2012年6月24日日曜日

名古屋の実習の報告(4)矢場とん探しと繁華街

ほとんど使うことのない記述だけれども、できる限り続けて書いてみる。


◆矢場とん探しと繁華街 



エアポートウォークからバスに乗り、栄で降り、目に入った「トップカメラ」でスマホの簡易バッテリーを買う。
けど、今、自分がどこにいるのかさっぱりわからない。
雨が降ってきたので、地下に入って歩いていると、ホテルに行くのに迷っていた道に当たる。

なんとかホテル方面に向かうことができ、方向感覚が安心できるところで地上に出る。
夕食場所である「矢場とん」を探す。

自分のスマホでナビを広げてとろとろ進む。
すれ違った細面で長髪の男前、30代くらいの男性が、小雨の交差点で携帯に話している声が耳に入る。

「いや、だからそれは、言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいので・・・」
商売相手というよりも聞き分けのない女か年下に言い聞かすような、圧力ある口調。

もうワンブロック進む。
もう少し若い、これはもっとはっきりとホスト風の長身の伊達男が、やはり小雨が降っているのにもかかわらず交差点で、携帯で話しこんでいる。
茶髪に長髪、ブランドのワイシャツ、黒パンツ、黒いシューズ。
ベルトがエルメスだから、服装もそれらしいブランドなのだろう。

矢場とんのビルってこの辺だよなーと思って、スマホのナビを出していると、携帯で話すお兄さんの声のトーンがだんだんあがってくるのが聞こえた。

「言いたいことがあるんだったら、はっきり言えばいいんだよ」

寝不足で自分の頭がおかしいんだと最初思った。
今日はきっとはっきり言えない人がたくさんいて、はっきり言えばいいじゃんとむきになっている人が多い日なのだと思うことにした。

すぐに、矢場とんは黒いガラス壁のおしゃれなセントライズビルの地下にあることがわかった。

そこから、ホテルの方に歩くと、風俗店のお店がけっこうでっかい看板で出ていることがわかった。
ああ、ここはそういう界隈だったかなーと、思う。
後でみんなで矢場とんに向かうときは、こういう看板の無いパチンコ屋の前を通ることにする。

こういうのは、わかりやすい都市と見た目で感じさせない都市がある。
ここは、わかりやすい方だと思う。
そのように考えると、今立っている街は猥雑な繁華街で、一筋入った裏側の街や通りはもっとゴミゴミしてていいのだと思う。
けれども、この街は、歩いてて通りがきれい過ぎる。
カラスが3羽、車も通る道を堂々と歩いているが。

しかし、道幅が広めで、ビルが高く新しい感じだから、きれいに思うのかな。
もっと雑多なごみごみしたところは他にあるんだろうな、と期待することにする。

さて、ここまで書いたので、もうちょっとちゃんと書く。
名古屋栄東急インは「広小路通り」という大きな通りに面している。
ここから、地図上では北へ向かう。
すると、すぐに「錦通り」というもうひとつ大きな通りに出る。
ホテルから東へ、つまり地下鉄の入り口の方へ行けば、「広小路七間町」「広小路呉服町」という交差点がある。
ホテルから西へ行けば「広小路本町」という交差点である。

本町(通り)や七間町・呉服町(通り)の交差点から、北へ錦通りを過ぎてずっと歩けば、まっすぐ名古屋城ということである。

錦通りを過ぎた辺りは、錦三丁目という町で、やっぱりいくつかの有名なビジネスホテルがあるが「錦三」として親しまれる繁華街である。

だいたい、この辺りが昔の「飛田屋町廓」…つまり遊郭があったとされる花街である。

ただし、遊郭自体は、けっこう時代によって場所が変わっているらしい。

飛田屋というのは、名古屋城築城の折りに徳川家が作ったり、その後廃止されたりというものだったらしい。

今日行ってきた、熱田伝馬町あたりにも移転されたり何やらという話があった。

大正からは名古屋駅西側の辺りの中村地区の方が有名らしい。

遊郭のことなどは、大通りの広小路通りに、郷土の歴史パネルが随所に設置されていて、解説もされている。



1736年の伊藤呉服商から百貨店


「名古屋の繁華に京がさめた」


「本町通りのにぎわい絵巻」 


空前の活況の後、「夢の後」


上の写真の下から3つは同じパネル。
解説は、だいたい次のようなことが書かれている。

「1730年第7代尾張藩主 徳川宗春は、幕府8代将軍 徳川吉宗の享保の改革への反対派であった。
質素倹約の改革の方針に対し、商業や芝居・興業などを自由化し、倹約令で停滞した名古屋に活況をもたらした。
当時、”名古屋の繁華に京(興)がさめた”と呼ばれた。
絵巻物の絵は、当時の広小路から門前町南までのにぎわいを描いている。
食べ物屋や呼び込み看板から描かれており、とりわけ芝居小屋と遊郭が詳しい。
住宅地図のようなものは、当時にぎわった”富士見原””西小路””葛町”の遊郭を示す資料である。
当時を忍んで、宗春没後、”夢の後”という名前で知られるようになった資料である。」

一番上の写真は、三越デパート前にあるもの。

「1611年織田家小姓の子孫、伊藤蘭丸が名古屋本町ではじめた呉服小間物商いは、1959年名古屋茶屋町の呉服小間物問屋に発展した。
伊藤家は代々”次郎左衛門”を名乗る。
呉服小間物問屋は1736年に呉服太物小売商に転業し現金掛け値なしの正札商売をはじめる。
名古屋がにぎわった頃だ。
やがて、1910(明治43)年には”いとう呉服店”が名古屋初の百貨店となった云々・・・」
・・・ということである。





2012年6月23日土曜日

名古屋の実習の報告(3)北生涯学習センター(修正版)


◆北区生涯学習センター

次はエアポートウォーク名古屋を見に行くことにしよう。
名古屋駅まで行って、リムジンバスに乗って…とすると、すごく面倒な気がして、伝馬町から地下鉄で、できるだけエアポートウォーク名古屋に近づこうと考える。
この考えは結果として、はずれ。
栄で降りるか名古屋駅まで行っておけばよかったと、後で反省する。

地下鉄名城線を栄方面にもどり、黒川という駅で降りる。
地図上では、エアポートに一番近く見える駅だったけど…
それよりも地図上では駅を出るとすぐに生涯学習センターや区役所があるので、そこで一息入れようと思う。

13:00頃
地下鉄から地上にあがると、目の前に名古屋ならではの”どこでも大通り”。
頭の上にはハイウェイ。
通り沿いに、排気ガスで薄汚れた3F建ての生涯学習センターが見える。
 
外見からは淋しく見えたが、中は意外と活気があった。
15人程度の若者男女がなにやら談笑でもりあがっている。
ボランティアかなにかの活動をしていた後らしい。
図書コーナーや談話コーナーでは、勉強している若者もいる。
図書コーナーの壁には、古代流の凧が飾ってある。


玄関口にある部屋利用予定表を確認する。
センターには10室以上の部屋の午前、午後、夜間利用の一覧表となっている。
それぞれの部屋はほとんど一日中稼動している。

この活気の良さがとっても気になったが、時間が気になってきたので、図書コーナーでもゆっくりせずに、すぐにエアポートに向かう。


14:00頃エアポートウォーク名古屋に到着。
面白そうな建物。
ここはあまり記録をブログにあげないで、レポート報告に任せることにしよう。
レポートの方がかなり詳しいから。
ミニヘリコプターの写真だけ。


















2012年6月9日土曜日

名古屋の実習の報告(2)熱田蓬莱軒へ(修正版)

◆熱田蓬莱軒へ


11:00過ぎ 地下鉄で伝馬町まで。

熱田神宮近くの蓬莱軒本店と神宮店を確認する。
まず、地下鉄から地上に出て、どっちを向いているのかわからず、かなり迷う。
名古屋に来ると、どの道も同じように見えるんだな、これが。

やがて、神宮店が地下鉄出口からすぐに見えることがわかった。
遠目に見ても人だかりになっている。

神宮店は大通りの向こうであったため、まずは本店を目指す。
ビル・住宅の間を歩いている間に、においがしている。
ここが古くからの交通の要所であることを示す道標と大きな地蔵がある。

東海道と美濃路の分岐点と書いてある

道標の向いには、大きな地蔵の祠があって、おばあさんが長い間お祈りをしている。住宅群をすぐに抜けると、大通りに出て、横断歩道橋の向こうに、もうお店がみえる。
神宮店と目と鼻の先ではないか。
歩道橋をわたろうとすると、店の煙突からもくもくと煙がでているのがわかる。

チーム熱田蓬莱軒はもうインタビューに入っているはず。
2時に予約をしたという人が、もう店先で確認して待っている。

入店を待つ人々


付近を歩く。町が古い。
寺院や神社が多い。
古い旅館、畳屋が2軒、料理屋。


伊藤畳店 宮房旅館

ゆっくり回ってみたい街だ。
道路は広くて新しいが。

神宮店の方にまわると、なにかやたら明るい照明を家屋に向かって照らしているのが見える。
何かの撮影だ。

蓬莱軒神宮店は2階建てのお店で、入り口が人だかりになっている。


神宮店前の入店待ちの人々

照明をあてられているのは隣の家屋だ。
撮影用クレーン車で照明がこうこうと照らし出されている。


周囲には撮影機材がいろいろと

クレーン車には、「kurosawa film」とロゴが入っている。
”やっぱ撮影かっ”と色めきだったが、興味のないふりをする。

店前の道路を交通整理しているガードマンのおじさんに聞いてみる。
「なんか撮影されてるんですか?」
「ふーん、なんてことはなーい。あれはただのCMだから。」
「コマーシャルですか。なんで、あのお店の隣のお宅で撮影してるんですか?これは有名な家なんですか?」
「ふーん、あれ、うちの店だから。うちの絡みだから。」

話しぶりが面白すぎるぞ、おじさん。
”そんなことも知らないの?”って感じで、素っ気なさすぎる感じが面白い。

制服からすると警備会社の人だと思うのだけど、、蓬莱軒を「ウチ」っていうのはさすがだ。

名古屋の報告(1) (修正版)


今年は1年生の実習で名古屋に行くことになった。
で、新たな訪問があるとノーツ書いているので、実習の一部始終をお届け。


1日目

◆名古屋着後 栄

名古屋駅到着後、地下鉄で栄駅まで。
この駅からチーム蓬莱軒・チーム名古屋城が乗り換えて、現地に向かう。
他のメンバーは、栄駅改札出た後、自主行動についてしばらく悩んでいたが、とにかくいったんホテルに荷物を預けに行くことにする。
荷物預かりとチェックインの手続きを終え、テーマエアポートウォークが活動開始。
その他はとりあえず、皆で「あんかけスパ」を食べにいったそうな。

「広小路通り」の町の歴史看板をいくつか眺めて、SKEテーマのメッカ、サンシャイン栄がすぐそこなので、とりあえずそちらの確認からはじめる。












サンシャイン栄で、SKEイベントと「メンズスパイダー」のストリートスナップのイベントのチラシを確認する。
こういうの撮影してるの見たことないので、どんなふうにやってるのか見てみたいな。
















地階では、サンスタートニックシャンプー体験の実演が行われている。
キャンペーンガールが、やってみませんかと声をかけながら青いトニックシャンプー色のの試供品らしきものを配っている。
私は素通りされる。
人通りも多く、落ち着かない。
SKEのメッカということで、大きな写真パネルがあるのだが、何をどう確認していいのかよくわからない。
とにかくキャンペーンガールに、「それちょうだい」と言って、貰う。
ついでに、「このイベントってSKEとは別ですよね?」とトンチンカンにたずねてみる。
「ぜんぜんぜんぜん関係ないですよー」
大きなパネル写真も横にあるので、イベント参加したら、skeイベントのチケットもらえるのかと思った。
だったら、あの男の子たちは、なんで、こんなところで頭洗ってるのかな。

夕方のチームSKEのイベント取材のときに、また来ることにしよう。


ひとまず地下鉄で蓬莱軒へ向かうことにする。





2012年2月19日日曜日

0218 極寒の体育館の集会で

むっちゃ大雪のなか、朝からPTAの集会があった。
体育館での講演は、本気で凍傷になるかと思ったわ。
役回りで参加したクチなので、えらそうに言えませんが・・・
本音を言えば、仕事、家に溜め込んで散らばったままだし、役員の別の仕事でけっこう時間とられてるし、集会休んでも許されるかなーと思ってるような、いわば、忙しいのに参加してやるからなという上から目線の黒い心境になっているような塩梅でした。
(関係者のみなさますみません。イベント開催のご苦労お疲れ様です。)

とにかく、寒すぎて、帰りは足の感覚復活のためにほとんどランニングで帰宅したくらいである。
講演途中でも、何度か空きスペースで踊ろうかと思った。
踊ってても、講師の先生も許してくれるのではないかと、逆に、一言突っ込んでくれるんじゃないかと思ったし。
ただの目立ちたがり屋だと思われる可能性も大きいのでやめましたが。
とにかく、持っていくはずだったホカロンを忘れたのを悔やみ、パッチなど下着はかないというやせ我慢主義を改心しようかと後悔していた。

講演は、大事なことは全部ドラえもんに教えてもらったの著者、久保田先生だったので、とても面白かった。
前半までのPPを使った語りとドラえもんの場面紹介のタイミングのよさに、妙に感心していた。
ただ、ご自分のノリを優先されるという話の枠組みから逃れられず(あるいは、逃れる気がないのか)、ドラえもんエピソード中心のお話で十分引き込まれるのに、なぜ、そこにこだわり知識を入れ込む、と思わさせられる場面が何度かあった。
特に、終盤のそれは、寒さに応えた。聞いてるみなさんには、聞き入っている人も多かったと思うから後半は削ってもいいのではないかと思った。こんなところで、つまらない指摘をしているけれども、自分が話し手となったときに、同じような突っ込みをもらっているので、すんごく自分を振り返ってしまった。

さて、いまここで、フッと思い起こして書き起こせるくらい、特に印象に残ったドラえもんからのエピソードは3つある。
この記事はこれを書こうと思って始めたのだった。

ひとつは、ジャイアンやスネ夫は幼稚園の時分から、のび太を泣かせていじめ抜いているのであるが、ジャイアンは決してのび太を毛嫌いしているのではないようだ、ということだった。のび太もまたジャイアンを吐き気をもよおすほど嫌ってはいないのであった。ジャイアンは、おもろい奴で、のび太がいなくなるとわかると真っ先に別れを惜しみにくるような奴でもあり、彼らはそういう付き合いなのであった。
これは、漫画だ。藤子先生たちの頭の中の出来事だと思っても、そういうことなんだよねーと思う自分がいた。

これに関係するようなこととして。ジャイアンは、親父やおふくろにシバカレながら育ったやんちゃ坊なので、自分も腕力にもの言わす、暴力的な奴になってしまってるわけなんだけど、それをどう見るか、どう受け止めるか、という社会のありかた・コミュニケーションについて考えてた。

もうひとつは、のび太は、どんくさい上にグータラで、そそっかしく、せこいことばかり考えていて、権力を握ると実は底意地の悪い面も見せる。
ときおり人を感動させるような名言を吐き、英雄のような決断を下すときがあり、人の痛みを思いやるようなことをいう・・・つまり彼は人そのものなのだな、というのを再確認した。

2012年2月12日日曜日

0212  灘酒を伝えて行く為に

全体によくまとまってきたなかで、以下の2点が気になったので、修正・補足を考えてみてください。

1点目
EさんとMさんの紹介を1行だけでなく、もう少し人物像を結ぶために情報が欲しいと思います。
たとえば、年齢とか仕事ぶり(インタビューに至る状況も含む:下記のYさんにはそれが出てくる)とか、インタビュー時の雰囲気とか、聞いた回数とか場所とか・・・フィールドノーツに書いてあれば使える情報があるのじゃないかと思います。
もっと情報があると、EさんやMさんの見解の背景への読み解きが読者にも可能性が広がります。

2点目:リカ—のYさんの登場の部分について
おそらく、執筆者がもっとも伝えたいのは、
"少し恥ずかしながらも誇らしげに答える"Yさんの様子ではないかと思う。

そのため、この部分のセクションの文章は、Yさんとの出会から書かれているのではないか、と思う。
「・・・店内で働いていた女性である」人にインタヴューした。その人は店主の妻であった。店主(旦那)が留守のため、まず説明を伺った。そこで、上記の様子が現れ、活動への思いや意義を感じた・・・

ところで、このあたりの文章で指摘したい問題点は、上記の「働いていた女性である」のすぐ後の会話引用に、説明なしで女性を「Yさん」と記していることである。

ここは簡単な説明的文章で
働いていた女性(Yさん)である。後にわかったのだが(←これ、いるかどうかわかんないけど)Yさんはヤスモトリカー店主の妻である。夫である店主が留守のため、Yさんかお話をうかがったところ・・・とか。

この辺りの紹介は、"活動への思い"や"活動の意義"などを執筆者が受け止め・考えるきっかになったエピソードと思われるので、"必要な"文章だと思いました。
そこで、もう少し、上記のような補足説明でスッキリさせる必要があると思いました。


蛇足点
欲を言えば、もうちょっと時間かけて終盤までの流れを考えたら、日本酒の問題を伝統文化を護る問題としてさらにポイントを整理しながら、ラストの記述を充実させることができるように思う。
たとえば、「3 伝統の伝承」の部分は、"幾多の困難"、"伝統を守る活動をすることの誇り"のトピックスが盛り込まれており、もう少し詳細に記述・考察できる内容があるように思う。

0212 神戸空港から見る関西の空港問題 日本初の技術「ポートライナー」

コメント遅くなりました。

コメントを二人一緒にしてすみません。
指摘点が重複し、二人とも最終局面のため、コメントの量もさほどではないので、二人いっしょにさせてもらいます。
それぞれに指摘は2点です。

1点目は、内容面についてのコメントです。
これはレポートにする段階ですでにわかっていたことの繰り返しなので、レポート上どのように処理するかの相談になります。いわば努力目標です。

空港レポートの場合、
"3つの空港の必要性や抱えている問題を比較検討する"際に、対象者を"それぞれの空港関係者の3人"のインタビューのみでレポートを書くことの是非、あるいは調査研究上の問題点をどのように表現するか、が最大の課題です。

ポートライナーレポートの場合、
対象者がどうして限定的になったかを、調査活動のプロセスも含めて、ある程度紹介していいかな、と思います。
「ある程度」の「程度」がわかりにくいと思いますが。
書いてみてから、判断したいなと思います。

上記の指摘は、あくまで、努力目標としてのコメントなので、できうる限りでいいので、補足するかどうかも含めて、一考してみてください。わざわざコメントするのは、まだ足りないという判断が、こちら側にはあるからですが、最終修正段階時期も過ぎましたので、どこまで書き込むかは、執筆者の判断にお任せします。


2点目は、文章作成の課題です。
こちらは、必ず、もういちど、見直しをお願いします。
自分の勉強のために、やってみてください。

論文・レポートに慣れる必要もあるし、単純な推敲で気がつく点は、まだあると思います。印刷して、音読してください。
自分の耳で聞いてスムーズじゃないな、とか誇張表現だなと感じたところは、こだわって考えてみてください。
どちらかというと空港レポートは、表現にぎこちない文章が多い印象がありました。ポートライナーレポートは、表現が紋切型でよくないものなどが印象に残りました。
これまで読んできた図書や小説などの文章を意識的に思いだしながら、今後の勉強のために、もう一度、自分で見直してみてください。