2013年9月10日火曜日

京都市学校歴史博物館に行ってきた


昔の学校の写真や、教科書など教具の展示が、超 面白かったー。

ちょっと、学芸員の方と話していたら、「大学生ですか?」と聞かれたのが、いちばんの驚きであった。
いくら暗がりとはいえ。


博物館は、開智小学校を改築したものである。
お寺のような門を入る。
敷地内に校舎がある。となりの校舎みたいなのは保育園である。


京都の小学校は、明治2年に始まる。
それも、町衆たちの手によるもの。
洛中の「組」組織の変更とともに、「番」組組織へと自治体の再編成が行われた。
番組に一つずつ、小学校が設置された。
ということだから、京都の洛中を挙げての大事業であった。
なかには、800両もの借金をした場合もあった。

そうなのかー。


なぜ、町衆の手による小学校の整備なのか?

天皇とそれにまつわる人々の、明治2年の東京への大移動があった。
町おこしとして小学校事業がとらえられていた。


文部省により開始される小学校は、明治5年。
学制に先んじて行われた京都の小学校の特色は?

●市役所、警察署、消防署が校舎の中にあった場合あり。
実際に学校の屋根に火の見櫓みたいなものがあった。

●読み物の底本は、石田梅岩にはじまる石門心学であった。

●授業に日本画というのがあった!
実際の生徒が書いた絵というものも展示されていた。
墨絵である。


昔の教科書が展示してある。
戦後すぐの「墨ぬり」の教科書も、はじめて実物を見た。

なかでも明治初年や大正の「読本」とか「修身書」がおもしろい。
実物の1.9倍大に復刻したものを実際に読めるように展示している。

その他、教科書で個人的に印象に残ったこと。
●明治初年の文部省お達しの教科書は、啓蒙的であった。
科学的である・・・は知っていたが、
修身の内容に、衛生学の知識が盛り込まれ、衛生ー身だしなみについて述べられていることが教科書で確認できた。
おもしろい展示は、女学生と警鐘(メザマシドケイ)のエピソードを記述している教科書の展示だった。
ある女学生は、警鐘(メザマシドケイ)を使うことで、きちんと起きて生活する習慣ができるようになった。

そのほか、「ウシ ガ イマス」など、「読本」は読み出したら、止まらないね。


教科書以外にその他、印象に残ったこと。

●明治11年には、盲唖の学校が開かれ、カリキュラムも組まれている。
京都、早い。

●学校給食は、昭和3年にすでに食に困る子どもたちに向けて始めている。
戦局が厳しくなる19年あたりまで、続けていた模様。

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