下諏訪の翌日、諏訪大社上社にも行った。
諏訪大社は上と下に二社ずつ。
上諏訪の諏訪大社の二つの社は、
「前宮」と「本宮」と呼ばれる。
より小さい「前宮」は、諏訪大社の4社中、
もっとも古来からあったとされている。
「本宮」より昔からあったということだ。
そして、その前宮ができる以前から、
諏訪には古い宗教儀式があったとされている。
諏訪大社の後、守矢資料館で聞いた話。
▼
前宮には、大仰な社はない。
御神宝が安置、御巣始の祠、四柱は
一応はある。
「諏訪明神は神体なく大祝(オオホウリ)をもって
神体となす」といわれ、現人神のような
神官のようなものがおったそうな。
弥栄の鈴を持ち、
真澄の鏡をかけ、
馬具をたずさえる。
現人神、大祝のいでたち。
大小の蛇形の御体というミシャグジ神とともに
大祝と神官たちが冬ごもりをはじめる穴巣始
(アナスハジメ)は、旧暦の12月から3月まで続き、
土室で神秘な祭祀が行われたという。
かつては、3月末には稲穂の積みあげた上に、
さらに上から鹿皮を敷いた大祝の座を作り、
仮の家をかまえる神事もあった。
大祝や神官たちの家々が集まっていた場所。
おいそれと立ち入ると神罰が下る場所。
それが前宮の土地なのである。
(安国寺史友会の説明より)
ともかく、目を引く大きな建造物はないが
霊験なあらたかな土地柄なのであろー。
観光客は少ないが、一人、また一人と、
礼拝に来る人は途切れない。
ま、お土産屋さんのひとつもないが、
諏訪の宗教・歴史理解に重要そうなのである。
諏訪の宗教性の原点だから。
「何にもない。
それがパワースポット。
それがいい。」
▼
祭神は建御名方命(タケミナカタノミコト)と、
その妃、八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)。
タケミナカタは、オオクニヌシノミコトの
息子さんである。
(ヴィジュアル版 タカミナカタ )
詳しい話は、めんどくさい。ともかく、
タケミナカタは、古代に諏訪へ訪れた神である。
アマテラスから、諏訪に居とけと言われた、
あるいは、自分でここに居ときますと言ったのか
ともかく、この地によそからやってきて、
治めることになった。
アマテラスの命を受けたのだから、
要するに、天皇系の方々が諏訪地方を平定する
という物語が、前宮の起源の背景になっている。
古代、諏訪地方の支配者は、地元豪族から
天皇の眷属へ交替したという話。
・・・なんか、まじめになってきたなっ。
次、いこう。
(上諏訪 諏訪大社 後編につづく
本宮:神社の文化のごった煮にお腹いっぱい)
2015年8月23日日曜日
2015年8月22日土曜日
「万治の石仏」の平成版”Reパワースポット化” (下諏訪 後編)
「春宮」
着いたのは夕方5時頃だったけれども
男女のカップルだったり、
親子でもなさそうだけど、微妙に年の違う男性二人連れだったり、
何組かが熱心に祈りを捧げている。
春宮は秋宮より規模は小さく、町のお宮の雰囲気がある。
「春」の宮らしく、農作物の豊年を祈願する祭祀も見られる。
・・・。次。

「万治さん」の石仏ではない。
「万治」は元号である。
建立が、万治3(1660)年ということである。
「建立」というのは、これは明らかな仏教系施設である。
以下のサイトに、誕生の宗教的な由来が詳しい。
『信州しもすわ:「万治の石仏」から楽しむまち歩き』
教育委員会の資料には、
大日如来の密教曼荼羅と阿弥陀如来を収めた石仏、
同体異仏の信仰の対象だそうで、弾誓上人を祖とする
密教信仰の浄土宗の一派と説明がある。
サイトは、やたらと万治の石仏関連情報が充実している。
上の写真はそちらから。
一方、
「万治の石仏」から楽しむまち歩き:万治の開運数を解き明かせ
石仏のエピソードをまじめに紹介するかと思いきや、
開運クイズをサイトのコンテンツにしてる。
グッズ化も進んでいる。
CDも発売された(同サイトより)
”「万治の石仏」のイメージソング「万治の風」好評発売中”
元、「青い三角定規」のメンバーがプロデュースしている。
愛されてるな、セキブツ。
訪問当日、石仏の周囲には可愛らしいノボリがあった。
「万治の石仏 フィギュア 誕生」
オルゴールよりインパクトあるのだろうか。
欲しい。
さて、
石仏も、パワースポット化が進んでいた。
ここで、わたくしが言うところの「パワースポット化」とは、
「礼拝についての一定の様式化が進んでいる」
ということである…などと定義的に書いてみる。
訪問したとき、ちょうど居合わせたカップルが、
礼拝説明書に沿って回っているところであった。
下諏訪観光協会・下諏訪商工会議所が
万治の石仏の参拝方法を以下のように提唱している。
「一、正面で一礼し、
手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。
二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。
三、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する」
なんで、商工会議所に礼拝を仕切られなあかんのだ。
なんか信仰もみんなマニュアル化されてるみたいでイヤだっ!!
とか、現代社会を憂えてみたくもなるけど、
よく考えたら、文化や伝統などは、
日本では特に様式美を求めているわけで。
このような様式化が積み重ねられて、
文化的に格上げされていくんだよなー、
と何人も言っていそうな文化論を頭の中でなぞる。
新たな疑問。
下諏訪の温泉は、みんな熱いのか?
…最後に、温泉入って帰ることにした。
この旅の最大の目的である。
町の銭湯風である。
お風呂のお湯が熱すぎて、浸かってられへん!
お腹までぐらいしか浸かれなかったんは、
山代だったか片山津だったかの総湯以来の経験だ。
浴槽が二つあって、一つは「熱いです」
と書いてあって、もうひとつは「ちょっと熱いです」
と書いてあった。
たしか、二つとも40度以上だったと思う。
訪問日7月24日
着いたのは夕方5時頃だったけれども
男女のカップルだったり、
親子でもなさそうだけど、微妙に年の違う男性二人連れだったり、
何組かが熱心に祈りを捧げている。
春宮は秋宮より規模は小さく、町のお宮の雰囲気がある。
「春」の宮らしく、農作物の豊年を祈願する祭祀も見られる。
・・・。次。
あげあげスポット「万治の石仏」

「万治さん」の石仏ではない。
「万治」は元号である。
建立が、万治3(1660)年ということである。
「建立」というのは、これは明らかな仏教系施設である。
以下のサイトに、誕生の宗教的な由来が詳しい。
『信州しもすわ:「万治の石仏」から楽しむまち歩き』
教育委員会の資料には、
大日如来の密教曼荼羅と阿弥陀如来を収めた石仏、
同体異仏の信仰の対象だそうで、弾誓上人を祖とする
密教信仰の浄土宗の一派と説明がある。
サイトは、やたらと万治の石仏関連情報が充実している。
上の写真はそちらから。
一方、
「万治の石仏」から楽しむまち歩き:万治の開運数を解き明かせ
石仏のエピソードをまじめに紹介するかと思いきや、
開運クイズをサイトのコンテンツにしてる。
グッズ化も進んでいる。
CDも発売された(同サイトより)
”「万治の石仏」のイメージソング「万治の風」好評発売中”
元、「青い三角定規」のメンバーがプロデュースしている。
愛されてるな、セキブツ。
訪問当日、石仏の周囲には可愛らしいノボリがあった。
「万治の石仏 フィギュア 誕生」
オルゴールよりインパクトあるのだろうか。
欲しい。
さて、
石仏も、パワースポット化が進んでいた。
ここで、わたくしが言うところの「パワースポット化」とは、
「礼拝についての一定の様式化が進んでいる」
ということである…などと定義的に書いてみる。
訪問したとき、ちょうど居合わせたカップルが、
礼拝説明書に沿って回っているところであった。
下諏訪観光協会・下諏訪商工会議所が
万治の石仏の参拝方法を以下のように提唱している。
「一、正面で一礼し、
手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。
二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。
三、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する」
なんで、商工会議所に礼拝を仕切られなあかんのだ。
なんか信仰もみんなマニュアル化されてるみたいでイヤだっ!!
とか、現代社会を憂えてみたくもなるけど、
よく考えたら、文化や伝統などは、
日本では特に様式美を求めているわけで。
このような様式化が積み重ねられて、
文化的に格上げされていくんだよなー、
と何人も言っていそうな文化論を頭の中でなぞる。
…(余談)
新たな疑問。
下諏訪の温泉は、みんな熱いのか?
…最後に、温泉入って帰ることにした。
この旅の最大の目的である。
町の銭湯風である。
お風呂のお湯が熱すぎて、浸かってられへん!
お腹までぐらいしか浸かれなかったんは、
山代だったか片山津だったかの総湯以来の経験だ。
浴槽が二つあって、一つは「熱いです」
と書いてあって、もうひとつは「ちょっと熱いです」
と書いてあった。
たしか、二つとも40度以上だったと思う。
訪問日7月24日
諏訪大社で、肉のお祓いの札を(下諏訪 前編)
何かのついでの観光なので、あまり時間がない。
とにかく諏訪大社下社の秋宮から春宮まで歩く。
全国約25000柱の諏訪神社の総本社であり、
創建も不明の日本最古の神社のひとつと数えられる。
御柱祭りは、世界に名だたる神事と知られ、
諏訪大社四社を巡る御朱印めぐりを、
静かなブームとなりつつある。
町を歩けば、諏訪という地域が
日本の歴史のなかでいつの時代も話題になっていたことがよくわかる。
郷土の歴史を掘り起こし、現代にアピールする意識も積極的に感じた。
郷土の文化(歴史)と地域のまちおこし。
古代からの神社。手ごろな距離感で歩める歴史街道。
日本の近代化を示唆する産業化…
…
本題っ
諏訪大社に行きたかった。
なぜ諏訪大社なのか。
なんか獣系の儀礼の影響が残っているらしいのである。
興味あるのは、肉食系の儀礼である。
お米系、稗・粟、ばかりでなしに、ということが面白そうなのであった。
で、その肉食系の儀礼について、
古代―縄文時代あたりの文化の遺産と言っていいのか、
その後の山の民のみなさんに受け継がれてきた文化と言っていいのか、
あるいはその両方と言っていいのか、
そのあたりは、歴史の専門の方々におまかせ。
しかしながら、
「歴史のなかの米と肉」(原田信男)や*
「日本人の宗教と動物観」(中村生雄)とか
「神、人を喰らう」(六車由美)とか*
「秘剣 こいわらい」(松宮宏)(これはちょと違うか)
とかの、ファンを自認しているわりには
諏訪大社に行ったことないのはアカンなー
と前から思っていたので、
ようやく念願かないました。
諏訪大社のHPはコチラ
全国●●●の諏訪神社の総本山である
諏訪大社の概要はコチラ。
下諏訪を歩き回るだけで日が暮れてしまった。
ありがたいことに、下諏訪の秋宮の駐車場は、
日が暮れても空いている。
しかも、有名な観光地なのに、無料だ!!
諏訪ってエエトコや!とひとりごちながら、
車降りた瞬間に山鳩にフンをかけられるというイヤなはじまり。
秋宮では、入るやいなや、これが四柱か!
と、やはり独特な神社景色に気がひかれたが、
すぐに目当ての「肉食のお祓いとそのお札」にぶちあたった。
(この看板の写真がなぜか無くなってしまった。)
サスガ諏訪大社や、
こんな簡単に獣関係の祭祀資料にお目にかかれるとは、
と、なにが「サスガ」かよくわからん感想が頭をよぎる。
翌日、「肉のお祓いの発売」については
微妙な背景があることを知ることになる。
秋宮を出ると、すぐそばに歴史民俗資料館がある。
諏訪湖博物館の分館になる。
江戸期から続く街道筋の商家を博物館としている。
1階は御柱祭りのおおきな注連縄がメインだと思うが、
商家の作りと調度品の方に目が行ってしまう。
2階の3室がメインの展示室のようである。
江戸時代の中山道の宿場「下諏訪宿」、
幕末の事件の史料、「皇女和宮降嫁」、水戸天狗党の合戦、
赤報隊の史料である。
宿場町の史料が気に入る。
↓ こんなんとか。
あまり、大した内容のないまま、
やはり内容のない後編へ続く。
(後編 諏訪大社 下社 パワースポット。
そして、パワースポット化する、「万治の石仏」。
結局、最近のネタは、パワースポットばっかりかっ! へ続く )
とにかく諏訪大社下社の秋宮から春宮まで歩く。
全国約25000柱の諏訪神社の総本社であり、
創建も不明の日本最古の神社のひとつと数えられる。
御柱祭りは、世界に名だたる神事と知られ、
諏訪大社四社を巡る御朱印めぐりを、
静かなブームとなりつつある。
町を歩けば、諏訪という地域が
日本の歴史のなかでいつの時代も話題になっていたことがよくわかる。
郷土の歴史を掘り起こし、現代にアピールする意識も積極的に感じた。
郷土の文化(歴史)と地域のまちおこし。
古代からの神社。手ごろな距離感で歩める歴史街道。
日本の近代化を示唆する産業化…
…
… 歴史紀行かっ このブログはっ Σ\( ̄ー ̄;)
本題っ
諏訪大社に行きたかった。
なぜ諏訪大社なのか。
なんか獣系の儀礼の影響が残っているらしいのである。
興味あるのは、肉食系の儀礼である。
お米系、稗・粟、ばかりでなしに、ということが面白そうなのであった。
で、その肉食系の儀礼について、
古代―縄文時代あたりの文化の遺産と言っていいのか、
その後の山の民のみなさんに受け継がれてきた文化と言っていいのか、
あるいはその両方と言っていいのか、
そのあたりは、歴史の専門の方々におまかせ。
しかしながら、
「歴史のなかの米と肉」(原田信男)や*
「日本人の宗教と動物観」(中村生雄)とか
「神、人を喰らう」(六車由美)とか*
「秘剣 こいわらい」(松宮宏)(これはちょと違うか)
とかの、ファンを自認しているわりには
諏訪大社に行ったことないのはアカンなー
と前から思っていたので、
ようやく念願かないました。
諏訪大社のHPはコチラ
全国●●●の諏訪神社の総本山である
諏訪大社の概要はコチラ。
「肉のお祓い」
下諏訪を歩き回るだけで日が暮れてしまった。
ありがたいことに、下諏訪の秋宮の駐車場は、
日が暮れても空いている。
しかも、有名な観光地なのに、無料だ!!
諏訪ってエエトコや!とひとりごちながら、
車降りた瞬間に山鳩にフンをかけられるというイヤなはじまり。
秋宮では、入るやいなや、これが四柱か!
と、やはり独特な神社景色に気がひかれたが、
すぐに目当ての「肉食のお祓いとそのお札」にぶちあたった。
(この看板の写真がなぜか無くなってしまった。)
サスガ諏訪大社や、
こんな簡単に獣関係の祭祀資料にお目にかかれるとは、
と、なにが「サスガ」かよくわからん感想が頭をよぎる。
翌日、「肉のお祓いの発売」については
微妙な背景があることを知ることになる。
「下諏訪宿」の町の様子
秋宮を出ると、すぐそばに歴史民俗資料館がある。
諏訪湖博物館の分館になる。
江戸期から続く街道筋の商家を博物館としている。
1階は御柱祭りのおおきな注連縄がメインだと思うが、
商家の作りと調度品の方に目が行ってしまう。
2階の3室がメインの展示室のようである。
江戸時代の中山道の宿場「下諏訪宿」、
幕末の事件の史料、「皇女和宮降嫁」、水戸天狗党の合戦、
赤報隊の史料である。
宿場町の史料が気に入る。
↓ こんなんとか。
あまり、大した内容のないまま、
やはり内容のない後編へ続く。
(後編 諏訪大社 下社 パワースポット。
そして、パワースポット化する、「万治の石仏」。
結局、最近のネタは、パワースポットばっかりかっ! へ続く )
2015年8月21日金曜日
(蹴)ガンバvsリーベル・プレートでリーベルのファンになる
データ処理の合間のひとときはブログ書き。
ガンバ大阪vsリーベル・プレートのカップ戦に、息子を連れて行ったときのこと。
ちょっとアウェイ側の席についたので、まわりはリーベルファン、というか、アルゼンチンサッカーファンが多かった。
で、すぐ傍に、下の写真のサポーターがいた。
で、息子が、スマホを触って、そわそわそわそわ、している。
なにかっていうと、写真の松葉杖の彼が、アイマールではないか、とゆーのである。
アホなことをいうな。
この席の周りには、ネームにアイマールと入ったアルゼンチン代表ユニを着込む筋金入りのサポーターがあちこちにいるのだぞ。
そんな連中が、そんな彼をほうっておくわけがないであろー。
息子が(スマホ検索して)見つけた情報では、たしかにリーベルには引退したアイマールがサビオラとともに復活する、という話が持ち上がっている。
しかし、彼は、今、右足を怪我しているとか。
そして確かに、松葉杖の彼は、右足を怪我しているのである。
だがしかし。
そんな選手が、こんな安い席で、日本人の女性連れで座っているか?
そんなことを言っていると、アルゼンチン代表ユニ姿のおじさんが彼の横に座りこみ、なにやら熱心に話しかけはじめた。
彼がたちあがって、グランドの選手たちに気勢をあげると、テレビカメラが抜いてくる。
息子、そわそわ。
違うって。
アイマールって、もっとアフロなヘアだし、もっとおじさんになってるって。
こんなところに座ってへんって・・・などと楽しげな夢想を話しているうちに、
息子さんは、リーベルのユニ欲しいというような、リーベルサポになってしまったのだった。
ガンバ大阪vsリーベル・プレートのカップ戦に、息子を連れて行ったときのこと。
ちょっとアウェイ側の席についたので、まわりはリーベルファン、というか、アルゼンチンサッカーファンが多かった。
で、すぐ傍に、下の写真のサポーターがいた。
で、息子が、スマホを触って、そわそわそわそわ、している。
なにかっていうと、写真の松葉杖の彼が、アイマールではないか、とゆーのである。
アホなことをいうな。
この席の周りには、ネームにアイマールと入ったアルゼンチン代表ユニを着込む筋金入りのサポーターがあちこちにいるのだぞ。
そんな連中が、そんな彼をほうっておくわけがないであろー。
息子が(スマホ検索して)見つけた情報では、たしかにリーベルには引退したアイマールがサビオラとともに復活する、という話が持ち上がっている。
しかし、彼は、今、右足を怪我しているとか。
そして確かに、松葉杖の彼は、右足を怪我しているのである。
だがしかし。
そんな選手が、こんな安い席で、日本人の女性連れで座っているか?
そんなことを言っていると、アルゼンチン代表ユニ姿のおじさんが彼の横に座りこみ、なにやら熱心に話しかけはじめた。
彼がたちあがって、グランドの選手たちに気勢をあげると、テレビカメラが抜いてくる。
息子、そわそわ。
違うって。
アイマールって、もっとアフロなヘアだし、もっとおじさんになってるって。
こんなところに座ってへんって・・・などと楽しげな夢想を話しているうちに、
息子さんは、リーベルのユニ欲しいというような、リーベルサポになってしまったのだった。
2015年8月16日日曜日
(展)河鍋暁斎記念美術館は、住宅街の中にありました
(ずっと前の下書き記事公開)
やっと行った、河鍋暁斎の美術館。
埼玉の住宅街の中にある。
千葉大に寄った後だったので、
ずいぶん遠回りになった。
小さいカフェとグッズショップをくっつけた
こじんまりとした住宅を改良したミュージアム
僕の後には、若い男の子が一人で入ってきた。
残念なことに撮った写真が消えてしまった
もう一回行くしかない
http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm
2015年6月28日日曜日
意外!靖国神社でテンションあがる
ちょっと前にみた池上彰さんの番組で解説されたヤスクニのまとめがひっかかっていた。
靖国神社の戦犯合祀は海外から非難される。
けど、亡くなった人を神として祀ることは日本の文化なのだ。
神の観念が西欧と日本ではちがう。
その感覚は海外の人々には理解されにくいのだ
という結びであった。
けど、亡くなった人を神として祀ることは日本の文化なのだ。
神の観念が西欧と日本ではちがう。
その感覚は海外の人々には理解されにくいのだ
という結びであった。
海外からwar shirin 戦争神社とか言われ、非難されるのは、
お門違いだと言うのであった。
お門違いだと言うのであった。
なんか、イルカ漁とかクジラ漁の話みたいなまとめだな。
違和感、ある。
神社は墓と同じようなもんだ、といっても、崇め奉るわけだから、神の観念がちがうと指摘しても、なんだかなーという感じである。
原爆や被災のように、「黙祷」としとけばカミ観念もなにもなく、死者への悼みが表明できているのではないだろうか
慰霊碑のような、特定の宗教観や思想性を強調せずに表現できる手法ではなく神社。
神さまにして崇め奉る。
慰霊碑のような、特定の宗教観や思想性を強調せずに表現できる手法ではなく神社。
神さまにして崇め奉る。
ガランとしたアスファルトに大きな鉄の鳥居。
ナチュラル素材を損なう変な質感の神社、というのが第一印象。
駐車場脇ではフリーマーケットの準備が始まっていた。
旧日本軍関係のグッズも並んでいる。
これでは、いかにもヤスクニに来た、という感じだ。
ナチュラル素材を損なう変な質感の神社、というのが第一印象。
駐車場脇ではフリーマーケットの準備が始まっていた。
旧日本軍関係のグッズも並んでいる。
これでは、いかにもヤスクニに来た、という感じだ。
僕は「おのぼりさん」ではない。
だからまだここでは写真はとらない。
境内前の休憩所に、マリンルックの海兵隊のような集団が集まっていた。
ここで写真をとったら、靖国すぎるだろう。
私のプライドが許さない。写真は撮らない。
駐車場に、大きな観光バスが16台も連なっている。
へえ、こんなに観光客が来るのか、とフト思う。
へえ、こんなに観光客が来るのか、とフト思う。
さすが、ヤスクニというべきか。
そう思ってよく見たらバスのフロントに、高校総体の文字が眼に入る。
バドミントン部とかバスケ部の総体の送迎バスだった。
単なる駐車場代わりに使われているのか。
これは写真だ。
パチリ。
単なる駐車場代わりに使われているのか。
これは写真だ。
パチリ。
入り口には、大村益次郎のブロンズ像を中心にした塔が立っている。
明治維新に大きく加担した人が祀られる靖国神社の象徴である。
パチリ。
明治維新に大きく加担した人が祀られる靖国神社の象徴である。
パチリ。
境内前に自由にお持ち帰りできるフリーペーパー一枚。
戦地に出向く准尉の父母へ宛てた手紙、
父母兄弟と靖国で再開したいという思いが紹介されている。
境内には掃除をしている妙齢の方が数人。
自衛隊OBの方々が自発的に掃除に来ているとのこと・・・
・・・熱心に最敬礼している参拝者の方が、掃除している方と話している声が聞こえた。
戦地に出向く准尉の父母へ宛てた手紙、
父母兄弟と靖国で再開したいという思いが紹介されている。
境内には掃除をしている妙齢の方が数人。
自衛隊OBの方々が自発的に掃除に来ているとのこと・・・
・・・熱心に最敬礼している参拝者の方が、掃除している方と話している声が聞こえた。
境内の参道の脇には警備員の方が一人。
にらみの効く位置に。
本社を囲む壁には献花会の○○派の生け花がずらっと並んでいる。
美しい。
毎回担当する流派は交代するようである。
花を生ける展示は他にも舞台が用意されていて、活発なようである。
美しい。
毎回担当する流派は交代するようである。
花を生ける展示は他にも舞台が用意されていて、活発なようである。
死者への手向けとしての花は、葬送の原点であり、華道の始まりと言われている。
日本では、ヒトが亡くなるとホトケかカミ(かオンリョウ)になる。
ドーンドーンとおおきな鑼の音がした。
本社の奥の殿で白装束の方が詔をあげはじめた。
これは、写真撮ろう、と思う。
本社の奥の殿で白装束の方が詔をあげはじめた。
これは、写真撮ろう、と思う。
念のために、写真撮る前に、警備員の方に「撮ってもいいですか?」ときいてみる。
真正面からはおやめください。
本社までのこの道は、英霊が通られる道です。
横からなら大丈夫です。
という答え。
本社までのこの道は、英霊が通られる道です。
横からなら大丈夫です。
という答え。
おお、そのセリフが聞きたかったのですよ !
本社を離れ、資料館みたいなのないかな~と思って、それらしい建物へ向かう。
犬のブロンズ像がある!!
シェパードの銅像。
「軍犬」と説明がある。名前はない。
「軍犬」と説明がある。名前はない。
軍用馬と、軍用犬の慰霊碑である。
忘れちゃいけない、左の写真には鳩の慰霊碑も写っているよ!
先の大戦とは、まさにこの国における生きとし生けるものの総力戦だったのである。
犬をそんな風に使うな!
と言いたいが。
『ベルカ、吠えないのか!?』(古川日出男著)を思い出す。
犬好きにとっての直木賞であり芥川賞であり、ノーベル平和賞の本だ。
もう一回読みたくなる。
そもそも、武士の時代の戦いなど、日本では、あまり戦いに犬は使わなかった。
近代に入り、ヨーロッパでの軍用犬の発達により刺激を受けた。
ヨーロッパにおいて軍用犬の活用に成功を果たした事例として、ナチス・ドイツが知られている。
日本では1919年に軍隊がシェパード犬を、幾頭か購入する。
また、中国へ進出したおりにもシェパードやその他の犬種を手に入れる。
第一次大戦後、近衛師団の澤辺賢次郎は、犬を獲得する任務を負うが、値段が高すぎて数頭しか買えなかったという。
この経験から澤辺は、退役後、日本で最初の犬繁殖の商売、ミカドケンネルをはじめる。
犬たちは、中国の青島で主に獲得され、千葉で軍用犬として訓練され、満州において活躍の場を得る。 (アーロン・スキャブランド『犬の帝国』より)
日本での、戦争の犬は、近代戦争の象徴なのである。
だらだら書き続けてきたが、飽きてきたので、人間のことは書かないで、靖国の記録書くの終わり。
・・・ ・・・だらだらした補足。
靖国神社を出て、駅を探して歩きはじめると、法政大学の校舎を過ぎたあたりで機動隊のワゴン車が2台も停まっていた。
ワゴン車の傍のビルには、機動隊員が3人、等間隔で並んでいて、どう見ても警護であった。
何、これ、要人?
と思ったが、警護されているビル横の歩道を歩こうとしたら、
どちらに行かれますか?ときかれ、
道路の反対側の歩道を歩いてください、とのっぽの機動隊員に指示された。
東京、うっとい、と思って通り過ぎたが、何のビルかすぐにはわからなかった。
あれが、売却騒ぎの起こっている、朝鮮総連のビルなのは、後でわかった。
本当に靖国神社のすぐ傍にあるんだ。
だらだら書き続けてきたが、飽きてきたので、人間のことは書かないで、靖国の記録書くの終わり。
・・・ ・・・だらだらした補足。
靖国神社を出て、駅を探して歩きはじめると、法政大学の校舎を過ぎたあたりで機動隊のワゴン車が2台も停まっていた。
ワゴン車の傍のビルには、機動隊員が3人、等間隔で並んでいて、どう見ても警護であった。
何、これ、要人?
と思ったが、警護されているビル横の歩道を歩こうとしたら、
どちらに行かれますか?ときかれ、
道路の反対側の歩道を歩いてください、とのっぽの機動隊員に指示された。
東京、うっとい、と思って通り過ぎたが、何のビルかすぐにはわからなかった。
あれが、売却騒ぎの起こっている、朝鮮総連のビルなのは、後でわかった。
本当に靖国神社のすぐ傍にあるんだ。
2015年5月17日日曜日
比叡山 巡り
●昨日の土曜は、午前の講義の後、ぶっ倒れて爆睡した。
夜になって夕飯を作るために起き、夕飯後、「64」の最終回を見ながら風呂の順番を待っているうちにもう一度爆睡。
気が付いたら、朝だった。
床の上だけど、いつものことで、とにかく時間かけて、眠れた。
朝起きて陽気がいいのでとりあえず比叡山に向かった。
午後からPCに向かって作業したいので少しだけ登ってくることにした。
入り口は、ここから。
適当に道を選んで登りきると、「恵心僧都」の墓につく。
学生さんから、質問のメールが届いたことに気づき、この場で返信する。
このあたりは熊蜂が多い。蝿も。
まとわりついて、「ええい、うるさい」と独り言を口にすると、
御墓のとなりに、半そでTシャツの女性がいることに気づいて、どきっとした。
メールしている間に、墓の前で大きく拍手を打って、移動された。
墓前で拍手。神になっているのか。
いつもだったら、上までくると、そこからうろうろするのだけど、
今日はここからすぐ別ルートで降りる。
降りると、飯室谷不動寺に出る。
千日回峰の本場のようなお寺。
http://www.imurodo.com/index.html
多分、歩いてきたのは、この人たちも通っている道なんだろうな。
距離は約6km、高低差は約680m(と思う)。
たったこれだけだけど、腰から下はガタガタ。
夜になって夕飯を作るために起き、夕飯後、「64」の最終回を見ながら風呂の順番を待っているうちにもう一度爆睡。
気が付いたら、朝だった。
床の上だけど、いつものことで、とにかく時間かけて、眠れた。
朝起きて陽気がいいのでとりあえず比叡山に向かった。
午後からPCに向かって作業したいので少しだけ登ってくることにした。
入り口は、ここから。
適当に道を選んで登りきると、「恵心僧都」の墓につく。
学生さんから、質問のメールが届いたことに気づき、この場で返信する。
このあたりは熊蜂が多い。蝿も。
まとわりついて、「ええい、うるさい」と独り言を口にすると、
御墓のとなりに、半そでTシャツの女性がいることに気づいて、どきっとした。
メールしている間に、墓の前で大きく拍手を打って、移動された。
墓前で拍手。神になっているのか。
いつもだったら、上までくると、そこからうろうろするのだけど、
今日はここからすぐ別ルートで降りる。
降りると、飯室谷不動寺に出る。
千日回峰の本場のようなお寺。
http://www.imurodo.com/index.html
多分、歩いてきたのは、この人たちも通っている道なんだろうな。
距離は約6km、高低差は約680m(と思う)。
たったこれだけだけど、腰から下はガタガタ。
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