(前回までのあらすじ)
デンマーク軍で働く弁護士アネ・ドランスホルムの殺害は、過激派によるものではなかった。
軍関係者の連続殺人は、アフガニスタンに派兵されたデンマーク陸軍の謎の兵士による仕業だったのだ!
謎の兵士はアフガニスタン派兵にある闇を葬り去ろうとしている、とサラ・ルンド刑事は睨んでいた。
その矢先、事件はあっさりと真犯人と覚しき通信兵ビラルの爆死という解決を迎える。
事件を執拗に追ってきたルンド刑事は、相棒のストランゲ刑事の安堵をよそに、落ち着かない気持ちで祝杯ムードの警察署内にたたずむ。
あまりに残された謎が多すぎるのだ。
事件の解決を認めようとしないルンドに、ストランゲ刑事は・・・
・・・ルンドの着っぱなしのセーターいいね!と思ってたら、ヨーロッパではやっぱりバカ売れなんだそうだ。
日本円では三万もするよ!
高いよ!
■6
ケガレと清めの文化と社会階層
中世に登場する非人について、網野は、こうした人々の職能性に注目する。
非人には当時、職能としての「清め」の役割が認められていた。
この網野論に対し、真正面から反論している議論を読んでいないのだが、そのようにまずは押さえておきたいと思う。
■
ところで、清めは、穢れに対する概念である。
穢れと祟りは、日本の宗教性・文化性の根幹を成す感覚だろう。
平安期において、天変地異・政変・疫病のはやりのなかで、穢れの感覚は特に貴族社会で強まる。
平安に広まる貴族仏教とは、穢れの「払い」を仏教に期待するものである。
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仏教にたずさわる僧は、穢れてはいけなかった。
穢れに近づいてもいけない。
穢れは、仏僧にも伝染すると考えられていた。
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当時の穢れには、以下のような現象が相当した。
死・病・産・土地などの大きな移動(cf地鎮祭)・火事など。
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当時の仏・法・僧は国家からの管理も受けていた。
免許制の僧だ。
僧には免税などの特権もあった。
なので免許外の非公認の僧も現れた。
税金・雑役逃れに勝手に僧になってしまう。
法師というのに、そういう人たちがいたそうな。
俗を捨てることにもなるので、こつじきに身を窶すことにもなる。
それで、こつじきは、賤しきものと同時に聖なるものという両義性を持つことになる。
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死は穢れの代表的な事例。
僧も触れない。
穢れを清め、粛々と作業を進める人たちを必要とした。
網野は、清める力を持つものだととらえた。
人外の力を持つもの。
他のものとは違う力を持つもの。
非人・河原者などである。
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