2015年10月2日金曜日

首、首、首。首の陳列が意外に怖かわいい。守矢資料館。


















やっと来ました。 神長官 守矢資料館

諏訪めぐりで絶対行きたかったスポット。




この資料館の主目的は、

「猪鹿の首の羅列」

とか、

「串刺しのうさぎ」

とか、

「脳みそとか内臓の模型」

ではなく

”古代式の漆喰の建物の再現”にある。
らしい。


けど、明らかに狙ってると思う。


古代式とは、建御名方命が
諏訪にくる前くらいの古代。

展示の猪鹿の首や串刺しのウサギは、
諏訪大社前宮-本宮の「御頭祭」の
儀式の再現である。

日本のフィールドワーカーの元祖というか
風俗学の始祖というか、
菅江真澄が記録した諏訪大社の奇祭から
再現されているとゆーのである。

その奇祭とは、建御名方の来訪前の
地元文化だったと考えられている。

前記事の大祝(オオホウリ)という現人神や、
前宮-本宮の贄の儀式も、
地元文化の名残と考えられている。

で、その地元民を代表するのが「洩矢神」
モレヤノカミなのであった。

モレヤノカミはタテミナカタノカミがくるまでの
この土地の支配者であり、呪術者であった。

タテミナカタの支配となっては、モレヤ一族は、
神長官として、残ってきたというのである。

モレヤ一族は、
一子相伝ながら、呪術を伝え、
明治の頃まで怪しげな儀式を行っていた、
時の権力者により、禁止されるに至った。

ところで、モリヤ色といえる、
諏訪大社の前宮-本宮の神事は
日本の神社・祭礼のなかで、生贄の文化が
とても印象強いものになっている。
なぜなら、多くの神事は米にまつわる祭事
が占めるからである。

この特徴は、この土地に、
建御名方を代表とする天皇家の支配が及ぶ
それ以前の土着の文化の名残りである。

土着の文化とは、それは要するに
肉食の文化としてあったのである。

あるいは獣肉の文化というか。

原田信男先生の
『歴史のなかの米と肉-食物と天皇と差別』
の図式では、
建御名方の諏訪来訪と統治の物語は、
天皇家が代表する米の政治が、
土着の肉の文化を
徐々に凌駕していく歴史的転換点を示している。

御頭祭の猪や鹿や兎やさまざまな肉は、
儀礼のあと、神官たちが食していたそうだ。

その儀式は、現在では、酉の祭の贄膳や、
資料館の首たちのように剥製になったそう。


















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またお勉強モードになってきたし、

一記事の容量制限になってきたみたいなので、

ちょっとした続きは、別の記事に。

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