2012年8月9日木曜日

0803 補足メモ 配っていた新聞


議事堂の近くで、いい感じの奥さんたちが配っていたのは、「顕正新聞」という名前だった。

顕正新聞という名の宗教団体の機関紙は、ふたつあるらしい。

ひとつは、高森顕徹を代表とする高森親鸞会の機関紙ということ。
高森親鸞会は、昔から親鸞会として知られる浄土真宗系の新興の宗教だ。

もうひとつは富士大石寺顕正会の機関紙。
埼玉を拠点にしている大きな教団だ。
顕正会は、明治以降の新宗教である。


日蓮正宗の代表だった浅井甚兵衛が妙光寺から1942年に分かれてできたものとされる。
今回受け取った新聞は、内容を読むと日蓮聖人がでてくるので、顕正会だと思ってよさそう。

宗教色は薄めてあるようなのだが、内容のほとんどは原子力の怖さについて述べてある。
「現代は『大罰の時代』だ」という表現などは、個人的に付いていきにくい。


それにしても配布してたのはいい感じの奥さんたちだった。
あんな感じの人が集まってるのか。
普通の賢そうな主婦の方たち。
集会に誘われたらやばいな(笑。

0803 メモ  反原発デモ 国会議事堂前

東京行って、もう一週間経とうとするので、メモだけあげとく。

〇8月の第1週、週末、体が空いた。
そうだ、東京へ行こう。
というわけで、大阪で朝1の仕事をやって、いったん帰宅して、それから国会議事堂に向かう。
早朝と昼の2回駅に向かってダッシュした。太ももがくがく。

●大飯原発は実際に再稼働してしまっている。
無力感や徒労感が強まってるよな、などと思いながら「霞ヶ関」下車。

〇どこからともなく太鼓の響きと音楽が聞こえる。音は移動している。
大通りの反対側をデモ小隊が音楽とともにねり歩くのが見えた。大通りと思っていたのは、議事堂前に向かう通りだった。
議事堂方面に行くとどんどん人が増えてくる。
そうそうにブロックに腰掛けている市民運動家っていう感じの人より、普通の紳士淑女という出で立ちが印象に残る。

●腰かけてる人は、なんか上品そうな年配者に感じる。
それより、関西より関東を上品に感じるのか(笑。

〇議事堂前は大混雑。
●誘導員買って出てる人たち、エライ。
通路確保して、スピーチスペース、ファミリースペースを設置、いろいろ目配りは大変だと思う。

●警察が誘導すると、権力的になってしまうので、小競り合いを誘発することになるから仕方ないんだろうなあ。
一方で制服警察官が集団で斉行動すると、圧迫感がある。
こんなに人が集まったんだし、事故を防ぐにも議事堂前の道路は市民に解放するべきと思う。
集まった人々の居場所がない。

〇坂本龍一さん発見。
●黒字に白抜きのフラッグが格好いい。


〇そのほか、いろんな団体があるみたい。高校生や子どもも多し。
子どものプラカード。「だって僕たちも原発こわいもん」

〇いい感じの奥さんたちがなにやら新聞を配っている。
顕正新聞。
いい感じの奥さんなので、すぐ受けとる。
(奥さんと表現するのは、子連れに見えたから)

〇スピーチコーナーで、いろんな人が語ったり、コールをあげる。
無理むりなコールだったのが、「りけんーだらけの げんしりょく いいんかい」、というコール。
「げんぱつ、はんたい。げんぱつ、やめろ」の後に、言い始めた。
明らかに皆着いてこれなくなったけど。

〇人ごみの中でアンケートを手に、抗議活動参加の意図などを質問している人。
いいレポートになることを期待しましょう。

〇許可された場所以外で、立て看持ってて、警察とひと悶着起こしている。
そちらに向かって、許可されたところで、抗議活動をお願いします、という参加者からの声が飛ぶ。

〇洒落っけではじまった野田総理の顔写真入りビラを路面に置いて、踏みつけ。

〇車に再稼働反対のビラ貼り付けたほとんどイタ車で、回る人たち。
車の窓から白髭の年配者が手書きカード持って「再稼働反たーい」

〇反対コールの音楽が楽しすぎで、盛り上がってきた。
それらの様子を専用カメラで追っている人がいる。
きっと、映画にでもなるのであろう。
そうなるべきでしょうし。
そっちの方がいい映像になるのわかってるから、当日の様子を簡単に貼っておこう。


2012年7月11日水曜日

0711 ボート競技の普及(1)

相談は春からいろいろあったんだけれど、また、授業でもいろんなコメントしているんだけれど、記録をあまり出していませんでしたね。回は、メールでりとりがあったので、その記録を提出しておきます。


標題タイトルのレポートテーマで、全体に書きそうな項目は、以下のような感じになっていると思います。

(1)ボート競技とは。

(2)ボート競技の歴史。
a.ボートの競技性:古い古い時代の記録のなかの競技性とか
         中世のレガッタのはじまりとか
         レガッタは文化として、特徴述べたい。
b.近代スポーツ競技としてのボート
   イギリスなどヨーロッパで盛んなボートレースのお話。
   オリンピックに採用される漕艇競技
    代表的な近代スポーツのひとつ。←ただし、オリンピックの近代性を述べなければならない。
    蛇足:競技の歴史は長いけど、女子競技が採用されるのは、陸上や競泳に比べてずっと遅い。

(3)日本における漕艇競技。
・日本での競技のはじまり

(4)現代の漕艇競技。
・メディアの中の漕艇競技(ドラマとか映画とかの話)
(この辺は、普及の話なので、他のスポーツの普及の歴史とか、まさに普及しつつあるなどと比較しながら話すほうが、とりつきやすい。

(5)現代の漕艇競技、普及の取り組み。
・取材にして、ここの話をメインにする。


上の(1)から(5)についての、もうちょっと詳細なコメント。

(1)について、
「ボート競技とは」…というスポーツ自体の説明は、すでに報告したけど、スポーツの特徴を生かして、社会性を語る(=つまり、コミュニケーション能力を高めるとか、集団行動を学ぶスポーツとしてのさきがけだとか)は、あまりやってない。
言いかえれば、スポーツをやる教育的意味。
…近代スポーツとして軍隊などで利用されるという傾向を語るために、特徴はあげた方がいいかもしれませんね。

(3)について
協会HPの略史がおもしろすぎ!!
日本の幕末から明治にかけての
…近代のはじまりとボート競技の関係とか、
…最初は長崎での海軍演習としてはじまった。(←近代スポーツと関係あります)
…まだ学校がはじまったばっかりのスポーツとか、
…つまり「スポーツ」と「教育」の関係のはじまりが感じられる。

(4)について
ドラマとか映画とかに出てくる漕艇競技の特徴
この辺は、スポーツ普及の話になってくるので、
他のマイナーからメジャーに普及したスポーツの歴史とか、まさに今、普及しつつある他のスポーツと比較しながら話すのが良い。

(5)について、
・取材して、ここの話をメインにする。(要相談)


2012年6月24日日曜日

名古屋の実習の報告(5)SKEオフィシャルショップ


◆SKEオフィシャルショップ

16:00頃
ホテルのスタバのサンドイッチで遅めの昼ご飯。
ノート書きにする。
 
17:30頃
各チームが17:00頃にホテルに集まってきたのを確認した。
サンシャイン栄に向かう。
昼頃よりもっと待ち合わせの人が増えてる。

サンスタートニックシャンプーのイベントはまだやってるけれども、チラシ配りの女子がまだ配っていることの方にちょっと驚く。
ああいうバイトって過酷なんだな。
あんな恰好でいるから、へばった顔や適当な顔するわけにもいかないし、ずっと立ち回りで人を見つけて声をかける。
それが丸一日。
 
夜に向かって若者の人だかりはますます増えてくる。
昼に来たときは場所の確認だけで、ビルの中まで入らなかった。
中は、普通のファッションビルで、どこに行ったらいいのかよくわからない。
とりあえず、上にあがると、SKEのオフィシャルショップがあった。

入口では、壁枠にはめ込みのモニターがあって、ライブ風景を放送している。
壁枠にはメンバーのサイン。
その横には、会員かなにかになるための、案内テーブル。
その横には、グッズが並んでいるガラステーブル。
その横には、等身大のガラスケースに、なんとかさんが、実際に来ていた衣装。
ちょっとメイド風な、セーラー風な、どう表現していいのかよくわからない。
うーん、日本のアイドルは着るけど、韓国アイドルは着ない服。うーん。

その横は、何かイベントを見るなら、こういうふうに入会してと書いたチラシが置いてある。
どこにでもある折り畳みの長テーブル。
そして、それらの反対側の壁には、ずらっとメンバーの写真やら紹介やら。

グッズのガラスケース前にちょっとだけ人だかり。
おじいさんと孫たちのような3人、女子2人組、男女カップル2組。
男女カップルから、「たったこれだけ?」と声が聞こえた。

一人、リュックの中年風の男性が、人だかりの後ろからグッズケースに近づきたくて、おろおろしていた。
こういう人も来るんだーと思っていたら、向こうもこちらをちらちら見ている。
ああそうか、僕もそういうふうに見られるよなーと思う。

あんまり何にもないオフィシャルショップだが、セキュリティはやたらと厳しい。
若い女性スタッフが目を光らせていて、グッズのガラスケースに触るな、とか、写真をとるな、とか注意を入れている。
怖いので、少し離れたところから、入口だけでも写真をとろうとしたら、けっこう離れてるのに、すぐにチェックが入った。
おおーするどいチェックだ、と感心する。

なお、ビルの壁の特徴になっているあのシルバーの観覧車は、1回500円だとわかる。
一人で乗ってるお兄さんもいて、土曜の夕方の繁華街で一人観覧車って、勇気あるなーと思う。  
 

名古屋の実習の報告(4)矢場とん探しと繁華街

ほとんど使うことのない記述だけれども、できる限り続けて書いてみる。


◆矢場とん探しと繁華街 



エアポートウォークからバスに乗り、栄で降り、目に入った「トップカメラ」でスマホの簡易バッテリーを買う。
けど、今、自分がどこにいるのかさっぱりわからない。
雨が降ってきたので、地下に入って歩いていると、ホテルに行くのに迷っていた道に当たる。

なんとかホテル方面に向かうことができ、方向感覚が安心できるところで地上に出る。
夕食場所である「矢場とん」を探す。

自分のスマホでナビを広げてとろとろ進む。
すれ違った細面で長髪の男前、30代くらいの男性が、小雨の交差点で携帯に話している声が耳に入る。

「いや、だからそれは、言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいので・・・」
商売相手というよりも聞き分けのない女か年下に言い聞かすような、圧力ある口調。

もうワンブロック進む。
もう少し若い、これはもっとはっきりとホスト風の長身の伊達男が、やはり小雨が降っているのにもかかわらず交差点で、携帯で話しこんでいる。
茶髪に長髪、ブランドのワイシャツ、黒パンツ、黒いシューズ。
ベルトがエルメスだから、服装もそれらしいブランドなのだろう。

矢場とんのビルってこの辺だよなーと思って、スマホのナビを出していると、携帯で話すお兄さんの声のトーンがだんだんあがってくるのが聞こえた。

「言いたいことがあるんだったら、はっきり言えばいいんだよ」

寝不足で自分の頭がおかしいんだと最初思った。
今日はきっとはっきり言えない人がたくさんいて、はっきり言えばいいじゃんとむきになっている人が多い日なのだと思うことにした。

すぐに、矢場とんは黒いガラス壁のおしゃれなセントライズビルの地下にあることがわかった。

そこから、ホテルの方に歩くと、風俗店のお店がけっこうでっかい看板で出ていることがわかった。
ああ、ここはそういう界隈だったかなーと、思う。
後でみんなで矢場とんに向かうときは、こういう看板の無いパチンコ屋の前を通ることにする。

こういうのは、わかりやすい都市と見た目で感じさせない都市がある。
ここは、わかりやすい方だと思う。
そのように考えると、今立っている街は猥雑な繁華街で、一筋入った裏側の街や通りはもっとゴミゴミしてていいのだと思う。
けれども、この街は、歩いてて通りがきれい過ぎる。
カラスが3羽、車も通る道を堂々と歩いているが。

しかし、道幅が広めで、ビルが高く新しい感じだから、きれいに思うのかな。
もっと雑多なごみごみしたところは他にあるんだろうな、と期待することにする。

さて、ここまで書いたので、もうちょっとちゃんと書く。
名古屋栄東急インは「広小路通り」という大きな通りに面している。
ここから、地図上では北へ向かう。
すると、すぐに「錦通り」というもうひとつ大きな通りに出る。
ホテルから東へ、つまり地下鉄の入り口の方へ行けば、「広小路七間町」「広小路呉服町」という交差点がある。
ホテルから西へ行けば「広小路本町」という交差点である。

本町(通り)や七間町・呉服町(通り)の交差点から、北へ錦通りを過ぎてずっと歩けば、まっすぐ名古屋城ということである。

錦通りを過ぎた辺りは、錦三丁目という町で、やっぱりいくつかの有名なビジネスホテルがあるが「錦三」として親しまれる繁華街である。

だいたい、この辺りが昔の「飛田屋町廓」…つまり遊郭があったとされる花街である。

ただし、遊郭自体は、けっこう時代によって場所が変わっているらしい。

飛田屋というのは、名古屋城築城の折りに徳川家が作ったり、その後廃止されたりというものだったらしい。

今日行ってきた、熱田伝馬町あたりにも移転されたり何やらという話があった。

大正からは名古屋駅西側の辺りの中村地区の方が有名らしい。

遊郭のことなどは、大通りの広小路通りに、郷土の歴史パネルが随所に設置されていて、解説もされている。



1736年の伊藤呉服商から百貨店


「名古屋の繁華に京がさめた」


「本町通りのにぎわい絵巻」 


空前の活況の後、「夢の後」


上の写真の下から3つは同じパネル。
解説は、だいたい次のようなことが書かれている。

「1730年第7代尾張藩主 徳川宗春は、幕府8代将軍 徳川吉宗の享保の改革への反対派であった。
質素倹約の改革の方針に対し、商業や芝居・興業などを自由化し、倹約令で停滞した名古屋に活況をもたらした。
当時、”名古屋の繁華に京(興)がさめた”と呼ばれた。
絵巻物の絵は、当時の広小路から門前町南までのにぎわいを描いている。
食べ物屋や呼び込み看板から描かれており、とりわけ芝居小屋と遊郭が詳しい。
住宅地図のようなものは、当時にぎわった”富士見原””西小路””葛町”の遊郭を示す資料である。
当時を忍んで、宗春没後、”夢の後”という名前で知られるようになった資料である。」

一番上の写真は、三越デパート前にあるもの。

「1611年織田家小姓の子孫、伊藤蘭丸が名古屋本町ではじめた呉服小間物商いは、1959年名古屋茶屋町の呉服小間物問屋に発展した。
伊藤家は代々”次郎左衛門”を名乗る。
呉服小間物問屋は1736年に呉服太物小売商に転業し現金掛け値なしの正札商売をはじめる。
名古屋がにぎわった頃だ。
やがて、1910(明治43)年には”いとう呉服店”が名古屋初の百貨店となった云々・・・」
・・・ということである。





2012年6月23日土曜日

名古屋の実習の報告(3)北生涯学習センター(修正版)


◆北区生涯学習センター

次はエアポートウォーク名古屋を見に行くことにしよう。
名古屋駅まで行って、リムジンバスに乗って…とすると、すごく面倒な気がして、伝馬町から地下鉄で、できるだけエアポートウォーク名古屋に近づこうと考える。
この考えは結果として、はずれ。
栄で降りるか名古屋駅まで行っておけばよかったと、後で反省する。

地下鉄名城線を栄方面にもどり、黒川という駅で降りる。
地図上では、エアポートに一番近く見える駅だったけど…
それよりも地図上では駅を出るとすぐに生涯学習センターや区役所があるので、そこで一息入れようと思う。

13:00頃
地下鉄から地上にあがると、目の前に名古屋ならではの”どこでも大通り”。
頭の上にはハイウェイ。
通り沿いに、排気ガスで薄汚れた3F建ての生涯学習センターが見える。
 
外見からは淋しく見えたが、中は意外と活気があった。
15人程度の若者男女がなにやら談笑でもりあがっている。
ボランティアかなにかの活動をしていた後らしい。
図書コーナーや談話コーナーでは、勉強している若者もいる。
図書コーナーの壁には、古代流の凧が飾ってある。


玄関口にある部屋利用予定表を確認する。
センターには10室以上の部屋の午前、午後、夜間利用の一覧表となっている。
それぞれの部屋はほとんど一日中稼動している。

この活気の良さがとっても気になったが、時間が気になってきたので、図書コーナーでもゆっくりせずに、すぐにエアポートに向かう。


14:00頃エアポートウォーク名古屋に到着。
面白そうな建物。
ここはあまり記録をブログにあげないで、レポート報告に任せることにしよう。
レポートの方がかなり詳しいから。
ミニヘリコプターの写真だけ。