2011年12月25日日曜日

facebook投稿分を修正・再掲(風俗で働く女性たち)

卒論コメント:風俗で働く女性たち。
語りを咀嚼し、紹介することにおいて、咀嚼内容に不満なし。
ただし、表記の問題がある。

報告会では、その工夫があれば、この調査活動の迫力をもう少し伝えることもできたと思う。
よい調査、よい報告者なのだけれども、大きな難点がある。
会話記録が記憶でしかとれなかったこと。
資料の扱いに厳しい研究を行うには、データ提示に難題を抱えている。
それゆえ、語りの紹介は報告内容よりもっと咀嚼してよいとおもう。

また、語りの理解を中心に述べる方向で良いのだけれども、風俗業へ向かう流れ、もしくは業界からの卒業のむずかしさ、あるいは、業態としての風俗業の仕組みなどをもっと整理したり、一般的な議論との比較ができないか検討することも必要とおもう。

インタビューを整理する意味で、項目を作ってまとめても良い。
一人一人のインタビューの理解を深めるために、実際の生活・活動と思いのつながりを紹介し、述べる努力も必要。
(「実際の生活・活動と思いのつながり」を表現し論じ分けるには、インタビューの録音があって、インタビュー内容を客観化しないと、難しいけど)

それから、対象者をとらえる視点に潜む価値観の対象化はやはり重要だと思う。
論文全体のトーンに影響する指摘だけど。
取材内容を語る視線に、風俗が社会的悪であるという価値があるように聞こえる。
取材を通してわかったのは、普通の女の子でした、ということを述べるには、自分の先入見の紹介だけでは、ちょっと弱い。
社会でどのように語られてきたか、も取り出す必要がある。どのようにまなざされてきたか。どのように自分自身が認識してきたか、ということも取り出せるのがよい。

しかし、このように表現すると、私、個人的には、風俗は社会的悪なのか、という問題があるように思う。
悪というなら、一般道徳的に悪に見せつつ、存在を許容する社会が悪だと思う。

別の言い方をするなら、自分を売る行為や生き方にどこで線引きができるだろうか、という倫理・哲学の検討が欲しい。
私たちは、自らの魂を売る感覚に襲われながら生きる場合もあり、なんらかを犠牲にし、妥協し、あるいは挫折し、あるいはおもねり、あるいは何の違和感もなく社会に自分を合わせていきながら、碌をはむのである。
別の言い方をすれば、社会悪として取り組むことは、すでにはじまる前から彼女たちの生き方を否定しながら、対面していることになる。(参考にした図書のインタビューは、それとは反対の立場にあると思う。)
彼女たちの生き方を否定的に見る立場や、あるいは救おうとする立場は、どうしてその足場を得られるのだろうか。
せっかくインタビューしたのだから、語りを通じてこの点、如何に考えるのかまで言及してほしいなあ。

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