱり、フィールド・ワーク系で元気もらってきたことをあらためて実感した。
(というか、それにカコつけて、休みがちにしてただけかも。)

というわけで、実習の報告連絡も前向きに復活したいこともあって、まずは前回の続きを感謝の気持ちの表明としてきちんと書いておきましょう。


卒業式でのサプライズとは、ゼミ生の人たちからのプレゼントでした。

そうです。いろんな方からのいただきもので、私は暮らしています。

いただきもの1 水嶋ヒロ セカンド写真集

ゼミのみなさん、覚えてましたか。
最初のゼミでのアンケートで好きなタレントを聞いたとき、水嶋ヒロの名前を出したのは、X君だけでした。
その名前を聞いて、「天の道を司る男」はいいよねー、と即座に反応したのは私です。
コアなファンには負けますが。





いただきもの2 トランクス

なんでまた、赤紺なん?
でも、上品なおパンツです。







いただきもの3 

携帯灰皿。
きれいなものなので、実はまだ使ってないんです。

ウチの奥さんは、絢香を守りたいヒロの写真集よりも、こっちの方を狙っています。

絶対、やらんと言ってます。



いただきもの4 ピンクのハートシェイプボックスに入った、栄養ドリンク各種。
すいません、急いでこの記事書いたので、写真がありません。
ハートシェイプボックスは、奥さんが、小物入れにするといって、どっかに隠してしまいました。
「ウコンの力」やその他のドリンクは、たしかに私がいただきました。
けど、元気になったかはわかりませんが・・・


退職とか、そんな話は授業で一回もしてなかったけど、ありがたいサプライズ、感謝です。
奥さんの方がよりいっそう感激してはりました。(なんでか)
一瞬だけ、尊敬されました。その後のイヤミの日々はおかげさまで、あいかわらずですが。

では、もしこの記事見られることがあったら、夏場に向けて気張りすぎないようにお過ごしください。