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2016年10月2日日曜日

(展)涌井温泉、竹久夢二館で旅と女の風来人生と、同じ世代の鈴木大拙館に思ふ

(これは1年前に作成した記事です)

●金沢の湯湧温泉に小さな竹久夢二館がある。

「金沢湯湧夢二館」

小さい、と言っても、立派な展示だったが。

温泉観光のちょっとしたアクセントか、

と思っていたけど、

コンテンツも小規模だけど、しっかりしてると思う。

展示絵画はもっと欲しい。

けど、夢二愛は感じたと思う。


当時の放浪とスキャンダルのセレブリティぶりと、

現代に残る人気はよくわかった。

全国に夢二の記念館がある。

・「竹久夢二伊香保記念館」http://www.yumeji.or.jp/
・「夢二郷土資料館」http://yumeji-art-museum.com/
・「弥生美術館」
 「竹久夢二美術館」 http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/index.html
・「竹久夢二専門ギャラリー 港屋」 http://www.yumeji-minatoya.co.jp/index.html



●金沢には、そんな夢二とほぼ同世代に、鈴木大拙がいる。

金沢には真新しい鈴木大拙館がある。

なんか、静謐を気取ったコンクリートのしゃれた建物である。

個人的には、この建物きらい。

それは、ともかく、

思想を追求した、世界的知的エリートと

旅と女の放浪の男の人生と、


ちょっとしか回ってないけど、

いろいろ感じ入った、金沢巡り。


2016年6月4日土曜日

(映画)死ぬほど寒そうなのにパンイチで寝る姿に震えた!『ザ・トライブ』


(過去記事ストックの公開)

2015年初夏-
疲弊しきった心と体には、
世紀末感いっぱいのバイオレンス映画がぴったりくるぜ!

そう思って中学生気分で
マッドマックスしようと出かけたが・・・
なぜか選んだ映画は、『ザ・トライブ』。















このお話は聾唖者の話。
この頃の授業で『愛を静けさの中に』の話をしたばっかりだった。
その映画は健常者とろうあ者の話。

『ザ・トライブ』はろうあ者だけの世界を描く。
まったくセリフのない映画とのこと。
静寂の映画で、癒やされようと見に行ったところ……

映画の冒頭は、じっくりと転入生が訪れる様子をカメラが追いかけて、
傑作の始まりを予感させる。



ところが、ところが
これがとんでもない世紀末感吹き荒ぶ、
騒々しく、荒々しい映画だった!
学園映画は、なにやら場末のギャング団か囚人映画のようになり、
有る意味で世紀末気分は、
マッドマックスよりずっと濃厚。












これ、キャスティングがよい。

顔を見ているだけで、それらしい人物とわかる。

そして、どーでもいいことなのだが、
気になって仕方がなかったこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
外が凍てつき、うすら寒そうな部屋で、
みんなの部屋着は、パンイチかいっ
 むっちゃ寒そう。
 


2015年12月2日水曜日

(展)影絵を作り出す実物装置の展示が、すごい世界だ。『光と影の芸術人 藤城清治』

海遊館の隣の、文化館。
なんて名前だったっけ?

『光と影の芸術人 藤城清治 展』に
いつだったか行ってきた。
(このブログ記事公開時点ではもう終わってます)

いつだったっけ?
学園祭で授業が休みのときだったと思う。

藤城…聞いたことのあるような名前。
多分、影絵とかの人じゃなかったけ?

いつものことで、よく調べていない。
なんとなくの記憶だけで展覧会へ。

かなり有名な人らしいことはわかった。
24時間テレビでも制作がドキュメントされた。
・・・というよりも、
作品を一目見たら、ああ見たことある・・・
と誰もが思うだろう。

日本の影絵の歴史みたいな人である。
現在、91歳になられるそうだが、
制作意欲はまだまだ旺盛らしい。

6メートルのキャンバスに鮮やかに描かれた
大阪を一望する巨大な影絵は、
去年あたりに創られたもので、
制作途中で脊椎圧迫で机に座れなくなり、
手術をしながら描き切ったそうだ。

脊柱の大病によって
見えてきた人生の喜びと希望についても
直筆メッセージが寄せられていた。
恐るべし。

藤城さんは、私たちのよく知るところでは、
ケロヨンの作者でもある。
そんなふうにいうよりも、
僕らぐらいの年齢の人からすると、

見たことある・・・で見てみると、
宮沢賢治の銀河鉄道などなどの話とか
セロ弾きのゴーシュとか、
松谷みよことか、
影絵で小人が出てくる映像…
と言ったら、すぐイメージされる「あの絵」
の人なのである。

…それはそうと、展示の方法がかなり豪華である。

少なくとも140点。
映像動画展示が数点あり、
独自の仕掛けがあるケース付き展示、
展覧会用の独特なモニュメントスペース
影絵の舞台裏装置の実物稼働展示。

専用の美術館みたいだ。

自分自身の好みの絵柄は、
1960年代に制作された西遊記の挿絵たちだった。

これはモノクロのみだった。
他の、独特な構図に幻想的な色使いが施され、
物語性を呼びかける美しい影絵たちとは
少し違うように思えた。

シャープなだけじゃなくて、
絵の登場人物の表情やキャラクターが明確で、
そして絵全体の動きがダイナミックに感じた。
アニメーションの1シーンを
切り抜いたようだった。

影絵は美しい。

2015年11月29日日曜日

(映画)その者、蒼き衣を纏いて・・・のハンガリー版  『ホワイト・ゴッド』

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』

ここのところ、連日、3・4時間しか寝てられない。
そんな土曜にぽっかり空いた午後は、
ストレス解消の映画に限る。
途中で寝るかもしれないが、
家に帰る道筋がもうもめんどくさい。

そして、今回も聞いたこともない、
おかしな映画をチョイスしてしまう。

『ホワイト・ゴッド 犬と少女の狂詩曲』
ホワイト・ゴッドって何だ?

知ってて当たり前のことを
また、知らないのかもしれない。
なんか犬が復讐するらしい。


*******

主人公のリリは離婚した母と暮らしていたみたい。
お母さんが、豪州に数か月の留学が決まった。
リリはちょっと煙たいお父さんに預けられる。
そこから物語ははじまる。

お父さんの仕事は、見ていてちょっと興味を引いた。
日本でいうなら、屠場の衛生士のような仕事だ。

留学する元妻とは違って、
自分自身は大学の職ではなくなり、
食肉加工施設の一介の職員という点が
ちょっと気がひけている感じである。
しかし、そこには日本のような屠場自体への特殊な思いはない。

ところで、リリは、
いつもゴールデンリトリバーの雑種犬
ハーゲンと一緒だ。
いや、ボクサー犬が入っているのかな。

ま、とにかく、関係がぎくしゃくしているお父さんは、
犬と一緒はごめんだと言っている。

ハーゲンは寝室から追い出され、
浴室に閉じ込められてしまった。
吠え止まないハーゲンをかわいそうに思ったリリは、
トランペットの音を聞かせながら、
お父さんと二人きりの最初の晩を
ハーゲンと浴室で明かすことになった。

町ではその頃、雑種犬は税金を払うという
条例が定まっていた。
払わなければ、保護観察所に犬は移送される。
保護する、と言っても処分されるのはわかっている。
ハーゲンはアパートメントの住人に見とがめられ、
市の職員がお父さんに税金を払え、と言ってきた。

頭ごなしの職員を、お父さんは追い払ったが、
リリは心配で、ハーゲンを家に置いておけない。

学校のブラスバンドの練習にも連れて行ったが、
練習中にハーゲンが暴れてしまい、
一生懸命やっていたブラスバンドからも脱退を命じられる。
学校で一騒動を起こす悩み盛りのリリを
扱いきれないお父さんは、ハーゲンを棄ててしまうのでした。

*******

ここからは、ネタバレ注意…というか、
映画を見てみたい人は読んだらいけないことを書きます。

物語は、ここから二人の物語として進みます
一方は、リリの思春期の成長の物語、
お父さんとの絆の再生の物語として。
もう一方は、ハーゲンの犬残酷物語として。

まとめます。

最初、
少女の成長と家族の物語としてはじまり、
「ワンサ」くんや
「チャロ」の物語の要素も入りつつ
基本、『犬の心臓』のように進み、
『白い戦士ヤマト』をえぐくするとこうだな、とか、
『ベルカ吠えないのか』思い出したりしてるうちに、
「ロッキー」かい!と突っ込みも入れたくなります。
結局、「クジョ―」じゃん、「鳥」じゃんという思いになり、
仕事人か、「ダーティハリー」みたいな登場すんじゃねえよ、
とにやついてい突っ込んでいると、
娘のストーリーは、「レス・ザン・ゼロ」の世界さながらで、
しかし、この前見た「ザ・トライブ」ほどの荒れじゃないから、
父と娘の再生が進んで行って、
最後に、荒ぶる犬神さまたちを
「風の谷のナウシカ」のようにお迎えするようになるのです。

オフィシャルサイト記載の監督弁では、
ホワイト・ゴッドは思いついた言葉だそうで、
白人だけの・ためだけの、という意味も含めた「ホワイト」、
それに対して、万物への主を示す「ゴッド」という意味の二つで、
対比や矛盾の意図があったそうです。
説明聞くと余計よくわからんようになったけど。

次作は、
覚醒したリリ・人々を導く、
・・・としてほしいところです。

・・・こんなふうに書きましたが、
僕は好きです。

ちなみに犬好きの方は、
やはりあまり見ない方がいいと思います。
犬残酷物語はかわいそうです。

けど、もうひとつの感想も出てくるでしょう。
僕は映画の途中で、「役犬」たちに拍手を送りたくなりました。

映画のエンド・ロールでは、
ちゃんと登場した「役犬」たちもクレジットされていました。

2015年8月16日日曜日

(展)河鍋暁斎記念美術館は、住宅街の中にありました

(ずっと前の下書き記事公開)

やっと行った、河鍋暁斎の美術館。

埼玉の住宅街の中にある。

千葉大に寄った後だったので、
ずいぶん遠回りになった。

小さいカフェとグッズショップをくっつけた
こじんまりとした住宅を改良したミュージアム

僕の後には、若い男の子が一人で入ってきた。

残念なことに撮った写真が消えてしまった

もう一回行くしかない

http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm

2015年5月6日水曜日

(映)「ある精肉店のはなし」

もう、丸々1年前に書いた日記。
映画「ある精肉店のはなし」のはなし。
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貝塚市にある精肉店。
家族で続けてこられた屠畜・精肉・販売業。
映画は屠畜の様子からはじまり、
精肉を中心とした家族の営み、
地域の生活文化が淡々と、
ときおり本人のインタビューをまじえながら、
美しい映像で描き出している。

一日だけだけど、見学させてもらって話を聞いたところが映画になったのははじめてなので、不思議な体験だった。
文字通り身を乗り出して見てしまった。

家の裏の牛舎から市営屠畜場まで
くねくねとした生活道路をけっこう歩く。
カメラがその様子を映すために先回りしたり、どこかの屋上から俯瞰でとらえたりすると、事前確認がないと、こんなふうな絵にはならないようなーとか、なぜかそんなことが気になる。

屠畜や太鼓づくり、移動精肉屋、盆踊りのシーンでも
椅子から身を乗り出した。
家族の生活にかなり入り込んでいることで、生き生きとした暮らしの一面がとらえられていた。

一方で、変な違和感もかなり残った。
違和感というか、気恥ずかしさというか、ふと考え込んでしまう。
最初の違和感は、インタビュアーの声が入ってくるところだった。
ナレーションの声と同じだったので、おそらく監督の聞き取りだろう。
でも、声だけが登場し、画面は話している語り手だけだ。
1人語りにするか、2人対話にするか、どっちかを意識するのが、自分自身のひっかかりだったと思う。
そして、それよりもインタビュアーの(おそらく)若い女性の声が入ると、何故かすごく恥ずかしく感じるのだった。
なぜだろう。


また、インタビューシーンでは、他にも細かいつっこみを入れて独り言を言いそうになった。
こんなのは、映画見ていてはじめてだ。

おばあさんの語りについて、それしか使うとこなかったん?とか。
もっといろいろしゃべりそうなのに…とのど元まで声になりかかっていた。

たしかに表情豊かでご本人らしさが出ている映像なんだろうなーと感じたけれど、
もっといろんな語りがありそうな人だよなーと感じていた。
昭さんも「思い」の語りを使いすぎちゃうやろか、という別の違和感。
なんていうんでしょう。
・・・解放運動のストーリーのような、ある定式化した物語にのっかかったような、「思い」の語り方が、出てきているように思えた。
話しなれているせいなのかな。

・・・うーん、ブログで書いてたら、また、ごちゃごちゃ考え始めた
・・・とりとめなく、考え始めたので、この日記はここで終わります。

2014年12月17日水曜日

(展)バルデュス展はもちろん行ってきた

年末で、書き溜めた日記のそうざらえ

●バルデュス展はもちろん行ってきた。
もちろん、前知識なし。
派手な広告の絵につられたようなものだけど。
美術館行く自分って高尚ー、みたいな感じだけど。

でも、そんな自分でも初見でいろいろ考える展示だった。
作者がスター扱い、作者自身の写真がかっこ良過ぎ、ビデオも渋すぎ、鼻につく。
でも、たしかに作品すごい。


●少年期の「mitsou」かわいい。
 

かわいいつながりで、ファンタジックで印象に残る「cats and girls」(1949)














ますむらひろしさんの「アタゴオル」を思い出したのは私だけではないだろう。
でもアタゴオルは1970年代の連載開始だから、こっちのほうが古いのか。
斬新だなー。”猫男”と僕は呼ぶ。


●コミック的というと、初期の作品に「嵐が丘」の小説の挿絵があって、なんかデッサンがくずれたような感じに魅入ってしまう。



















「諸星大二郎・・・」。これらの挿絵を見ながら、尊敬する漫画家の画風を思い起こしていた。


●ところで、このバルデュルス氏は、同じ構図をいろいろと書き直す作家のようであった。




















バルデュス本人が描かれているとか、人物の描写でとりわけ女性の肌に象徴される白が体の輪郭からにじみ出ているとか、 裸身を描くというセンセーショナルなどいろいろ解説されていた。
代表的な図らしい。
これが、一つ前の挿絵の構図と同じである。


●さらにそのひとつ前の挿絵と同じ構図もいくつもあって、






















と、同じ姿勢の女性が何度も描かれている。

そして、描かれた顔がなんか怖い。


●ときどき顔が怖い絵がある。特に女性。
頭に残ったのは、ヨーロッパ時代の若かりしころに描く女性の、壊れ(壊し)具合である。

禍々しいとまで、感じた。
 



















展示にはなかったと思うけど、後でwikiで見た上の「guitar lesson」はかなり衝撃的。

なんか、特に女子を破壊的に描くように感じる。

ポーズ自体が、なぜ、このポーズを選ぶ?と思う。
















グッズの図柄にもよく使われていた上の「テレーズの娘」は、色使いや構図の華やかさ、テーマモチーフの猫の登場などが解説されていた
僕自身は、近くで見て正直衝撃を受けた。
スカートの中のパンツまでこうまで執拗に描くのは、どういう感覚やねん・・・

悪意・・・というか、破壊の意思みたいなものを感じるんだけど・・・とにかく、すごく攻撃的に感じる。

描かれた女性のポーズや表情に、描く目線が持つ破壊性や攻撃性を感じるのであった。



●そのように攻撃性や破壊性を感じたのだが、晩年の日本時代になると、日本女性と結婚し描かかれるもののなかに、質の違ったものを感じるようになる。















 さっき、紹介したうつむき加減の女性たちに構図自体は似ている気がする。

けど、姿形はもっともっと崩れていて、そして、色自体がさらに輪郭と外界が滲みあって混合している・・・
破壊性というより、溶解性という言葉が浮かんできたのだった。



●あーおもしろかった。バルデュス展。初見なのに。
作品のふり幅の大きさと、作品と連動した作者の生き様を感じる。
もっともっと深いんだろうな。

ほかにも、いろいろ考えたんだけど、最後に気に入った絵をあげて終わり。
「崖」です。
















ちょっと近くでも、かなり離れても、光に照らされる木と岩壁が眩しかったです。
美しかった。

2014年9月14日日曜日

(展)曾我簫白 鳥獣画の研究

去年書きかけの記事が下書きにいくつか残ってる。
多分、写真をつけて、文章練り直してとかめんどくさいことを考えている間に忘れてしまった文章だ。
ブログが空き家みたいになっているし、GWなのにコラム原稿で引きこもるの飽きたし、、アップしよう
………………………………………
香雪美術館というハイソな街のこじゃれた美術館に行ってきた。
曾我ショウハクのは鳥獣画の展示である。











ショウハクは人物画の方にインパクトがある。
どうみても不気味な顔にしか思えない。




















でも曾我ショウハク見たくて行ってきた。

感想:もう鷹図だけでもお腹一杯で、見飽きませんナー。
しばらく絵の前で寝泊まりして、あーでもないこーでもないと考えたい。

ポスターになってた青色の鬼と釈迦童子の雪山童子は印象的だが、





















それよりも僕は鷹図!

どうやって色作ってんのかなー
背景の色づけすんのかなー
構図、頭に浮かんでんのかなー
鷹や鶴の足や羽の描き込み
背景・構図の荒々しさと緻密な描き込み
春夏秋冬の鷹図の描き分けでの雪の白さ
墨の濃淡で見せる表現

大きなふすま絵などが有名なのだけど,細部に具とれていました

2014年9月5日金曜日

(映)2013はBLANCA NIEVES(ブランカ ニエベス)





「ブランカ ニエベス」って何だ?

どこかで聞いたことあるような…

全然意味がわからないのに、お金払って入ってしまった。

以前、ちらっと見た予告映像は、モノトーンの映画で若い女性が闘牛士をしていることだけ記憶に残った。

映像が、”なんかキている”感じがした。
「ハンナ・アーレント」を見に行ったのだが、後回しにすることにした。


ミニシアター行ったのは、数年ぶりだ。
最近は、家族連れの喧騒に沸き返るシネコンばっかり。
久しぶりに来てみると「ここは美術館か!」と思う。

タッチ画面のチケット販売マシンなんかない。
カウンターのみの窓口は手作り感があっていいのはいい。
だが、なんか「映画って芸術です」的なハイソ感が鼻につくような気もする。

初老のご夫妻や、小奇麗なご婦人方ばかりという客層。
小さな狭いロビーは、余計な音が一切ない。
せいぜい窓口のチケット購入時に出てくる軽口ぐらいだ。

この映画の前にみた映画は、あの「新世界国際映画館」での「ビザンチウム」。
上映中の頻繁な出入りの音と光、咳・独り言・鼻歌、前席にもたれかけた両足、座席で広げられるスポーツ新聞、4・5人でいっぱいになる小さな待合は煙草の煙で充満…となんとも賑やかな様子だった。

久しぶりのミニ・シアターは、静かで洒落ている。
ホール内は、さらに静かであった。
音が壁に吸い込まれるような気がする。

上映開始で部屋が暗くなった一瞬、
この部屋には他に誰もいないんじゃないかと思えるくらい静かになった。

真っ暗

誰かがゆったりした座席の上で腰の位置を変えた音が大きく聞こえた。


暗さのおかげだと思う。映画本編にはものすごく集中できた。

映画はモノトーン&サイレント。
そんなことも知らずに座席に座っていた。
音声は無いけど、美しいBGMがずっと流れ続けている。

特に印象に残ったのがスパニッシュギターや、カスタネットのリズム。
映画を見ている間、ギターを叩いたり、カスタネットをはじく演奏者の手の動きのイメージがずうっと頭の中に浮かんでいた。

一方、画面の美しさに文字通り目が眩んでもいた。
モノトーンの映像が、こんなにも美しいものとは。
ひとつひとつのカットが美しく、美術絵画を眺めているように感じた。
しかもその絵が動く。

「絵が動いている」
独り言を声に出して言いそうになった。

映画って”活動写真なんだ”と、この年になってはじめて気が付いた。


BLANCA NIEVES とは白雪姫のことだった。

この映画はスペイン的な文化と情熱で彩られた snow white の物語なのだった。

魔女も7人の小人もちゃんと出てくる。

白雪姫に模した現代の寓話のような物語、というよりも

寓話の形を模した現実の厭らしさを語る結末とでもいうべきでしょうか。

2014年9月3日水曜日

(映)「イーダ」

●ポーランドのユダヤ人をとりまくお話。

歴史的状況、その空気感についてセンスがないと、特に主人公の叔母ヴァンダの抱えるものについて推し量ることもできない…という印象を受けました。

ドイツ・ナチス党の支配下、隣人であったポーランド人によるユダヤ人排斥。
スターリン主義とポーランド人への断罪。
共産主義体制の独裁化という歴史…

書いててもどんな生活で社会なのか言葉面しかわからない。

●そのうえ、主人公の少女・アンナ(イーダ)はカトリック修道院で修行中の修道尼。
今回の旅で、実は戦時下に家族を失ったユダヤ系としての出自を知るという設定。

ヨーロッパのキリスト教とユダヤ教。
ますますわからん。

ついでに言えば、映画史における”ポーランド派”の”新世代”という映画自体への惹句もある。
これも雰囲気しかわかってない。

世界史を紙の上で勉強してるだけの自分のような者には推し量れないものが描かれた映画なのでした。


●戦時のユダヤ人と言えば、昨年末に観た「ハンナ・アーレント」。
映画の中で、仲間たちがヨーロッパのユダヤ人が背負う歴史について、熱く語る場面がありました。
こちらは、心情や思想を背景に「ハンナ」の生きざまをテーマとする映画。
まさに言葉が重要でした。
言葉で語れないものもあることも伝わってきました。
(…自分自身としては、もっともっと映画的に語る映画が観たいと思いましたが)

●ヴァンダとアンナ(イーダ)の映画は、言葉少なに進みます。
ショッキングな映像で訴えるのでなく、叙情的な画面。
耳に残るのはコルトレーンのエロティックなジャズの調べ。
歴史ー状況を知った「アンナ」がほとんど選択肢のないなかで、どう生きていくのか、自分の人生を引き受けていくという物語

●叔母のヴァンダがむちゃくちゃ渋くてかっこいい。
ジーナ・ローランズを思い浮かべました。







●監督のインタビューがweb上にあったので、鑑賞後に読んでみると、
テーマへの切り口に別の考えもあったそうです。
なぜカトリック教会の修道女とユダヤ系女性の話なのか。
なぜ時代設定は、戦争と革命の間の時期なのか。
監督インタビューを読むと、選ばれたこのシーン設定の選択の妙を感じざるを得ませんでした。

これが新世代ってことか。