2009年2月23日月曜日

研修会の講演

自分では、普通にこなしているつもりでも、知らずにプレッシャーがかかっている仕事というものがある。

今回が、それだと気づいたのは、研修会当日のことだ。

個人的な事情が重なって、頭がまとまらなかった・・・それも含めて事前の配慮と準備の不足か。

話の資料が個人情報のため扱いにくい・・・これはいつものプレッシャーだ。

具体的に反省するのは、誰を相手にするのかその場に入るまでイメージが作れなかった点が大きい。聞いて欲しいのは、センセイなのかガクセイなのか(実はガクセイをメインに考えたら現場にはいなかった)、日頃あまり考えないだろう議論を想起して欲しいのか、現状を訴えたいのか、あるいは訴えるだけで終われないのか。準備段階で決めていたはずが、現場では方針がぶれまくった。

そんなことになる大きな要因は、取扱資料の勝手をいつもと変えてしまったこと。質的でなく量的な話を持ち出して、議論を作ろうとしたことだと思う。
量的な情報から、特殊な案件としてでなく、それらの案件の背景であり温床である日常的なコミュニケーションの課題へ話題を集中させるはずが、量的な情報から枝分かれするさまざまな派生情報に話が拡散していった。この点は伝えなければという思いが勝ちすぎたし、「この点」が多すぎる。

一方で、単純な情報提示で終わってはいけないという強迫観念が現場でもちあがった。聞き手や施設という会場の雰囲気にとまどったことも影響する。

資料紹介ばかりだと、自分自身の頭の中でだからなんだと突っ込みたくなる。話を聞く人はむしろ資料の詳細説明がわかりやすいはずだ。
時間の終盤に論を展開しようにも資料と事象の豊かさの紹介で突っ込みすぎ、無理に話を論にまとめようとした。これが全体の流れの間違い。
学説を述べたいのか啓発を語りに行っているのか、相手が見えていなかったこともあって、結局、現場で混乱しどっちつかずの状態に陥った。

事前に声に出す練習まで考えたのだが、時間切れという感じだ。
いちから出直しの気持ち・・・そんなさわやかな気持ちよりも、もっと複雑なリベンジの感情がくすぶった。

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