2015年8月22日土曜日

諏訪大社で、肉のお祓いの札を(下諏訪 前編)

何かのついでの観光なので、あまり時間がない。
とにかく諏訪大社下社の秋宮から春宮まで歩く。

全国約25000柱の諏訪神社の総本社であり、
創建も不明の日本最古の神社のひとつと数えられる。
御柱祭りは、世界に名だたる神事と知られ、

諏訪大社四社を巡る御朱印めぐりを、
静かなブームとなりつつある。
町を歩けば、諏訪という地域が
日本の歴史のなかでいつの時代も話題になっていたことがよくわかる。


郷土の歴史を掘り起こし、現代にアピールする意識も積極的に感じた。
郷土の文化(歴史)と地域のまちおこし。
古代からの神社。手ごろな距離感で歩める歴史街道。
日本の近代化を示唆する産業化… 
… 

… 歴史紀行かっ このブログはっ Σ\( ̄ー ̄;)


本題っ

諏訪大社に行きたかった。
なぜ諏訪大社なのか。

なんか獣系の儀礼の影響が残っているらしいのである。

興味あるのは、肉食系の儀礼である。
お米系、稗・粟、ばかりでなしに、ということが面白そうなのであった。

で、その肉食系の儀礼について、
古代―縄文時代あたりの文化の遺産と言っていいのか、
その後の山の民のみなさんに受け継がれてきた文化と言っていいのか、
あるいはその両方と言っていいのか、
そのあたりは、歴史の専門の方々におまかせ。

しかしながら、
「歴史のなかの米と肉」(原田信男)や*
「日本人の宗教と動物観」(中村生雄)とか
「神、人を喰らう」(六車由美)とか*
「秘剣 こいわらい」(松宮宏)(これはちょと違うか)
とかの、ファンを自認しているわりには
諏訪大社に行ったことないのはアカンなー
と前から思っていたので、
ようやく念願かないました。

諏訪大社のHPはコチラ
全国●●●の諏訪神社の総本山である
諏訪大社の概要はコチラ



「肉のお祓い」


下諏訪を歩き回るだけで日が暮れてしまった。
ありがたいことに、下諏訪の秋宮の駐車場は、
日が暮れても空いている。

しかも、有名な観光地なのに、無料だ!!
諏訪ってエエトコや!とひとりごちながら、
車降りた瞬間に山鳩にフンをかけられるというイヤなはじまり。














秋宮では、入るやいなや、これが四柱か!
と、やはり独特な神社景色に気がひかれたが、
すぐに目当ての「肉食のお祓いとそのお札」にぶちあたった。
 (この看板の写真がなぜか無くなってしまった。)


サスガ諏訪大社や、
こんな簡単に獣関係の祭祀資料にお目にかかれるとは、
と、なにが「サスガ」かよくわからん感想が頭をよぎる。

翌日、「肉のお祓いの発売」については
微妙な背景があることを知ることになる。


「下諏訪宿」の町の様子


秋宮を出ると、すぐそばに歴史民俗資料館がある。
諏訪湖博物館の分館になる。
江戸期から続く街道筋の商家を博物館としている。

1階は御柱祭りのおおきな注連縄がメインだと思うが、
商家の作りと調度品の方に目が行ってしまう。

2階の3室がメインの展示室のようである。
江戸時代の中山道の宿場「下諏訪宿」、
幕末の事件の史料、「皇女和宮降嫁」、水戸天狗党の合戦、
赤報隊の史料である。

宿場町の史料が気に入る。

↓ こんなんとか。 











あまり、大した内容のないまま、
やはり内容のない後編へ続く。


(後編 諏訪大社 下社 パワースポット。
     そして、パワースポット化する、「万治の石仏」。
 結局、最近のネタは、パワースポットばっかりかっ! へ続く )

2015年8月21日金曜日

(蹴)ガンバvsリーベル・プレートでリーベルのファンになる

データ処理の合間のひとときはブログ書き。


ガンバ大阪vsリーベル・プレートのカップ戦に、息子を連れて行ったときのこと。

ちょっとアウェイ側の席についたので、まわりはリーベルファン、というか、アルゼンチンサッカーファンが多かった。

で、すぐ傍に、下の写真のサポーターがいた。













で、息子が、スマホを触って、そわそわそわそわ、している。

なにかっていうと、写真の松葉杖の彼が、アイマールではないか、とゆーのである。

アホなことをいうな。
この席の周りには、ネームにアイマールと入ったアルゼンチン代表ユニを着込む筋金入りのサポーターがあちこちにいるのだぞ。
そんな連中が、そんな彼をほうっておくわけがないであろー。

息子が(スマホ検索して)見つけた情報では、たしかにリーベルには引退したアイマールがサビオラとともに復活する、という話が持ち上がっている。
しかし、彼は、今、右足を怪我しているとか。
そして確かに、松葉杖の彼は、右足を怪我しているのである。

だがしかし。
そんな選手が、こんな安い席で、日本人の女性連れで座っているか?

そんなことを言っていると、アルゼンチン代表ユニ姿のおじさんが彼の横に座りこみ、なにやら熱心に話しかけはじめた。

彼がたちあがって、グランドの選手たちに気勢をあげると、テレビカメラが抜いてくる。

息子、そわそわ。

違うって。
アイマールって、もっとアフロなヘアだし、もっとおじさんになってるって。
こんなところに座ってへんって・・・などと楽しげな夢想を話しているうちに、

息子さんは、リーベルのユニ欲しいというような、リーベルサポになってしまったのだった。




2015年8月16日日曜日

(展)河鍋暁斎記念美術館は、住宅街の中にありました

(ずっと前の下書き記事公開)

やっと行った、河鍋暁斎の美術館。

埼玉の住宅街の中にある。

千葉大に寄った後だったので、
ずいぶん遠回りになった。

小さいカフェとグッズショップをくっつけた
こじんまりとした住宅を改良したミュージアム

僕の後には、若い男の子が一人で入ってきた。

残念なことに撮った写真が消えてしまった

もう一回行くしかない

http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm

2015年6月28日日曜日

意外!靖国神社でテンションあがる


ちょっと前にみた池上彰さんの番組で解説されたヤスクニのまとめがひっかかっていた。

靖国神社の戦犯合祀は海外から非難される。
けど、亡くなった人を神として祀ることは日本の文化なのだ。
神の観念が西欧と日本ではちがう。
その感覚は海外の人々には理解されにくいのだ
という結びであった。
海外からwar shirin 戦争神社とか言われ、非難されるのは、
お門違いだと言うのであった。

なんか、イルカ漁とかクジラ漁の話みたいなまとめだな。

違和感、ある。
神社は墓と同じようなもんだ、といっても、崇め奉るわけだから、神の観念がちがうと指摘しても、なんだかなーという感じである。
原爆や被災のように、「黙祷」としとけばカミ観念もなにもなく、死者への悼みが表明できているのではないだろうか
慰霊碑のような、特定の宗教観や思想性を強調せずに表現できる手法ではなく神社。
神さまにして崇め奉る。



ガランとしたアスファルトに大きな鉄の鳥居。
ナチュラル素材を損なう変な質感の神社、というのが第一印象。

駐車場脇ではフリーマーケットの準備が始まっていた。

旧日本軍関係のグッズも並んでいる。
これでは、いかにもヤスクニに来た、という感じだ。
僕は「おのぼりさん」ではない。
だからまだここでは写真はとらない。

境内前の休憩所に、マリンルックの海兵隊のような集団が集まっていた。
ここで写真をとったら、靖国すぎるだろう。
私のプライドが許さない。写真は撮らない。


駐車場に、大きな観光バスが16台も連なっている。
へえ、こんなに観光客が来るのか、とフト思う。
さすが、ヤスクニというべきか。
そう思ってよく見たらバスのフロントに、高校総体の文字が眼に入る。
バドミントン部とかバスケ部の総体の送迎バスだった。
単なる駐車場代わりに使われているのか。
これは写真だ。
パチリ。 

入り口には、大村益次郎のブロンズ像を中心にした塔が立っている。
明治維新に大きく加担した人が祀られる靖国神社の象徴である。
パチリ。
 その塔の脇には大きな灯籠。
灯籠には国家の戦いをモチーフにした彫刻。
やっぱり戦争神社っていわれても仕方ない

境内前に自由にお持ち帰りできるフリーペーパー一枚。
戦地に出向く准尉の父母へ宛てた手紙、
父母兄弟と靖国で再開したいという思いが紹介されている。


境内には掃除をしている妙齢の方が数人。
自衛隊OBの方々が自発的に掃除に来ているとのこと・・・
・・・熱心に最敬礼している参拝者の方が、掃除している方と話している声が聞こえた。

境内の参道の脇には警備員の方が一人。
にらみの効く位置に。
本社を囲む壁には献花会の○○派の生け花がずらっと並んでいる。
美しい。
毎回担当する流派は交代するようである。
花を生ける展示は他にも舞台が用意されていて、活発なようである。

死者への手向けとしての花は、葬送の原点であり、華道の始まりと言われている。
日本では、ヒトが亡くなるとホトケかカミ(かオンリョウ)になる。

ドーンドーンとおおきな鑼の音がした。
本社の奥の殿で白装束の方が詔をあげはじめた。
これは、写真撮ろう、と思う。

念のために、写真撮る前に、警備員の方に「撮ってもいいですか?」ときいてみる。
真正面からはおやめください。
本社までのこの道は、英霊が通られる道です。
横からなら大丈夫です。
という答え。

おお、そのセリフが聞きたかったのですよ !
斜めから写真を撮る。
参拝も賽銭も何にもしないで写真だけとる。

マスクもしているので、
油かけにくる人と間違われないよう、気をつけよう。

本社を離れ、資料館みたいなのないかな~と思って、それらしい建物へ向かう。



オオォ!

犬のブロンズ像がある!!


シェパードの銅像。
「軍犬」と説明がある。名前はない。

軍用馬と、軍用犬の慰霊碑である。
 
忘れちゃいけない、左の写真には鳩の慰霊碑も写っているよ!

先の大戦とは、まさにこの国における生きとし生けるものの総力戦だったのである。
 



軍用犬はシェパードがモデルである。
こうした犬たちは、各地から徴兵されたものも多い。
犬をそんな風に使うな!
と言いたいが。


『ベルカ、吠えないのか!?』(古川日出男著)を思い出す。
犬好きにとっての直木賞であり芥川賞であり、ノーベル平和賞の本だ。
もう一回読みたくなる。

そもそも、武士の時代の戦いなど、日本では、あまり戦いに犬は使わなかった。
近代に入り、ヨーロッパでの軍用犬の発達により刺激を受けた。
ヨーロッパにおいて軍用犬の活用に成功を果たした事例として、ナチス・ドイツが知られている。

日本では1919年に軍隊がシェパード犬を、幾頭か購入する。
また、中国へ進出したおりにもシェパードやその他の犬種を手に入れる。

第一次大戦後、近衛師団の澤辺賢次郎は、犬を獲得する任務を負うが、値段が高すぎて数頭しか買えなかったという。
この経験から澤辺は、退役後、日本で最初の犬繁殖の商売、ミカドケンネルをはじめる。

犬たちは、中国の青島で主に獲得され、千葉で軍用犬として訓練され、満州において活躍の場を得る。 (アーロン・スキャブランド『犬の帝国』より)

日本での、戦争の犬は、近代戦争の象徴なのである。



だらだら書き続けてきたが、飽きてきたので、人間のことは書かないで、靖国の記録書くの終わり。




・・・ ・・・だらだらした補足。
靖国神社を出て、駅を探して歩きはじめると、法政大学の校舎を過ぎたあたりで機動隊のワゴン車が2台も停まっていた。
ワゴン車の傍のビルには、機動隊員が3人、等間隔で並んでいて、どう見ても警護であった。

何、これ、要人?
と思ったが、警護されているビル横の歩道を歩こうとしたら、
どちらに行かれますか?ときかれ、
道路の反対側の歩道を歩いてください、とのっぽの機動隊員に指示された。

東京、うっとい、と思って通り過ぎたが、何のビルかすぐにはわからなかった。

あれが、売却騒ぎの起こっている、朝鮮総連のビルなのは、後でわかった。

本当に靖国神社のすぐ傍にあるんだ。
 



2015年5月17日日曜日

比叡山 巡り

 ●昨日の土曜は、午前の講義の後、ぶっ倒れて爆睡した。
夜になって夕飯を作るために起き、夕飯後、「64」の最終回を見ながら風呂の順番を待っているうちにもう一度爆睡。
気が付いたら、朝だった。

床の上だけど、いつものことで、とにかく時間かけて、眠れた。
朝起きて陽気がいいのでとりあえず比叡山に向かった。
 午後からPCに向かって作業したいので少しだけ登ってくることにした。
入り口は、ここから。


適当に道を選んで登りきると、「恵心僧都」の墓につく。

学生さんから、質問のメールが届いたことに気づき、この場で返信する。
このあたりは熊蜂が多い。蝿も。
まとわりついて、「ええい、うるさい」と独り言を口にすると、
御墓のとなりに、半そでTシャツの女性がいることに気づいて、どきっとした。

メールしている間に、墓の前で大きく拍手を打って、移動された。
墓前で拍手。神になっているのか。

いつもだったら、上までくると、そこからうろうろするのだけど、
今日はここからすぐ別ルートで降りる。



降りると、飯室谷不動寺に出る。

千日回峰の本場のようなお寺。

 http://www.imurodo.com/index.html

多分、歩いてきたのは、この人たちも通っている道なんだろうな。

距離は約6km、高低差は約680m(と思う)。
たったこれだけだけど、腰から下はガタガタ。

2015年5月6日水曜日

ユカワハルナさんという青春

これも、かなり前の日記の下書きから。
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”湯川さん”を検索しているのだけどネットに頼るとニュース記事以外は、一方的にディスる発言ばっかりひっかかって、辟易した、という話。
情報を探すの大変。
 湯川さん的な青春を、ちょっと考えようとしたので、探したんだけど。

”後藤さん”をネットでディスる(というより何故か怒っている)のも目だつ気もがするけど、
いろいろな角度からの意見が出ていて、こちらは落ち着く。

ジャーナリスト、ジャーナリズムのあり方を議論するのが多いかな。
これは報道の理論である。

後藤さんの親が反原発なので阿部総理が直接名前を出して哀悼の言葉を述べないという細かい記事もある。
 こういう面から、政府のあり方を議論するパターンも多い。
 これは報道と権力の議論である。

それにしても湯川さんという人物を記録する記事が見つけられない。
そういえば、支援してたという元議員さんがTVに出てたな。
何をどう、なんで支援しようと考えたのかな。

湯川さんという人生(青春)はある意味とても現代的な生き方に感じるんだけど、後藤さんに比べると圧倒的に情報が少ない。

事件後の湯川さんへの周囲の反応(無視・ディスる・哀悼少な目)も現代的・日本的だと思うし。
 
誰かが取り上げてそうな気がするのだけど……小説・映画などではとりあげるかな…

この、他人の情報待ちな自分がいけないのか。

(映)「ある精肉店のはなし」

もう、丸々1年前に書いた日記。
映画「ある精肉店のはなし」のはなし。
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貝塚市にある精肉店。
家族で続けてこられた屠畜・精肉・販売業。
映画は屠畜の様子からはじまり、
精肉を中心とした家族の営み、
地域の生活文化が淡々と、
ときおり本人のインタビューをまじえながら、
美しい映像で描き出している。

一日だけだけど、見学させてもらって話を聞いたところが映画になったのははじめてなので、不思議な体験だった。
文字通り身を乗り出して見てしまった。

家の裏の牛舎から市営屠畜場まで
くねくねとした生活道路をけっこう歩く。
カメラがその様子を映すために先回りしたり、どこかの屋上から俯瞰でとらえたりすると、事前確認がないと、こんなふうな絵にはならないようなーとか、なぜかそんなことが気になる。

屠畜や太鼓づくり、移動精肉屋、盆踊りのシーンでも
椅子から身を乗り出した。
家族の生活にかなり入り込んでいることで、生き生きとした暮らしの一面がとらえられていた。

一方で、変な違和感もかなり残った。
違和感というか、気恥ずかしさというか、ふと考え込んでしまう。
最初の違和感は、インタビュアーの声が入ってくるところだった。
ナレーションの声と同じだったので、おそらく監督の聞き取りだろう。
でも、声だけが登場し、画面は話している語り手だけだ。
1人語りにするか、2人対話にするか、どっちかを意識するのが、自分自身のひっかかりだったと思う。
そして、それよりもインタビュアーの(おそらく)若い女性の声が入ると、何故かすごく恥ずかしく感じるのだった。
なぜだろう。


また、インタビューシーンでは、他にも細かいつっこみを入れて独り言を言いそうになった。
こんなのは、映画見ていてはじめてだ。

おばあさんの語りについて、それしか使うとこなかったん?とか。
もっといろいろしゃべりそうなのに…とのど元まで声になりかかっていた。

たしかに表情豊かでご本人らしさが出ている映像なんだろうなーと感じたけれど、
もっといろんな語りがありそうな人だよなーと感じていた。
昭さんも「思い」の語りを使いすぎちゃうやろか、という別の違和感。
なんていうんでしょう。
・・・解放運動のストーリーのような、ある定式化した物語にのっかかったような、「思い」の語り方が、出てきているように思えた。
話しなれているせいなのかな。

・・・うーん、ブログで書いてたら、また、ごちゃごちゃ考え始めた
・・・とりとめなく、考え始めたので、この日記はここで終わります。