2009年6月10日水曜日

入門実習日誌(小豆島)その5

▼日誌のブログ公開は以下の分までにしときます。

一日目の町歩きは、だいたい紹介できたしね。






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歩く
(ここからの道程は写真を見ながら・・・文章が少なくなります)

夕飯集合まであまり時間もない。
結局、あの幽霊ビルのようなところで休憩した以外は、まっすぐエリエス荘まで歩き続けた。
図書館からエリエス荘までは、八幡神社の大きな鳥居下を道なりに歩いていけば、金両醤油の三叉路に出てわかりやすかった。
車と一緒に歩くだけのだいたい徒歩1時間くらいのコースだった。



有形登録文化財の店や工場を数えたり、途中で通り雨に降られたりしながら歩いていると、17時過ぎに醤油調査隊からのメールが届いた。

一番最初に届いたSくんからのメールに醤油隊は全員宿舎に戻っていると報告があった。

しかしその後も醤油隊メンバーひとりひとりから個別に帰宿報告がメールで届いた。


その一個一個のメールに対して「了解しました。お風呂もう入れるので」などと歩きながら返信したのだけど、数分後、その全てが送信できませんでしたというメッセージが届いた。

2・3回再送信したが、全てダメで、だいぶゲンナリした。

雨に降られても、行きのマイクロバスの中でKくんが「ロード・オブ・ザ・リングの山みたいや」と表現したと思われる山の緑が美しい。

別の宿かサイクリングセンターで借りた白いレンタル自転車に乗った3人の女性が、戸が閉まった一徳庵の前で雨宿りしていた。

黄色いレンタサイクルに乗っている人も見かけた。
エリエス荘までの途上にあるネオオリエンタルホテルで返却しているのを見かけた。


”幽霊ビル”のあるカーブを曲がると坂手港一帯が視界に入る。

実は、一度足を伸ばしてみたいと考えていたのは、坂手港の山手に広がる広い墓地だったりする。

そんなふうに思っているところで、ビルの道路向かいに下へ続く寂れた通路トンネルに出会った。

これは入ってくれということだろうと思って、通路階段を下った。

下ると、すぐに海辺に出て行き止まりだった。

空き缶やスナック袋のゴミだらけで居心地もよくないので、すぐに上にもどる。

上にもどりついでに今度はビルの入り口まであがって中を覗いてウロウロしていた。

中も写真とっちゃおうかなと考えていると、サイクリングスーツ姿の男女二人組も休憩がてらにやってきてジロジロガン見された。

なんかしゃべろうかと思ったけど、疲れてきたのでやめる。
カップルだし。

眼下に見えるエリエス荘までゆっくり歩きはじめたら、自転車のFくんに後ろからスウーっと抜かれていった。

<中略>

エリエス荘に着くと、女将さんが猫と一緒に花壇の並びに腰かけて両足をぶらぶらさせていた。
「お帰りなさい。どこまで行ったんですか」と聞かれ、簡単に道程を報告。
歩いたことに驚かれ、お風呂入れますよ、と言葉をもらう。
しばらく立ち話を続けていると、なんとなく話は坂手の港と景気についてになった。

・・・・・関西汽船の定期航路がなくなってすっかりお客も少なくなって。
以前は関西汽船のサンフラワーというそれは大きな船が来ていて、港に来ると宿なんかはとても小さく見えたんですよ。
「サンフラワー、僕も見たことあります」
関西汽船も1000トン級の船じゃなくて、500トン級の船でもいいから運行を続けていたら良かったのに。
この前、高速道路が休日1000円で使えるようになったけれど、小豆島に車で来るのだと、まだ船で10000円ぐらいかかって、それは高い思いますわねぇ。
定期便はいつの間にかシーズン便になって、そのシーズン便も7月8月9月のシーズンだったのが、9月がなくなっって7月8月になり、そのうち7月のもなくなって8月だけになったけど、8月の便もだんだん一日(いっぴ)からじゃなくなくなり、月末までだったのも、だんだん20日過ぎでとりやめになったりで、もうどんどん少なくなって。
その便も昔は、大阪から神戸行くっていうふうに、まわってからきたのに、今じゃ、大阪の南港からだけになって。
時間も、朝、8時に大阪出るって。
そんな早いのにねえ。
それでここに着くのが11時30分に着くっていうので、私ももう時間が気になって、イライライライラして・・・ホホホホホ。
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▼ この後に続く日誌は、
▽1日目夕方
「NくんとOくんの連絡とれないの巻」
「二人は福田じゃなくて池田まで自転車で行って、オリーブの話を聞いたの巻」

▽2日目朝の散歩日誌。
「朝、墓地へ行こうとしたが、町の清掃活動でみんなが作業してたので気後れしていけなかったの巻」
「漁協を探しがてら半島の先まで歩こうとして、小さな漁港とビーチを見たが、かわいい犬たちに囲まれて唸られたの巻」

▽2日目午前の活動日誌。
「醤油隊を追いかけたが影も形もつかまえられなかったの巻(ケータイすればいいだけだけど)」
「見失ったのをいいことに、自転車で馬木散策をしていたの巻(写真つき)」
「ダムが見えてきて、ダム建設の話がタイムリーな問題としてあったことを思い出したの巻」
「悪いことはできないもので、坂道を登ったり下ったりしてたら、本気で気分が悪くなってしまったの巻」
「休憩がてらまた図書館に寄って、今度はちゃんと地図も見てきたの巻」

などの報告内容があります。
略させていただきます。



▼注
現在の小豆島町は明治23年や昭和26年に何度か村の分合や合併が行われ、池田町と内海町にまとまったそうです。さらに近年、平成18年の合併で、池田町と内海町によって、小豆島町となりました。平成18年の合併により、小豆島内は、土庄町と小豆島町という行政区に整理されました。
面白いのは、さらに長い歴史の中で、島外部からもさまざまな扱いを受けてきたらしいということです。徳川時代には池田・内海は天領地になっていたそうですが、これは醤油が目的だったのでしょうか。池田地区の方はやがて津山藩に吸収されたとのこと。
明治以降は、岡山県の一部、香川県の一部、兵庫と徳島県の一部、香川県の一部、愛媛県の一部となり、5県の歴史に関わった経緯があるそうです。僕も最初は何県に属するのだろうかと思ったのですが、実際歴史的に見ても複雑だったのですね。

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