2016年11月23日水曜日

(展)間違えて行った『ヒスイのきらめき』四条畷市立歴史民俗資料館

四条畷の駅から近いと思って歩いたら、
季節はずれの陽気で汗だくに。

女子学園側の入り口から、北方へ
閉店が決まった靴屋の脇の
線路沿いの小道に入る。
靴屋には、「96年間ありがとうございました」
との貼り紙。96年間!
 
東大阪の高野街道の旧来の町並み、
小さな田畑と街を横目に
自動車がやたら多い街道筋を避けて進む。
曲がり角ごとに資料館を示す小さな看板があり、
次の曲がり角までの距離が書いてある。

けっこう歩いて、ようやく到着した。
おかしい。
目当ての展示がない。
場所を間違えたことに気づく。

また、間違えた。
ちょうど、一週間前、
兵庫県立歴史博物館に行こうとして、
兵庫県立美術館に行ってきたところだ。

目当ては、『キリシタンの墓』だった。
よく調べたら、弥生文化博物館だった。

四条畷市立歴史民俗資料館では、
第31回特別展 
『ヒスイのきらめき
ー北河内からみた交流と縄文のまつりー』


ー北河内からみた交流と縄文のまつりー








をやってた。

四条畷市史の古代編発刊も記念して、
上の表紙の特別展冊子は、無料配布である。

公設資料館としてはこぶりだけど、
入館は常時無料だし、
つきっきりで説明受けられるし、
お得感はすごく高い。

館員の方たちは、
積極的に展示案内につとめていて、
来場者ひとりひとりについてくれる。
・・・といっても、このとき、自分も含めて、
順に3人のおじさんが入ってきたのみだが。

間違って入ったとは申し訳なくて言えない。

特集されているヒスイの石の説明。
関西でも東大阪は産地だったらしいが、
戦後すぐに進駐軍がヒスイの乱獲をしていた。
拳銃の銃把に使われることから
価値ある石だったようだ。

縄文の話ではもりあがらないと思われたらしく
ヒスイ裏話ではじまってしまった。
正解。

程度のよいヒスイの産地は
新潟県糸魚川で、
そのあたりの石の出土も見られる。
当時は、すでに北陸地方との
交流もあったのですなー
という話もあった・・・

地層はわかっているだろうから、
後々の人が持ち運んだという案件ではないとしても、
交流なのか移住なのかは判断つかんやろうなー
とかいろいろ想像をたくましくしてみる。

僕の後にやってきた来場者の方は
素直な聞き手で、
どうして石をつかって、
わざわざ着飾ろうとしたのか、
最初にそれをやろうとした気持ちが
わからんですなー、不思議ですなー
と率直に話していた。

説明員の方は、
そりゃ昔もおしゃれしたいしたいですやん、
という返答。













僕も、昔から
最初に石で道具を作ろうとしたり、
細かい石加工を行おうとした人間って
なんなんだろうと、よく思う。
穴はどうやって空けたんだろう。

おしゃれとしては、

階級まではっきりしてなくても、
人より目だって、
立場の上を示すこともあったんだろうな。
目立つことが重要なのかな、
とぼんやり考えてみたりした











おまつりに使ったと考えられている
土面なんかかわいい。
かわいい、ものだったのかどうかはわからないけど。










東大阪市の日下遺跡では、
狭い地域に30体もの遺体も発見されたそう。

その中には、犬の墓も!
 









これは、盛り上がる!

縄文は、犬との共存の社会だったことを
石川県立博物館以来、
再度確認した。

ところで、この遺跡では、













出土した人骨が
個人蔵とされている。

自宅に人骨を所蔵する。
それって死体を所蔵することだなー。

あるいは、遺跡の近くに住むことは、
意味的には、
お墓の隣に住むのと一緒なんだよなー。

こんなこと言い出したら、
狭い日本ではきりがないけれども。

この辺の、お墓の近くは地価が下がる
葬儀会場は近くに立てないで、
という話も狭い日本ではあるなかで、

骨と死と死のケガレへの感覚について、
あれこれ考えてみる。

0 件のコメント: