2013年9月11日水曜日

水平社博物館に行ってきた



(社会)運動論に関する理解は、限りなく脆弱なので原点を確認に行った。











展示は、戦後の解放運動までの内容で占めている。
その後のことを展示するとなると、いろいろもめそうですが・・・

小さいながらも当時の状況を想像させるような仕掛けがあって楽しめた。
タイムトラベル物語として、水平社結成大会に参加するという映像は、みんな面白いと思うだろうな。

大坂の人権博物館と展示内装が似ているような気がしたが、博物館ってどこもあんなものだったけ?



どこかで見たような気もしたけれども、あらためて阪本清一郎さんのインタビューなどを映像で見れてよかった。

差別の「糾弾」という、はじめて接する人がほとんど引いてしまう単語を、どのような意味でとらえていて、なぜ採用したのかを語っていた。

年輪を重ねて振り返った言葉かもしれないけれども、あー、やはり、そのような意味合いでもあるのかー、と腑に落ちることができた。
攻撃的で、叩き潰すような印象の言葉だが、糾弾の糾の意味を強調していた。

西光万吉さんによる、水平社宣言の文言への振り返りも面白い。

京都の工場勤めで暮らしてた宿舎の物干しで、ゆっくり考えていた、とか。
あれは、ちょっと宗教じみた神秘的な言葉づかいやった、とか。

やっぱりそう思うよなー。
それゆえ、感動的でもあるのだけれど。











水平社運動のはじまるこの土地はそもそもどういう性格をもった地域であったのか、という歴史もあらためて確認した次第。

古代において、神武天皇領からすると丑寅の方角に位置し、鬼門の清めの役を担っていた集落なのではないか、というのが発祥の話に出てくる。

古文書では、「草葉」と称される広い耕作地帯の弊牛馬の処理を権利としてまかされたことがわかっている。

そこから、膠の産業が発達してきた地で、明治に入ってこの産業の需要は高まったという。

0 件のコメント: